前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

222.鉄チャン旅行の思い出24 復活SL編PART1

鉄チャンシリーズもかなり書いて来ましたが、マニアックな事はまだまだあるのですが、一般受けする話題はこの位にして(十分マニアックでしたか?😅)、そろそろ打ち止めにしたいと思っています。最後に私の大好きなSLの事を書いて終わろうと思います。このブログの勿体記憶シリーズや、その付録でも結構書いてますが、SLという物は何故だか自然とその魅力に惹かれてしまいます。今だに観光目的ではありますがSLを復活させている所がありますが、それなりに人が集まっており、皆さんもやはりその魅力に惹かれる物があると思います。

私の小さい頃は既に近隣にはSLは走っておらず、当初は近所に走っている西武線や山手線を見て、今で言う「子鉄」となった訳ですが、何故SLに興味を持つようになったのかと言えば、それはフーテンの寅さんの映画の影響が大きいと思います。161回目のブログにも書きましたが、小さい頃、怪獣映画を見に行った時のカップリングでフーテンの寅さんをやっている事が多く、その映画には頻繁にSLが出ていたのです。そのSLを見る度に、本物が見てみたいと思っていた物でした。しかし、子鉄時代にSLを実際に見たのは数える程。東京近郊には、八高線川越線等にSLは走っていたのですが、小学生では中々遠出をする事は出来ず、父の田舎の北陸本線と千葉に海水浴に行った時の総武線程度。その後は会津、北海道となる訳なので、親には本当にもう少し早く産んで欲しかったと嘆いていた時もありました。それではSLの思い出、と言うか、最近復活して走っているSLについて、197勿体無い記憶の付録で書いた内容のおさらいのようですが、書きたいと思います。

まずは現役バリバリの北海道のSLをご覧下さい。追分機関区に休む、日本の代表するSL、D51です。北海道型でスノウプラウ(車輪の前の雪除けです)と補助灯、デフレクタ(車体の横に着いている板のような物です)が短めになっています。現在、栃木県の真岡鉄道に保存されています。このSLは両数が多い分、その地方によりさまざまな特徴があったのです。実際に見たからなのでしょうが、私はこの北海道形が一番好きなD51です。愛称デゴイチ、デコイチとも呼ばれていたようですが、どちらが正式かは諸説あるようです。このSLは何と1,115両も作られており、日本のSLの最高傑作と言われています。

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これは最後のSL貨物を引いた241号機です。ブレているのが残念😢f:id:x-japanese:20240210230635j:image

このD51で一番人気だったのは、何と言っても伯備線だったと思います。このカマが何と3両連なって走るという三重連が大人気で、この勇姿を撮影しようと鉄チャンで無くても多くの人達が訪れていたようです。またこの三重連が、無くなりつつあるSLの時代と重なりSLブームの火付け役になったと言われています。また九州の肥薩線も、電気機関車でもかなりキツい勾配を登る姿が人気を博していました。ここのカマは峠越えのゴツい山男のようで、大きな集煙装置と重油併燃のタンクが圧巻でした。また関西本線中央本線のカマも人気があったようです。また古くは東北本線や、北陸本線の旧線を走るカマも人気を博していたようです。これらは私はもちろん見た事が無く、写真やネットでしか見ていません。本当に一度でいいから見てみたかったと思います。

とにかくSLの魅力といえば、その迫力と人間味です。石炭を燃やして水を蒸発させ、その蒸気で動くのですから当然近づくと暖かく、出発する時や峠を登る時のドラフト音(シュッシュという音です)はまるで人の息づかいのようです。機関区では石炭を積み水を入れ、さらに燃えカス等の処理をしたりします。それがまるで食事や排泄のようで、本当に人間のような機械だと言われています。また日によって調子の良し悪しがあったり、地方によってさまざまな特徴があったりと、まさに人間そのものだと思います。このSLは1975年の暮れ、国鉄線から引退したのです。

そしてそれからが大井川鉄道を皮切りに、SL復活の歴史がはじまります。まずは横浜開港記念のSLをご覧下さい。大井川鉄道以外は、暫くは復活というよりは、このような記念列車をSLで走らせるというイベントが多くありました。

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まずはピカピカ過ぎなSLに少々幻滅したのを覚えています。また煙突の部分が違うと、誰の目で見ても分かると思います。これは当初、山口線で復活したSLも同様の煙突だったのです。これは「集煙装置」と言い、SLの出す煙から運転士を守る為の物ですが、どうでしょうか。現役のSLと比較してみると、その不恰好さ(失礼🙇‍♂️)に興醒めしてしまう姿だと思いませんか。伯備線肥薩線で見る集煙装置は、それはそれはSLにマッチしていた物でしたので、そういった物を参考に作る事が出来なかったのかと思ったものでした。山口線に復活した時、何とかSLの撮影に行きたかったのですが、当時は資金的にも時間的にも厳しかったのも要因でしたが、この煙突が気に入らなくイマイチ行く気分が盛り上がらなかったのも原因でした。

次は秩父鉄道のSLです。この鉄道にSLが走ると聞いた時は、本当に信じられない思いでした。自宅からのアクセスも良い為、復活したら毎週のように通いたいと思っていた位でした。しかし、初めてそのSLを見た時の、やはり興醒め具合が半端無かったのです。

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このSLの前面と炭水車(石炭を積んでいる車両です)の横に、デカデカとペイントで何か描かれています。ランボード(動輪の上の人が歩ける部分です)には横に金色のラインが塗られていました。また動輪を繋ぐロッド(棒の事です)までが赤く塗られていました。それらが、まるで遊園地の模型列車のように見えました。この姿を見た後も数回撮影に行きましたが何だかSLとは思えず、その後は足が遠のいてしまいました。またその後、同じ形式のSLが岩手県でも復活したのですが、はやり興醒めしたのは全面のライトがシールドビームという小型のライトだったのです。私が行った時の会津のSLもこのライトでしたが、ここは小型のSLだった為、何とか許容範囲だったのです。

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しかし、中型以上のSLにこの小さなライトは本当にバランスが悪くて似合わなく、岩手県のこの路線はかなりの急勾配で迫力があり触手は動いたのですが、ここはついに行きませんでした。今年で運行が終了する噂があるので複雑な思いがありますが、このまま行く事は無いかなと思っています。

次が東武鉄道のSLです。ここは東武のかなりの本気度が分かり、復活した後も更にその運行本数を増やし続けて、現在多い時には4往復のSL列車を走らせています。ここも復活後、直ぐに行きたかったのですが、ここのSLの煙突がちょっと幻滅した物だったのです。本当に昔の家の煙突みたいで(本当に失礼🙇‍♂️)、とても撮影意欲は湧きませんでした。しかし、このSLは、北海道で当時使用されていた二つ目のライトが装備されていました(カニ目と呼ばれていました)。この形態は見た事が無く、見たいけどあの煙突が邪魔をするという心の葛藤(ちょっとオーバーかな😅)が続きました。そして、最近になってやっと行って来ました。このSLは以前JR北海道で復活した物を東武鉄道が引き継いだのです。この形式は大井川鉄道を初め他でも走っているので、このカニ目の形態をそのまま残して走らせてくれた事には、東武も中々やるなあと思いました。初めて見るこのカニ目には中々感動モノでしてが、やはりこの煙突は本当に勘弁して欲しいと思いました。

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ここにはその後、真岡鉄道から譲り受けた仲間が加わり、今年は更にもう1両加わり、3両体制となります。その2両のSLはこのような煙突では無く普通の煙突です。普通の煙突で問題無いのなら、早くこの煙突は変更して欲しいと思っています。長くなったのでPART2へ続きます。