前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

321.私の会社員時代、やってらんない記憶.55

この1ヶ月はいよいよ東京マラソンへの最後の仕上げとなります。暫くランニングの記事が混在しますので、よろしくお願いします🙇‍♂️。今回はシリーズに戻って、苦情は初期対応を間違えなければ大丈夫という事例を書こうと思います。

これはちょっと話が複雑なのですが、ある顧客で後継者夫婦が離婚する事案がありました。この顧客の社長は弊社の社長と仲が良く、結構慎重に対応していた顧客なのです。その社長の娘が後継者で、ある時、婿と離婚になったのです。そしてこの夫婦の自宅を弊社が販売の担保として預かっていたのです。しかし離婚した以上この資産を整理する必要が出て来ます。なので担保の差し替えを依頼されていました。新しい担保物件を預かり、この自宅の担保を外す手続きを依頼されていました。

そしてある日、その社長から怒りの電話が店長に入ったのです。どうも娘の自宅の担保をまだ外して無かった事が発覚したのです。担当者が放ってしまっていたらしく、店長は真っ青になり只々社長に平謝り。その怒りようは相当な物だったそうです。さっそくリーダーである私に指示がありました。その担保の解除を速やかに確実にするようにとの事でした。しかし問題はそれだけでは無く、厄介な事が一つありました。それは、担保の解除と同時に、土地の婿の名義を娘に変える手続きもお願いされていたのです。その辺の資金のやり取りも終わっているとの事だったのです。それには別れる婿の印鑑と印鑑証明書が必要だったのです。これには参りました。そして早速娘の所に行くと、既に別居しており連絡先はケータイしか知らないとの事。また、もう彼とは話はしたくないとの事でした。

当然に手続きをしなかったのは弊社なので、こちらから婿に連絡をして、この依頼をしなければならなくなりました。全くこの担当者の為にこんな厄介な仕事をさせられて、この手続きには結構精神的にも悩みました。もしこの書類をくれなかったらどうなるのだろう、うちの社長に知れたらどうなるのだろう、と思うと胃が痛くなる感じでした。これは細心の初期対応が必要と、色々と考えました。そして翌日の昼過ぎ、その婿に電話を掛けました。まずこう言った迷惑な話は、朝一番はダメ、お腹が一杯の時の午後一番にするのがベストと本で勉強した事があるのです。逆に昼食前は御法度だそうです。お腹が空いてイライラするからかな😵?

そして今般のミスの説明をして、重ねてお詫び、そして必要書類の依頼をしました。すると案の定怒りの言葉が。前の担当者にこれで最後だよな、と確認したのになぜ今また必要なのかと詰問されました。これには只々謝るしかありませんでした。本当にこれを最後にするので、こちらから出向きますと伝えると、意外な事に店に来るとの回答。当日は万全の準備を整え店で待っていました。

そして時間の5分前に店の入口に立って、左右からやってくる人を見ていました。すると肩を怒らせ早足でやってくる男性が見えました。この人に間違え無いと、足早に店の中に入り、やって来るのを待ち構えていました。そしてドアが開いた瞬間、「お待ちしておりました。〇〇様ですよね。こちらへどうぞ」と言い応接室へ案内しました。そしてまずはお詫びと手土産を差し出し、「この度は本当にご迷惑をお掛けいたしました。お詫びいたします。」と畳み掛けるように言いました。そしてコーヒーとお茶菓子を差し出し、座ってもらいました。

すると婿は、「あなたとは初めてなのに、何で私だと分かったのか」と聞いてきました。その辺りははぐらかし、とにかく弊社の担当の不行き届きであり、その経緯の説明をしました。そして必要書類の説明をして、納得してもらいました。婿としては苦情を言ってやろうと思った出鼻を挫かれたような感じだと言っていました。それからは婿も腹を割って話してもらいました。やはり後ろ向きな手続きというのは辛いもの、一回で済まして欲しかったと言っていました。それには共感の言葉を忘れずに、再びお詫びの言葉を言いました。最後には、私が間に入るのならこれからも別に構わないから連絡してくれてもいいとの言葉をもらい、最後は笑って帰って行きました。

この手続きが済んで、書類を事務に渡し、間違いが無い事を確認すると、ホッとして自分の席に戻り暫く突っ伏していました。その後は店長に報告、良くやったとお褒めの言葉をもらい、担当者からもお礼を言われました。しかしこの一件は相当なストレスだったと思います。もし失敗したらと思うと今でも心臓がバクバクして来ます。その場合は担保の解除はもちろん、名義の変更もできず、社長から訴訟を起こされ、もちろん取引解除です。うちの社長からは何と言われたか。そんな重責を私一人に押し付けた店長もどうかと思いましたが、こんな修羅場をくぐり抜けないと、上に立てないと思い、良い経験をさせて貰ったと思うようにしました。今でも思い出すと冷や汗が出て来るこの一件。今はもうしたくないな〜と思います😅。

ゴルフも仕事も、こんな清々しい気持ちでやりたいものですf:id:x-japanese:20220824231334j:image

 

 

