前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

190.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.13

この回は同じ年の3月、東北本線の旧型客車の撮影に出かけました。もうすぐ無くなるだろうと思われていた東北本線の客車の普通列車に乗り、雪を頂いた那須連山をバックにのんびり撮影旅行をしよう、と言うのは後付けの理由。この時は高校2年から3年に進学する春休み、4月からのコース別の選択授業やら、希望校の面接やら、いよいよ将来を考える時期になったのかと思うと急に寂しい気持ちになり、カメラを一台持ち早朝にふらっと家を出て、気がつくと上野駅に向かっていた感じでした。そして朝の5時半の上野発郡山行きの列車に飛び乗りました。

とにかく行ける所まで行ってみようと、ぼんやりと窓の景色を見ていました。こんな風に旧型客車に乗って揺られていると、今までの楽しかった鉄チャン旅行が思い出されます。あの時は楽しかったこの時は面白かった等、このままの歳でいたい、大人になんかなりたく無いと思ってしまいます。それは次第に自分は大人になる事が出来るのだろうかという不安に変わって来ます。自分の好きだったSLは既に無くなり、この旧型客車ももうすぐ無くなってしまう。今まで撮影に行ったあの機関車や旧型電車達も既に無くなってしまった物もあり、どんどん変化していくこの時代に自分だけが残されてしまうのではないかという憔悴感、孤独感。そんな将来に自分は生きていけるのだろうかなどと、哲学的な事を思うようになっていました。

そして気がつくと黒磯駅も過ぎ、この辺りで降りてみるかと、とある駅で下車。そこからブラブラと線路沿いの道を歩いていました。天候は薄曇り、この辺りまで来ると3月下旬とはいえ風が寒く、もう少し防寒してくれば良かったと少し後悔。暫く当てもなく歩いていると遠くに雪を纏った那須連山が見えて来ました。そしてそれをバックに東北本線が撮影出来る場所を確保しました。まだ東北新幹線が開業する前、頻繁に特急列車や急行列車が走って来ます。その中を縫うように貨物列車や客車列車がやって来ます。那須連山をバックに綺麗な写真が撮れて、少しテンションが上がって来ました。時刻表もダイヤ情報も持たず、来た列車をひたすら撮影。時にはわざと撮らず、ただ見ている事もしていました。

すると昔誰かが言っていた事を突然思い出しました。学校の美術の先生だったか、それは「本当に綺麗な景色と思ったら写真は撮るな」という事でした。当時はその意味が分からず、撮る方がいいに決まってると思っていたのですが、この那須連山をバックに通り過ぎる列車を見てると、何故か納得出来る気分になりました。その理由は「写真を撮ってしまうとそれが思い出になってしまう、写真が無ければその光景そのものが思い出となる。そちらの方が格段に上等な思い出になる」という事でした。写真派だった私はその言葉が納得出来ずにいました。しかしこの光景、カメラから覗く景色とそのまま目で見る景色は比較になりません。出来上がった写真もこのファインダーの中だけの景色に違いありません。今までの鉄チャン旅行を思い出してみました。すると不思議と、夜の客車から見た夜景や、何気なく列車から見た日の出の光景とか、あの北海道のフィルムが切れてしまった時やって来たSL列車の姿や、やはりフィルムが底をついた時にやって来たお目当ての機関車の姿だとかが思い出されました。それも写真のプリントではなく、無限大に広がるサイズで思い出されるのです。

何か今まで撮影して来た事が、とても勿体無い気分になりました。今までやって来た事は何だったのか、ただの記録だったのか。撮影なんかそこそこに、じっくりこの目で見ていた方が良かったのではなかったのか。綺麗だとか感動したと思っていた景色は確かに殆どが写真のプリントの景色であり、あの雄大さやその時の雰囲気、気候、音等はそこには含まれていない。そしてその後、撮影は止めてしまい、その後は東北本線を更に下って行き、夜行列車で帰って来ました。

確かにその時の旅行の思い出は鮮明です。40年以上経った今でも、あの那須連山の雪景色、ふらっと降りた駅、客車の中、夜の車窓など、鮮明に覚えています。しかし、この感動は誰とも共有出来ない。さらにあの時見た貴重な機関車や旧型客車の写真がほとんど無い。頭の中には画像がありますが、それを他人に見せる事が出来ない。今考えると、写真撮っておけばよかったと、本当に勿体無いと思っています。いずれ頭の中の画像もプリントアウト出来る時代が来るのでしょうか?それまで生きて、この画像を見せてあげたいと思います。

東北本線の上り各駅停車。那須連峰をバックにこの旅行の数少ない貴重なショットf:id:x-japanese:20211023160318p:image