前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

183.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.6

今回は大井川鉄道です。1976年に国鉄のSLが完全に消えると同時に、この大井川鉄道が全国で初めてSLの保存鉄道として本格的に観光運転を始めました。小型のSLでしたが、この鉄道は結構山に向かって大井川沿いを走るので勾配があり景色も豊か、さらに終点の先にも登山鉄道が続き、寸又峡温泉という温泉地もあるので、観光にはぴったり。実際その後の躍進と既に45年間も保存活動を続けているのは立派と思います。またこのSLは、以前撮影に行った会津地方で活躍していた形式と同じ形で懐かしさもあり、そんな鉄道のSLを見に行かない訳にはいかない。早速、高校入学したその夏休み、新しく高校の友人も仲間に加えて、撮影旅行を計画しました。

この時は東北に行ったばかりの夏休み。当然お金が無い。なので兄からキャンプ道具一式を借りて、キャンプをして夜を明かすという手段を取りました。今思うと、よく友人達も賛成したと思います。皆それだけ金欠学生だったのかと思います。そしてその旅行はとにかく貧乏旅行の最たるもの。東京を早朝の各駅停車で出て、大井川鉄道に乗り換え。撮影場所もなるべく移動しないようにして交通費を浮かせ、食事も例の如く菓子パンのみ。夏なのに風呂にも入らず、今としては考えられない旅行でした。しかし撮影は順調。新しく買ってもらったカメラは本当に思った通りの写真が撮れ、腕も上がったように感じます。一日一往復なので、2泊3日で計6回のシャッターチャンスでしたが、ほぼ全て納得の行く写真が撮れました。

来る前は、SLがどんな感じで動くのだろうと不安な部分もあったのですが、牽引する客車も旧型だし、勾配を登って来るので音も迫力があり全体的にはとても満足のいった旅行でした。唯一残念だったのが、季節が夏であり煙が全くと言っていい程出ていなかった事でした。これは後で分かったのですが、この路線の沿線には沢山のお茶畑があり、煤煙の害が出ないよう無煙炭という高品質の石炭を使っている事が分かりました。この時は、初めて環境という物を意識した事を覚えています。

そして一日目の夜は駅でちゃんとしたキャンプ地を聞き、少し遠かったですがそこでテントを張りました。しかしこのキャンプがとんでも無かったのです。ちゃんとしたキャンプ場だったにも拘らず、係の人からこの辺り野犬が出るから気をつけてと言われました。そして初めて張るテントに悪戦苦闘して何とか完成。周りには純粋にキャンプに来ている人達が多くいて、バーベキュー等をやっていて何か楽しそうです。ちょっと羨ましさを感じながら我々は菓子パンで夕食を済ませ、朝も早かった事から早々と寝る事にしました。

しかし横になると、ゴツゴツした地面が直接身体に感じます。初めてのキャンプだったので中々準備が足りずクッションになるような物は持って来なかったのです。全員中々眠れず、仕方無しに外に出て気分転換する友人もいました。私はさらに先程の係員の言葉が思い出され、中々眠れません。ウトウトしては何かの物音に起きるという繰り返しで朝になってしまいました。それに懲りて、翌日は段ボール等を仕入れて駅近くの大井川の河原でテントを張る事にしました。今考えてみると普通の河原にテントなんか張っていいのか疑問でしたが、特に注意も受けなかったので、そのまま夜を明かす事にしました。持ってきた段ボールは中々の寝心地。連日の疲れから直ぐに睡魔が襲って来ました。するとその日は夜中になると大雨になってきて、途中で目が覚めます。次第に心配になり仕方なくテントをたたみ、駅の軒下で一晩明かしました。

そんな事で終始寝不足の旅行は何とか終了。帰りも各駅停車で家に着いたのは夜遅く、翌日テントを掃除して兄に返しに行った時、どうだった?と色々聞かれました。兄も結構バイクやスキーで旅行慣れをしている人で、旅行と言うと突っ込んで色々聞いて来ます。寸又峡温泉行って温泉入ったか?、吊り橋が有名な所があるけど行ったか?、お茶飲んだか?、蕎麦食べたか?、等々。私がどこにも行ってない、食べてないという話をすると、「勿体無いね〜、あそこまで行って汽車だけ〜?」と、言われてしまいました。今回の使ったお金は交通費とキャンプ代と僅かな食費代だけ。2泊3日で一万円使って無かったと思います。自分でもこの予算でよく行って来たなと感心していた位でした。せめて蕎麦位は食べて来れば良かったと、帰って来て本当に思いました。

その後この大井川鉄道は、暫くSLが走る事は分かっていたので次に行ったのは随分と後、翌々年の早春でした。その時はもうキャンプは止め、兄の言っていた寸又峡温泉の民宿に泊まり温泉も味わいました。しかし美人の湯と言われている泉質を味わう訳でも無く、温泉街を堪能する訳でも無く、今では有名な夢の吊り橋に行く訳でも無く、唯一、当時はまだアプト路線では無い森林鉄道のような井川線をのんびり乗り鉄をしたのがいい思い出です。その後も大井川鉄道には随分と通いましたが、相変わらず勿体無い旅行を続けていました。これはやはり資金的な物がそうさせるのだと、そろそろ気が付いてました。やはりわざわざ遠い所まで出かけるのだから、せめてそこでしか出来ない経験は最小限でいいからしてくるべきだと少しずつ思うようになって来ました。

この後私は、国鉄のSLが無くなってしまった事で結構虚脱状態になってしまい、暫くは都心近辺でSLと同じように無くなってしまう機関車や電車等を撮影していました。今までは自分で計画してSLを追いかけて旅行していたのですが、そのうちに友人からの誘いも多くなり、次第に私は鉄チャンの世界で言うと所謂「無くなりマニア」になってしまい、次々と無くなっていく物を追いかけるようになり、資金が貯まると直ぐに次の目的地に行くといった行動を取るようになって行ったのでした。なので勿体無い旅行はまだまだ続くのでした。

大井川鉄道のSLです。これは4回目位に行った時の写真です。SLが復活してまた見れるとは思ってもみませんでしたf:id:x-japanese:20211023170343p:image