320.私のダイエットとランニング体験記、東京マラソンへの道30

いよいよ始まった坂地獄、そして23㎞辺りからはさらに、脚にダメージも溜まり始めます。それでも何とかペースを維持して走ろうと必死に頑張ります。25㎞では低血糖にならないようにブドウ糖も摂取。ペースランナーを追いかけ、何とか歩かず27㎞の第三関門まで辿り着きました。ここも無事通過。しかしさすがに脚がアラームを出し始めます。ここのエイドで屈伸やストレッチをやり、少し休憩。前回はここで妻に抜かれたなあ、などと思い出しながら後方を見てみましたが、妻の姿はありません。ケータイにも連絡は無いので、そのままスタート。しかしこの先には、想定外のもう一つの坂が待っていたのでした。

これはぼんやり覚えていましたが、この27㎞過ぎから急坂の間にある、館山カントリーゴルフ場辺りの坂です。ここも長い坂が二段続くのを思い出したのです。これは今回のレースプランでは全くの想定外でした、と言うよりは忘れていました😵。今の疲労具合とこの後の走りを考えると、さすがにこの坂は歩いてしまいました。そしてこの後の待ち構える30㎞を超えた所にある急坂までが、今回のレースの一番キツイ所でした。要するに、ダラダラ坂、二段坂、急坂と、このコースは地獄の坂が3っあるのでした。これは想定外のタイムロスになりました。そして何とか30㎞地点に到達。とりあえず今回の最低のノルマは達成しました。f:id:x-japanese:20230131124110j:image

タイムは3時間26分。あと3㎞行けば最終関門を通過です。十分に余裕はあります。脚はまだ何とか大丈夫そう。この先の急坂は想定通りにゆっくり、上半身のストレッチをしながら歩きました。肩凝りが出ないようにです。この肩凝り対策も今回はして来ました。肩にファイテンのシールを貼る程度ですが、これも効果があったのでしょうか、肩凝りはそれ程出ませんでした。そして坂を登り終え、今度は下り坂を飛ばし過ぎずに慎重に走ります。かなり太ももの前にダメージを感じますが、我慢しました。そして大きく左にカーブ。

するといつもの私設エイドがありました。ここはおにぎりやコーヒー等、たくさんの種類をいつも用意してくれるエイドなのです。丁寧にも「全員コロナの検査済み」というポスターまで掲げてありました。私はこれには大感激。暖かいコーヒーとおにぎりをいただき、感激で泣きそうな気分で味わいました。ここでも少し休憩。元気をもらい、そして皆さんに何度も御礼をしました。そして、ストレッチを入念に行いサプリを補充、33㎞の最終関門に向けてダッシュ。無事に通過出来ました。f:id:x-japanese:20230131125253j:image

この時のタイムが3時間53分でした。ここでラスト9㎞です。私はここで、意外に早く走って来れた事に気が付きました。脚もまだ前に出る感じです。これもピッチ走法に変えたお陰か、いつもならこの辺でかなりへたばっている所です。そしてあと9㎞です。もしかしたら5時間を切れるかも知れないと思ったのです。そう思うと心に火が付きます。ここで最後のサプリを一気に飲み、とにかく頑張ってみようと気合を入れました。しかし脚はさすがにダメージが溜まって来ています。平坦は走り上り坂は歩きという感じで走って行きます。このペースで何とか5時間切りは出来ないか、歯を食いしばって頑張りました。しかしマラソンはそんなに甘くはありません。段々と脚が前に出なくなって来ます。それを必死で前に出します。時には立ち止まりストレッチ、屈伸。そしてまた走り出します。周りを見てみると他の人達もここまで来ると苦しそう。皆、頑張っているんだと思い、気合を入れて走りました。

しかしついに脚が痙攣気味になって来ます。それでも何とか持っている状態でした。走っちゃ止まりストレッチと屈伸の繰り返し。しかし、39㎞まで来て残り時間は17分。f:id:x-japanese:20230131130440j:image

さすがに5時間切りは諦めました。しかし次に目標にしたのは最後まで走る事を考えました。脚は攣りそうになりながらも何とか持っている状態でした。既にペースはキロ7分は越えて、殆ど歩いている感じでしたが、歩く事だけは止めようと頑張りました。コースには段々と応援の人が目立ち初めます。YOSHIKIの桟橋が見えて来ました(174回目のブログをご覧下さい😅)。あと少しあと少しと言い聞かせながら、ゴールへとひた走りました。f:id:x-japanese:20230131130843j:image

そして自分達の宿泊しているホテルが見えて来ました。あと少し、応援も大きくなって来ます。道が右にカーブします。その先の橋を渡ると左に折れて、運動公園に入るとゴールです。私は意地でも歩くまいと、必死で脚を前に出しました。そして橋を渡るとその先には応援の人達が待ち構えていて、たくさんの声援をくれます。思わずジーンとして、よくここまで走って来たと思います。そして左へ曲がるとゴールです。感動的なシーンでした。正式タイムは5時間8分44秒でした。f:id:x-japanese:20230131131150j:image

