前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

187.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.10

今回は飯田線です。1978年1月、ここは当時、動く旧型電車博物館と言われている程、さまざまな古い電車が走っておりました。また私の好きな旧型の電気機関車も走っており、いつか行きたいと思っておりました。友人に誘われたのがキッカケですが、私は旧型電車のあのウォーンというモーターの音も懐かしく大好きで、首都圏でもまだ走っている横浜線青梅線等はよく撮影に行ってました。この時はお正月の冬休み、飯田線は、沿線には金運や商売繁盛で有名な豊川稲荷があるので、初詣も兼ねて行ってみるかと思い、東京駅の大垣夜行で待ち合わせました。この時は友人と2人だったのでとりあえず特に予定も立てず、1日位撮影してまだお金があったらどっか寄って来ようか、位の気持ちで出掛けました。年も明けたばかりで東京駅は比較的空いており、大垣夜行も空いていました。そして乗換駅の豊橋へ向かいました。

早朝、初めて豊橋駅に降りて飯田線のホームに向かいます。するとそこには信じられないような旧型の電車が並んで止まっていました。中に入ってみると床は木張り、座席の背もたれも手すりも木枠。本当に数十年時が戻ったような、雑誌でしか見た事の無いような電車がそこに止まっていました。それを見て一気にテンションが上がりました。一通り写真を撮っていると、発車の合図。つい乗ってみたくなり思わず乗車してしまいました。実はこの時、周遊券等を買わずに、まだ計画を立てていなかったので切符をちゃんと買っておらず(この頃はSuicaなんて無いのです)、降りた駅で精算する予定だったのです。

そして出発。旧型電車特有のウォーンというモーター音に、何とも言えないノスタルジックな気分となり、「やつぱり旧型電車もいいなあ」と、まだ薄暗い外の風景を見ながら所謂「吊り掛けサウンド」に酔いしれていました。電車はすぐに終点に着き、そして折り返して豊橋に帰るようでした。ホームに降りるとまだ早朝でもあり、店もやって無さそうな町の様子でした。仕方無く豊橋駅に戻る事にしたのですが、それが悪かった。この駅で精算すれば良かったのですが、豊橋駅で降りてその時精算して、どこか開いてる喫茶店でも見つけて腹ごしらえをしようと、そのまま戻ってしまったのです。すると車掌さんが切符の拝見にやって来ました(当時は車掌さんの検札が良くあったのです)。当然、車掌さんは我々の切符を見て怪しみました。色々説明しましたが、結局違反とみなされ、罰金の料金として運賃の3倍を請求されてしまいました。これにはテンション下げ下げ状態。まあまあ潤沢だった資金が一気に底をつきました。しかしその資金があったからよかった。無かった場合は本当に違反とみなされて警察沙汰になる所でした。

自業自得とはいえ、この散財は勿体無かった。豊橋駅に着いた時に一旦精算しておけばこんな事にはならなかったのに、やはり無計画や気分に流される行動は慎まないとロクな事にはならないようです。これが無ければ、私はその後友人と別れ、違う路線に行ってみようかと思っていたのでした。それが叶わなくなりその後はすっかり元気が無くなり、新年早々嫌な年になりそうだと気分は落ち込んでしまいました。豊川稲荷への参拝も行く気分では無くなり、これも勿体無い行動でした。追い討ちをかけるように、お正月早々なので貨物列車は全て運休、私の好きな機関車はその日の運行は無く、全く踏んだり蹴ったりの状況でした。その後は豊橋駅近辺で、東海道線の列車を撮影したり市電にも乗ったりしてしてぶらぶらしていました。こんな暗い気分での撮影は面白くないもの、友人と相談して、その晩の夜行で戻る事にしました。重ね重ね勿体無いと思う旅行でした。

今回の旅行はお年玉も貰った後だし、資金的な余裕もあり、豊川稲荷で初詣、その後は少し贅沢して美味しい物でも食べようか、そして何ならビジネスホテルでも泊まって翌日も撮影して行こうか位の事を思っていたのは夢と消え、またまた貧乏旅行に逆戻り、私はいつ優雅な旅行が出来るようになるのか、永遠にこの世界から抜け出せないのでは無いかと、かなり絶望的な新年となったのでした。

飯田線の旧型電車です。まさに動く電車博物館でしたf:id:x-japanese:20220318224502j:image