前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧

191.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.14

今回は高校3年になった1978年の5月のGW、第二弾飯田線の旅です。この旅行は昨年の播但線の旅行が忘れらず、これから受験期に向かう前に(周りはとっくに向かっていたのですが)、もう一度あの時のような鉄チャン旅行をしようと企画したものです。前回は切符の…

190.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.13

この回は同じ年の3月、東北本線の旧型客車の撮影に出かけました。もうすぐ無くなるだろうと思われていた東北本線の客車の普通列車に乗り、雪を頂いた那須連山をバックにのんびり撮影旅行をしよう、と言うのは後付けの理由。この時は高校2年から3年に進学する…

189.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.12

この次は冬の上越線です。身延線の翌月の2月、雪の中を走る機関車と夜行列車を撮りに行かないかと誘われて行く事にしました。水上の駅の待合室が夜中でも開いてるし待つ人の為にストーブもあると言うので、またそこで仮眠をする計画で出掛けて行きました。し…

188.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.11

今回は身延線です。前回の旅行では資金的に散財してしまった為、旅行を続ける事が出来ずに仕方無しに帰る事にしました。暫くは撮影に行く気にもなれないと思っていましたが、そんな事もすぐに忘れて、あの飯田線の旧型電車をあまり撮影出来なかった事を思い…

187.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.10

今回は飯田線です。1978年1月、ここは当時、動く旧型電車博物館と言われている程、さまざまな古い電車が走っておりました。また私の好きな旧型の電気機関車も走っており、いつか行きたいと思っておりました。友人に誘われたのがキッカケですが、私は旧型電車…

186.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.9

この旅行は1977年夏、友人から誘われて行った兵庫県の播但線の旅です。やはり廃止となってしまうディーゼル機関車を撮影する為に6泊7日で行って来ました。東海道線を使って行くので、いつもの大垣夜行で出発。そしてその後3泊は何と駅構内での野宿生活でした…

185.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.8

この年はそんなやるせない事件があり、SLは大井川鉄道で復活はしましたが、私はその後は空虚な時間を過ごしていました。暫くは新しく買ったカメラと共に、東京近辺の無くなりそうな機関車や旧型電車の撮影ばかりに繰り出しており遠出はしませんでした。そし…

184.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.7

次は1976年9月の京阪100年記念列車旅行です。国鉄は、1972年に鉄道100年を記念して京都の梅小路機関区を蒸気機関車館として開設、そして十数両のSLを保存しました。このイベントは、そのSLを使って京阪間の鉄道開通100周年の記念列車を走らせるというもので…

183.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.6

今回は大井川鉄道です。1976年に国鉄のSLが完全に消えると同時に、この大井川鉄道が全国で初めてSLの保存鉄道として本格的に観光運転を始めました。小型のSLでしたが、この鉄道は結構山に向かって大井川沿いを走るので勾配があり景色も豊か、さらに終点の先…

182.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.5

今度は東北旅行です。当時の国鉄(JRの前身です)から1975年に完全にSLが消えてしまいました(一部入れ替え作業用等では残っていました)。私は中2の春に続き、中3の夏に再度北海道へ、最後のSLの撮影に行こうと計画しましたが、親からは高校受験はどうするのか…

181.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.4

北海道旅行はすったもんだの末、あっという間の帰りの日となりました。この日は前日と同様に早朝のSL列車に乗り、また追分に向かい機関区とその近隣で撮影、少し時間が余ったので幌内線にも寄った後、まず函館へ戻る為札幌駅に向かいました。列車の中では、…

180.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.3

この回は、北海道の続きです。その後に帯広では広尾線のSLと、その頃大人気だった愛国から幸福行きの切符を買いに行きました。私が北海道に行くという事が分かると、家族や友人からその切符のお土産を頼まれて、ここだけはどうしても寄る事になってしまった…

179.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.2

この回は、私の初めての泊まりでの鉄チャン旅行である会津旅行です。日帰り旅行は既にたくさん行っていましたが、夜行列車に乗って泊まって撮影というのはこれが初めてでした。またこの初めての旅行は私の人生を変えた出来事だったとも言えます。北海道旅行…