十分満足なタイムでした。妻も、その後少し遅れてゴール。故障の後のレースで怪我を心配しましたが、何とか無事にゴール出来ました。f:id:x-japanese:20230131131356j:image

とにかく2人無事でゴール出来た事に大満足。良かった良かったと、まるで若者のようにはしゃぎました。夏頃から始めた練習の成果がしっかり出た事と、準備をしっかり行った事で、想定以上の結果が出た事にとても満足、そして自信に繋がったのでした。まだまだやれば出来ると思ったのです。私は特に、この結果に、東京マラソンは5時間切りを目標に頑張ろうと決めたのでした。とにかく大感激なこのレース、本当に辛かったですが、最高の結果に本当に頑張って来て良かったと思ったのでした。やっぱり館山は最高。本当にキツイコースですが、来年もまた来たいと思ったのでした。

そしてその夜の夕食は、今日の激走に対するお祝いの酒盛りです。本当によく頑張った。それしかありませんでした。その最初の一杯のビールの味は最高でした。f:id:x-japanese:20230131132458j:image

とにかくこの半年、頑張った満足感で一杯。東京マラソンの事は暫く忘れて、今日のランの満足感を十分に味わったのでした。

翌日は、マラソンの緊張感から解き放たれ、のんびりと観光方々帰ります。まずは我々の大好きな「なかぱん」に寄って、美味しいパンやピーナツクリームをたくさん買い込み、お土産にしました。このパン屋さんはYOSHIKIやToshIもよく通っていたパン屋さんです。この平仮名の字体がなんとも可愛いです😊。f:id:x-japanese:20230131132800j:image

また隣町の富浦町にある、「道の駅琵琶倶楽部」にも寄って行きます。ここの琵琶ゼリーは有名で美味しいです。そしてこの時期、いちごも安い価格で売っているのでお土産に買って帰ります。そしてここは何ともいい景色なのです。里山の風景と言うか、ほのぼのとした景色が、マラソンの疲れた身体を癒してくれる感じで、我々はいつもここに寄って、暫くぶらぶらしてから帰ります。f:id:x-japanese:20230131133331j:image
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この場所を暫くぶらぶら。痛い脚を引き摺りながらの散歩も中々格別です😅。このひと時も本当に清々しい気分。また練習を頑張り、いつまでも走る事を続けたいと思ったのでした。そして、次はいよいよ本番の東京マラソンです。まだまだ挑戦は続きますので、この後も乞うご期待です😊。

 

 

319.私のダイエットとランニング体験記、東京マラソンへの道29

ラソン当日、我々はスッキリ起きられ、体調もまずまず。妻の膝の具合も、接骨院の先生のお陰で大丈夫そう。ただ、自分の両太ももから腰の辺りが少し違和感があります。昨日のマラソンクリニックで、金さんが結構ハードな体幹レーニングをしていたので、その後遺症かもしれません。これは以前にもあったのですが、その時は、その後走ってみるとそうでも無かったので、今回もそうだと信じて気にしない事にしました。そしてまずは受付を済ませます。久しぶりの大会ですが、まだコロナ禍でもあるのでコロナ対策はしっかりと行われており、当日の朝に健康チェックを受けないといけないのです。まずは一番でこれを済ませる為に会場へ向かいます。

ホテルを出ると外は結構な寒さ。これには妻が驚きました。こんな寒い館山は以前に一度きり。その時は小雪が舞っていたのですが、それに匹敵する位な寒さです。妻は急に怖気付いてしまい、弱気になってしまいました。途中でリタイヤした場合、この寒さをどうしようと言い出します。私はそんな妻を励まし、会場に向かいました。会場へは歩いても5〜6分程度。海の向こうには昨日見えなかった富士山が見えました。そして運動公園の会場が見えて来ます。これには2人して気分が高まります。とにかくここまで来たらあとはやるだけ、頑張ろうと覚悟を決めたのでした。f:id:x-japanese:20230131101403j:image
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そして一旦ホテルへ戻り朝食を済ませると、いよいよ緊張が増して来ます。ここは会場に近いので、スタートぎりぎりまで部屋に居られるので、その点は本当に楽でした。何とか懸案のトイレもクリア。準備としては万全な状態です。そしてスタート前のサプリを飲み、いよいよ出発です。しかしこの時点でも、しっかり練習を積んで来たのだから何とかなるはずと言う気持ちと、もしかしたらダメかも知れないと言う気持ちの交錯はまだまだ続いていました。最後は開き直る感じで、お互いの健闘を祈りホテルを出ました。

沿道には応援の人達が集まり出しています。アップをしているランナーもいます。警察や警備の方達が交通整理をしています。いよいよ始まると思うと、また心臓がバクバクして来るのが分かります。そして会場に荷物を置き、スタート地点へ向かいます。菜の花が、ランナーを出迎えるように咲いています。この大会はこんな景色に本当に癒されます。そして、今回は一番後方からのスタートにしていましたので、列の後方へ向かいます。f:id:x-japanese:20230131102428j:imagef:id:x-japanese:20230202075744j:image
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後ろに並ぶと、久しぶりに見るこの光景。これを見たのは本当に3年前のこのレースです。あれから3年。あの時は自分の前立腺癌の治療の後、回復度合いを試す為に走ったのですが、まさにその時が思い出されました。そしてその後のコロナ禍。長い長い自粛生活が終わり、やっとこうして平常な世の中が戻って来たんだと思うと、本当に良かったと思ったのでした。こうやってまた走れるだけでも良しとしないとバチが当たると思い、今日はとにかくやれるだけの事をやろうと、改めて覚悟を持ったのでした。するとやっと心も落ち着いて来たのでした。

そしてスタートです。この瞬間が一番盛り上がります。皆、拍手をして走り出します。皆んな幸せそうです。街の応援の人達も凄い声援、やっとこの日が戻って来たね〜、なんて言っている人もいました。そんな感動と、頑張れ〜と声援を受けながら、我々はスタートしたのでした。走り出してみると、太もも辺りの違和感は残っていますが、走りに支障は無さそう。気にしないで頑張る事にしました。とにかく完走を目指そう、最初は飛ばし過ぎ無いように、と走り出しました。

今回はかなりサプリメントに注意を払いました。その為ウエストポーチには6種類のサプリと携帯電話が入っているので、結構重い感じがしました。走り出して直ぐに、このポーチに荷物が入っている感覚の練習をしていなかったと思いました。結構重いので、お腹の辺りに当たったり、また腰骨の辺りに引っ掛かったりして、走りにくいのです。これには参りました。しかしその為、スピードを出せなかったのが返って良かったのかもしれません。

前半はキロ6分15秒から30秒辺りで推移。まずは入りの5㎞は順調に走れました。妻とはこの辺りでお別れ、めいめいのペースで走る事にしていました。私はこの辺りから6分15秒ペースで走る計画でしたので、時計を確認しながら走りました。しかし思ったようにスピードが上がりません。それどころか、太もも辺りが何となくダルい感じになって来ました。やはり昨日のマラソンクリニックの後遺症があったのか、その後もダルい症状は続き、精神的にはかなり焦った走りになってしまいました。それでもまずは10㎞の関門を無事通過。1時間5分位で通過出来ました。

このレースでは、金さんのアドバイスで三分割法を取り入れていました。これは42㎞を14㎞、28㎞と分けて前半、中盤、後半と分けて走る事です。1㎞とか5㎞は意識せず、とにかく前半はウォーミングアップのつもりで、中盤は後半への準備のつもりで、後半は全てを使い果たすつもりで、と意識して走れというのです。なのでこの10㎞過ぎからは後半の準備のつもりで、サプリを多く摂取しました。またこんな冬でもマラソンでは大量の汗をかくので、ミネラルバランスを壊しがち。塩分のサプリも気をつけて摂るようにしました。そのお陰か、18㎞辺りからはダルさも取れ始め、まずまずのペースで走れるようになって来ました。f:id:x-japanese:20230131110432j:image

この辺りは菜の花が沿道に咲いていて気持ちのいいコースです。少し下っているので飛ばしたい気分ですが、それを抑えてペースを乱さないように頑張りました。大体5㎞ごとにあるエイドにもしっかり立ち寄り、水分を補給。このマラソンのエイドは暖かい麦茶も用意してあるので、本当に助かります。しかしまだまだコロナ禍、エイドの種類は昔程は無く、また地元の人達の私設エイドも殆ど見られませんでした。これにはまだまだコロナ禍なんだと痛切に感じました。

そして21㎞地点の第二関門も難なく通過。タイムは2時間13分程度だったでしょうか。妻の事が少し気になりましたが、ケータイに何も連絡は入ってないので大丈夫なんだろうと、後半に向けて頑張ろうと再度気合を入れたのでした。この辺りから少し曇って来て、結構寒くなって来ました。時折小雨が舞いますが、降る程では無く、何とか終わるまで持って欲しいと思いながら走りました。またこの辺りでいつも悩まされる腹痛も、今回は事前準備が功を奏してか起こらず、順調に来ていました。

そして中盤も坂の多い所に差し掛かって来ます。まずは第二関門の先にある歩道橋が目印の坂に始まり、そしてその先、左へターン。この辺りは結構応援が出ていました。そして、いよいよ我々がコメリ坂と呼んでいる、23㎞辺りから始まるダラダラ坂に入って来ました。ここから第三関門の27㎞までが、正に正念場。とにかく歩かず何とか6分間15秒から30秒の間で走るよう、気合を入れたのでした。すると前方に集団がいるのが目に付きました。頭に風船を付けた人もいます。ペースランナーです。何時間のペースランナーなんだろうと一生懸命走って近づきますが、中々差が縮まりません。しかし何とかあの風船を追うように走りました。これが功を奏したのか、何とか歩かずに27㎞関門まで到達出来たのでした。つづく。f:id:x-japanese:20230131113349j:image

 

 

318.私のダイエットとランニング体験記、東京マラソンへの道28

今日は2月1日です。今回は、1月29日に走って来た、館山若潮ラソンの事を、3回に分けて書こうと思います。予報では週末の天気はいい天気。3年振りのフルマラソンになる我々にとっては、本当に有り難い天気になりました😊。しかし館山にしては結構寒い予報。寒さ対策をしっかり準備しての出発となりました。東京マラソンの練習とは言え、昨年の夏頃からの練習の成果が一体どれくらいなのかが全く見当が付かず、また3年経ったこの身体は、どれくらい年齢を感じるものなんだろうと思うと、当日までは妻と2人してかなり不安な日々を過ごしていました。

館山へは車で、前日の土曜日に入りました。いつもは途中に観光とか入れたり、地元の食事を楽しみながら館山入りをするのですが、この日は、マラソンの解説でお馴染みの、金哲彦さんの「マラソンクリニック」を予約、少しでも不安を抑えたく、参加する事にしていたのでした。金さんは館山マラソン大使を務めていて、毎年この大会に参加しており、その中でこのマラソンクリニックを開催してくれています。

その為、昼前にはもう館山の北条海岸に着いてました。ここの海岸で時間までぶらぶらします。ここに来ると私は、X-JAPANYOSHIKIとToshIを思い出します。彼等はこの館山出身、彼等が若い頃は良くこの海岸で遊んでいたようで、私はいつもここにやって来ると感無量になってしまいます。最近、またまた不仲説が飛び交っていますが、本当に2人には、Xの原点のこの海岸に来て、活動再開の話でもして欲しいと思ってしまいます😔。それにしても何回来てもここの海岸は本当に気持ちがいい。明日のマラソンの活力を貰ったような気になりました。f:id:x-japanese:20230130232817j:image

そして、この金哲彦さんのマラソンクリニックに参加。このイベントは参加費が1,000円ですが、ストレッチのやり方や体幹レーニングのやり方、ランニングに対する質問コーナー、また翌日のマラソンの為の軽いランニング等、2時間そこそこですが結構盛りだくさん。また今回は特別にプレゼントが当たる抽選会があって、私はトレーナーが当たり、元が取れたのでした。また幸先のいい事が起きて気分はルンルン(ちょっと古いか😅)、いい気分で会場を後にしたのでした。f:id:x-japanese:20230131072303j:image
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そしてこの後は、ここのマラソンに来ると恒例となっている、YOSHIKIとToshIの家を巡る初詣です。迷惑にならないように車で通り過ぎるだけですが、これも3年振りの初詣。明日、無事に走り切れますようにと願を掛けながら、また早く2人がXの活動を再開するように拝みながら通り過ぎました😅。

その後はホテルにチェックイン。今回は私のトイレ対策で、スタート地点に近いホテルを予約しました。いつもは駅に近いビジネスホテルを取っていたのですが、そこからだと朝早めに出る必要があるので、今まではトイレ調整が上手く行かなかった事が多くあったのです。少し宿泊費が高く付きますが、今回は色んな事に万全を喫しました。

このホテルは目の前が北条海岸です。そして目の前に日が沈みます。この日は結構寒かったですが、妻と2人して夕日を見に海岸へ出てみました。まだ少し早かったので、少し海岸を散歩しました。海岸には夕日の景色を見ようと結構人が出ていました。YOSHIKIやToshIもこんな風にこの海岸を歩いていたのかと思うと、またまた感慨深くなってしまいます。そして、こういった夕暮れ時と言うのは何となく寂しい感じになり、明日のフルマラソンが急に不安になって来ます。

そもそもこの大会は、東京マラソンの前哨戦なのです。フルマラソンの1ヶ月前には30㎞走をやっておいた方がいいという事で、この館山若潮ラソンをそれに充当して、練習の位置付けにしていたのでした。とりあえず30㎞を走り切れればいいという目標で、当初は参加を決めたのです。ちょっとオミソ感覚のフルマラソンでしたが、やはり走るとなれば我々は段々と力が入って来ます。この館山はご存知の通り、X-JAPAN発祥の地。フルマラソンの復活には本当に相応しい場所でもあるのです。やっぱり頑張って完走は絶対にしたいと欲も出て来る感じです。目の前には暮れゆく夕日が見事。不安の傍ら、何とか完走したいという感情が湧き出て来ます。

そんな事を妻と話しながら歩いていると5時になりました。街中にForever Loveのオルゴールが響き渡ります。こんな綺麗な夕日を見ながら聴くこの音は、本当に我々を後押ししてくれるように感じ、我々は2人して、暫く海岸に佇み、沈む夕日を見ていたのでした。f:id:x-japanese:20230131075907j:image

そしてホテルへ戻ります、と言っても、海岸のすぐ後ろがホテルです。ホテルからも十分景色は見れるので、身体も冷える事だし、後はホテルから見る事にしました。そしてそこからの眺めもまた格別でした。私は海岸沿いの夜景が大好きなので、この景色は本当に最高。ここからも飽きずにいつまでも眺めていました。f:id:x-japanese:20230131080256j:image

こんな景色を見ていると、このままずっとこの景色を見ていたい、明日がマラソンなんて思いたく無いといった臆病風が、またまた吹き始めました。このような心の葛藤は、精神的には結構参ります。何とか心を立て直し、明日の準備を始めたのでした。まずは夕食。前日はもちろんお酒は無し。そしてご飯を多めにいただきます。ホテルの宿泊者も、殆どが明日のマラソン出走者かまたはその家族。その関係なのか、食事も幾分さっぱり系な感じでした。これは胃腸にも優しい感じで、とても助かりました。

そしてその後は明日のウェアの確認、サプリメントの確認。妻はテーピングの確認とホッカイロの確認😅。ゼッケンを付け、シューズにチップを装着すると、いよいよ精神的に盛り上がって来ます。その後は風呂に入り入念なストレッチ。そして早々と就寝です。大体フルマラソンの前日は、興奮して直ぐに眠れないのですが、この日は割と簡単に眠る事が出来、翌朝はかなりスッキリと寝覚める事が出来たのでした。カーテンを開け窓辺から海岸を見ると天気は快晴。少し武者震いのようになり、身体が震えましたが、ここまで来たらやるっきゃない!。気合を入れて頑張ろうと思ったのでした。つづく😊f:id:x-japanese:20230131084553j:image

 

 

 

317.私の会社員時代、やってらんない記憶.54

バカ店長の苦情の思い出は腐るほどありますが、その中でもやってらんない事案を書こうと思います。

ある日、公的団体の信用枠を使って商品を販売する案件を進めていた担当がいました。285回目のブログでも書きましたが、この枠を他社が黙って使っているという事案が当時は多くあったのです。そしてこの顧客もその被害にあっていました。そしてその結果弊社での販売はゼロでは無かったですが、かなり少なくなってしまったのです。これに顧客が激怒。店長を出せと苦情の電話があったのです。

こう言った苦情は大体は最初はリーダーの出番となります。店長は最後に出るものなのです。しかしこの店長はそんな覚悟みたいな物は全く持ち合わせて無く、「リーダー行って片付けてきて!」みたいな軽いノリで指示があったのです。そして終業後に担当と2人で顧客に訪問しました。そしてこれが結構な時間が掛かったのです。かなりの怒り様であり、私もこれには結構参りました。他社の担当の説明がされて無い事が原因なのに、大体こう言った事象の時は、比較して小さい会社の方に怒りの矛先が向く事が多いのです。そして約3時間、何とか説得して店に帰って来ました。もうクタクタでした。するとそこには営業数人が待っていました。

若い連中は帰っていいと言っていましたからそれはいいとして、肝心の店長が居ません。部下に、店長はどうした?と聞くと、あの後直ぐに飲みに行ってしまったとの事。私はこの時位、腑が煮えくり返った時はありませんでした。何でこんな無責任な人が店長になるのか、本当に憤りを感じました。普通は帰って来るまで待っているのが店長だと思いました。今頃既に出来上がっていい気分で電車に乗っているのかと思うと、只々無力感しかありませんでした。

翌日出勤すると特に労いの言葉も無く、何事も無かったような、いつものように社員とダベッている姿には本当にうんざりしたものでした。昨日帰った事はまだいいとして、その後の結果とか気にならないのかと思いました。私も特にどうのこうの言うのは止めて、諦めの境地でいたのでした。

そして、この店長がその後は顧客からの評判を落としまくり、その後、苦情を通り越して案件まで来なくなって来たのです。ここまで行くと世も末です。この辺りから、我々営業や女性達からの内部の苦情が本部に上がる様になって来ました。そして唯一の味方であった事務の男性達からも、何と無く距離を置かれて行くようになったのです。258回目のブログの日本酒事件はそんな時にあったのです。その時の女性達の苦情にはさすがに本部も動き出しました。内部の苦情が本部に上がるというのは、この頃はまだコンプライアンス等はそれ程うるさく無かった時代でしたから、相当なインパクトだったと思います。それも店長です。これにはかなり本部も狼狽えたと思います。

ある日、本部の役員がいきなりやって来て、営業のリーダーである私が呼ばれました。店長の仕事振りについてのヒアリングでした。私は今までの事を全て話しました。本当にやってらんない人である事を赤裸々に報告したのです。その後、女性のベテラン社員や一般の社員まで5人位のヒアリングがありました。その結果、この店長は次の異動で左遷される事になったのです。しかし顧客の信頼は中々取り戻せません。

私はその後、この店長の異動が決まってから、主要な顧客にかなりの頻度で訪問し、売込みを図りました。またVIP先は全て私の担当として数字の管理を行いました。集金までリーダーが行うなど、前例があまり無い事までやり、とにかく顔を出して売込みに躍起になったのです。そして新しい店長も赴任、その店長は何と私の高校の先輩でした。これには一気にやる気が出て来て、それに釣られて営業全体も活気が出て来て、何とその年は最優秀店舗までは行きませんでしたが、優秀店舗を取る事が出来たのです。それは翌年も続きました。私はこの現状に本当に満足していて、仕事も大変ながらも本当に楽しかった時期でした。

そして私は別の店に異動、その後本部に移りました。するとそこで信じられない事が起きたのです。何とそのバカ店長が、新しく出来たコンプライアンスの部署の役員に抜擢されていたのです。これには完全に学閥とゴルフ仲間、飲み仲間のコネがあったのです。この店長は当時の事務の役員と同じ大学、そして飲み仲間、ゴルフ仲間だったのです。そのツテで店長になったのは周知の事実でした。そしてこんな醜態が明らかになっても、まだこのツテの影響が生きているのが、私にはとてもショックでした。この時、この会社に未来は無いと思いましたし、まず最初に定年後には絶対に継続して勤める事はしないと、この時に誓ったのでした。

まあ、こんな奴が最初の役員だったから、この会社のコンプライアンスはハチャメチャになってしまったのだと思います。本当に上に立つ人がどうしようもないと、部下はもちろん会社自体も疲弊して来ますよね😵。

バカの字には馬が入ってますが、可愛いお馬さんには本当に迷惑な話しだと思いますf:id:x-japanese:20220824232225j:image

316.私の会社員時代、やってらんない記憶.53

この他にも苦情については色々とありました。そんな中で、次は情けない苦情について書こうと思います。苦情が大問題に発展するのは、大体が情けない店長や上司がいる時なのです。大体の苦情は初期対応を間違わなければ、それ程大した問題にはならない物なのです。

まずは258回目のブログのバカ店長の時の話です。こいつはあらゆる意味で超最低な店長でした。この事案は、ある担当が販売した商品を間違えて、多く集金してしまった事があったのです。まだそれ程機械化も進んでいなかった当時、こう言った間違いはまあまああったのです。こう言った事で苦情が入った場合は、リーダーなり店長が菓子折りでも持ってまず謝りに行くのが初期対応です。そしてその日のうちに担当者に確認して、なるべく早く事案を明確にして説明に上がるのが本来の対応なのです。

この苦情はちょうど店にいた店長に直接電話があったのです。しかしこのバカ店長は、こういった顧客に謝るとか、こちらの不手際をお詫びすると言った行為がなぜか出来ず、その日の夕方までそのままにしたようなのです。担当者もその後、顧客からの苦情を知ります。まず初期対応が遅れました。それを夕方知った私は、早速顧客に出向き、まずはお詫び、そして詳細を精査して報告する旨を説明しました。しかしこの時、顧客の反応が違いました。それは店長に依頼しているからいいとの事だったのです。どうも店長とこの顧客は以前違う店で付き合いがあったそうで、この店長にお願いしているから、私には関わらなくていいとの事だったのです。

そしてその事を店長に告げると、何だかハッキリとしない態度だったのです。私はとりあえず担当者に間違えた内容の調査を指示しました。しかしハッキリとした原因が分かりません。何が違うのか幾ら違うのかが分からないのです。そのうちにこの事案は1週間位前の話だった事が判明します。その時からこの担当者と店長が対応していたのです。既に時間が経過しているので、担当の記憶も定かではありません。そして店長もその間、挨拶に行くでも無し連絡を入れるでは無し、放っておいたのです。

それを知った私は店長に直ぐに謝りに行った方がいいと言いました。しかし店長は、まだこちらが悪いと決まった訳では無いと動こうとしません。業を煮やした私は再度訪問、時間が掛かっているお詫びと今全力で詳細を調査している事を告げました。すると顧客は、もういいですの一言。私はビックリして聞き返すと、奥さんは「あの店長は前の店の時からあんな感じだった。あんな奴の下で働くのは可哀想ね」と言ったのでした。

その後、その顧客は夫婦で取引解消の為に店に来ました。その手続き中にも店長は挨拶にも行きません。すると受付に座ったまま「あいつは変わらない、よく店長になったものだ。店に出向けば挨拶位してくると思ったよ。これでは部下達が本当に可哀想だ」と社長も言っていたのです。それを私の横にいた新人社員が聞いていました。その複雑そうな顔は今も忘れられません。

またこのバカ店長は、店の超VIP先を怒らせた事もあったのです。ちょうど私が転勤でやって来た時です。審査の役員が例の方角で審査する役員でした(266回目のブログをご覧下さい😅)。それも気の毒な話でしたが、そんな情報は以前から分かっており、このVIP先に対しては絶対に方角で一旦は否決になる事が通例だったのです。そしてこの店長がこの役員から初めてこの否決を食らった時、そのままVIP先に話してしまったのです。こういった場合は、本部の審査の担当者が後で指示して来て、その通りに書き直して再度審査に上げれば大体が決裁になるのに、です。この時も審査の担当者から店長宛に指示があったのです。しかしこのバカ店長は、役員が否決と言ったからと、さっさと否決の連絡をしてしまったのです。今までの店長は上手く対応していたのに、VIP先としては初めて否決になった事に憤慨。取引を止めるとまで言ったのです。

その後、本部の審査から事務に連絡があり、事務の担当と私でVIP先に行き、事務担当が説明をして何とか再稟議を提出して事なきを得たのです。しかしこれにはそこの奥様が許してくれませんでした。この店長は出入禁止となり、まさに前代未聞、本当にやってらんない店長でした。

オマケですが、このバカ店長の座右の銘は、「スピーディー」だそうです。これを聞いた時、冗談かよ、と思ったのを今もハッキリと覚えています😵。確かに断るのだけは早かったかな〜😅。

苦情はとにかく早い初期対応が大切です。f:id:x-japanese:20220825075025j:image

315.私の会社員時代、やってらんない記憶.52

ランニングがいよいよ佳境に入って来たので、テーマが色々飛んでますが、続いての話は、これは私が本部の店の支援をする部署にいた時の話です。ある店から相談があり、その担当者と一緒に、顧客に訪問する事になったのです。ちょっと長くなりますが、以下のような内容だったのです。

それは、顧客が会社を立ち上げた時に世話になった人から、会社の後継者になってくれと頼まれているとの事でした。まあ同じ業種なのでハードルは低いと思いましたが、これは金融機関とかに相談した方がいいと言いました。しかし顧客は、既に取引金融機関には話をしたそうですが、資料が無いと何とも言えないと言われてしまったようでした。仕方無しに話を聞いていると、単に後継者になって欲しいのではなく、会社を買ってくれとの事のようでした。それなら尚更お金の問題となるので、銀行やM&Aの業者の出番です。しかしその土俵に乗らないので、弊社に相談をしたとの事でした。

相手の趣旨がどういった物なのかが分からないので、私がその会社の社長に会いに行く事になりました。数日後、社長に会いその趣旨を聞いた所、ズバリ後継者がいないとの事でした。そして、その会社は有名な会社と取引があり、取引口座もたくさん持っているようなのです。業歴も古く、有名な会社の社長や役員クラスのネットワークもあるとの事でした。こんな会社を閉めるのは勿体無いとの事で、弊社の顧客にこの会社を継がないかと話したとの事でした。

私は矢継ぎ早に、その後継の条件を聞きました。すると億単位のお金の話をしました。私はそんな金額は銀行が関わってくれないと無理と話しました。それにはまず御社の決算書が必要と言いました。所謂M&Aの話であり、言い値で買う人など居ないのです。買う側も決算書や資産の精査を行い買い値を出し、双方交渉の上、金額を決めるのが主なやり方なのです。そして値決めの決定権は買い手が持つ事が一般的なのです。それは買った後のリスクを全て買った方が追うからなのです。その話をすると決算書はあげられないと言うのです。私はそれなら話は進まない事を説明しました。とりあえず、その件が何とかならないとこの話は進まないと言って、その日は帰りました。

その後、電話での話し合いが数回ありました。相変わらず決算書は出さない、しかしこんな取引先があるとか、どこどこの役員とは懇意先だとか、そんな話をしています。こちらに言われても困るのですが、私はガンとして、まず決算書をと言っていました。すると最後に、弊社が取引先の顧客に対して、どれくらいの販売枠があるのか教えて欲しいと言われました。なぜかと聞くと、引き継いだ後に商売が回らなくなったら可哀想だと事でした。そんな事は弊社から言える訳が無く、顧客にその情報を伝え顧客から社長に伝える旨を説明しました。

何でこんな事までするんだと思いながら、私は店の了解を得て顧客に信用枠を教え、先方の社長にこの数字を伝えて下さいと言いました。それ以降、暫くその話は無くなっていました。すると突然電話で、怒鳴り口調で私にこの社長から苦情が入ったのです。「なぜ私に信用枠を教えないのか、いつまで待たせるのか!」という趣旨でした。私は突然の言い分に結構ビックリ。その内容は顧客に伝えてあり、その顧客から社長に伝えるようにしたと説明しました。しかし、何だか怒りが収まりません。私から直接聞きたかったようなのです。

私もこうなると負けません。こちらに落ち度は無く毅然とした態度で言い返します。「数字を知るという結果は同じだろう、大体アカの他人に顧客情報を喋れる訳がないだろう!」。こうなると相手も更に凄みます。私もどんなに凄まれようと引きません。「大体M&Aで決算書を出さない事自体、問題外だ。これ以上商売の邪魔をするな!」。すると相手も負けません。私に向かって、俺に直接話すと言ったから待っていたと言い出します。これには呆れました。その後も、「あんたが直接言ってくるのを待っていた」と、何度も言って来るのでした。こうなるとただのイチャモンで、付き合っていられません。そしてこう言った苦情は、同じ土俵に乗ってはいけません。それについては見解の相違なので、その件に対しては謝る旨の話をします。しかし、本来の会社の件については決算書が無いと進まない旨をハッキリ言いました。それっきりその社長からは連絡はありませんでした。

一体何が目的だったのか、顧客に確認してもそれ以降はその話は無くなったのとの事でした。時折、このような、凄めば何とかなるというパターンのクレーマーが現れます。こういった輩は、話術と押しと大声でやたらと煽って撹乱し、何かしらの好条件をゲットする事に躍起になります。私の会社員人生の最後の方は、こう言った輩の対応の研修が本当に多くありました。嫌な時代になったものです。何事も毅然とした態度と冷静な対応を心掛けて、最後は会社全体で対応すれば問題無いのですが、こう言ったクレームは本当に精神的にも時間的にも困ったものでした。

最後は自然と同じ摂理で動けば間違いは無いと思います。f:id:x-japanese:20221218222633j:image