前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

213.鉄チャン旅行の思い出15 デート編

鉄チャンは昔から女性にモテないと言われていました。さらに私は高校生までは部活は卓球をやっていたので、こちらも当時はどちらかと言うと「暗い」と言われていたスポーツでしたので(失礼)、中学生時代はもちろん、高校生になっても中々恋愛には恵まれずにいました。しかし私の高校は男子から見ると恵まれていて、男子より女子の人数が多い学校だったのです。なので、彼女とまでは行かないまでも結構男女混合グループが出来て、高1の秋辺りから少しずつ一緒に遊びに行ったりしていました。そのお陰でその時に少しお付き合いが出来た女性がいました。実はこの女性は後に私の妻になる女性なのですが、あまりにも2人のデートと言うか遊びに行く所が鉄チャンの場所だったので、一度愛想を尽かされているのです(笑)。恥ずかしながら、その愛想を尽かされたデートの内容を書いてみたいと思います。

まずは最初のデート。グループの中に気に入った子がいて、高校2年になる前の春休み、私は大胆にもその子に、今度は2人で遊びに行かないかと誘ったのです。すると思いがけないOKの返事。と言うか、妻にその時の事を聞くとOKした覚えは無いそうなのですが(😳)、ある日の日曜日に駅で待ち合わせする事になったのです。私はこの日の計画を立てました。もちろん天気は晴れる事しか考えていません。しかし当日は寒々としたシトシト雨。私は絶望的な気持ちになりながらも、待ち合わせ場所の駅へ行きました。そして合うなり「何処行こうか?」と聞くと、当たり前ですが「何処でもいい」と言う返事。慣れてる男子なら映画とか美術館とか考えるのでしょうが、私は何を考えたのか「この寒さと雨を凌げて楽しめるのは客車しかない」と思い、2人で上野駅へ向かったのでした😱。そして、宇都宮までの切符を2枚買い、11時19分発の一ノ関行きの客車列車に乗り込みました。今で言う「乗り鉄」に連れて行ったのです。確かに車内は暖かく、飲み物や食べ物もいつでも買えます。車窓は天気が悪いながらも流れる景色が見えます。しかし最初は彼女も珍しがりまあまあ会話も盛り上がっていたのですが、その後は少しずつ減って行き、帰りの列車は会話が弾まず針の筵状態。上野駅でお別れして、最後に何て言っていいか分からず「今日はごめんね」と言ってお別れしました。

そして名誉挽回にその一ヶ月後位に、今度は遊園地にデートに誘いました。すると渋々の様でしたがOKの返事。この時は西武園遊園地に遊びに行ったのです。そして事前情報を調べている時、初めて知った事がありました。何と、おとぎの列車という物が走っており、そこに実物のSLが走っているではありませんか。SLファンの私が今まで知らなかったのもビックリでしたが、当初は遊園地のSLという事でバカにしていて完璧に眼中に無い感じだったのです。しかし調べると小型ながらも結構歴史がありファンも多いSLです。私はこのSLも見てみたくなり、事もあろうに当日はまずこの列車に乗って遊園地入りする計画を立てたのです。さらに途中の駅で降りてそれを撮影する、「撮り鉄」までさせてしまいました。その後は遊園地で楽しく遊んだのですが、やはり帰りには気まずくなってしまい、「またね」と言ってお別れしました。

そして極め付けはその一ヶ月後位に、これは現在でもデートの定番場所、鎌倉から江ノ島ルートを参考にしてデートに誘いました。今度こそカッコいいデートにするぞと意気込み、色々な情報を集めて当日に挑みました。横須賀線に乗り北鎌倉駅で下車。円覚寺や鶴ヶ丘八幡宮等を巡り、お昼も鎌倉駅の喫茶店で済ませ、ここまでは順調、彼女もまんざらでも無さそうでした。この後は江ノ電に乗って江ノ島まで行って夕日を見て…、などと自分も気分は上々。午後も頑張ろうと張り切って喫茶店を出ました。しかし、この辺りから私の鉄チャンの虫が蠢き始めます。江ノ電を見た途端、それまではこれに乗って色々観光する予定が、ついついロケハンしてみたくなって江ノ電沿いに歩いてしまったのです。その辺りから彼女の態度が変化して行きます。急に不機嫌になりその原因が分からず、会話が全く弾まなくなって来ました。「どうしたんだろう?、計画は全て順調、彼女のご機嫌も上々だったのに」と段々と焦って来ました。すると突然彼女から「靴づれが出来ちゃったし、それにもう疲れちゃって歩けない」と言われて突然の打ち切り。考えてみれば、彼女も鎌倉と言う事でお洒落もして来ていました。その彼女を北鎌倉からずっと、寺など見物しながら稲村ヶ崎辺りまで、7〜8㎞位は歩かせていたと思います。マラソンじゃあるましい、疲れるのは無理もありません。この後は暗い雰囲気となり、このまま2人はフェードアウト。何となく合わなくなり、その寂しさを紛らわす為に(笑)、自分はまた鉄チャンの世界へのめり込んで行きました。

このブログの勿体無い記憶シリーズを書いていた時、高1の秋位から高2の初夏辺りまで、SL事故が関係していたとは言え、宿泊を伴う鉄チャン活動が極端に少ない時期がありましたが、こんな事をしていたのですね😅。この後、私に本当の春が訪れるのは大学に入ってからですが、運命とは分からない物です。その後にこの女性とまた出逢えて運命を共にして行くなんて、考えもしなかった事でした。あの頃の事を妻もよく話す事があります。当時の私は本当に女心が分からないと言うか、気が利いた所に連れてってくれないと言うか、妻は鉄チャンがモテない原因を身を持って体験したようです(笑)。しかし唯一、一生懸命計画してるんだ、私のために頑張ってるんだ、というのは感じられたとの事でした。それが後々出会った時に結構新鮮に思い出として残っていたとの事でした。

女性からこんな話を聞くと、鉄チャン達も頑張って欲しいと思います。相変わらず鉄チャンはモテないと言う事は良く聞かれます。しかし、最近は本当に鉄道の趣味はメジャーになってきており、女性のファンもたくさん増えています。鉄チャン連中というのは確かにいい奴ばかりです。少し理解しづらい部分もありますが、女性の方達はぜひ偏った目で見ないで、暖かい目で見てあげて欲しいと思います。そして恋愛は素晴らしい、鉄チャン達には「恋せよ鉄チャン」というエールを送りたいと思います。

上野駅で、思い出の11時19分発、一ノ関行きの案内看板を入れたショットです。f:id:x-japanese:20220326161418j:image

 

 

212.鉄チャン旅行の思い出14 俗語編

鉄チャンをやっていると、今の若い子達が話すような略語や俗語(一昔前の所謂ギャル語みたいな物です。ギャル語って今は何て言うのでしょうか?😅)が、我々の鉄道仲間の間でもある事に気がつき、そのうちに自分達でも作ったりするようになって行きました。最初は鉄道用語を使っていましたが、そのうちに派生した言葉や、我々が適当に作った言葉とか、色々な物が出来てくるようになりました。今回はそのうちの一部を書こうと思います。

まずは鉄道用語からです。初めてこの言葉を意識したのは北海道のSL撮影の時です。それまでは鉄道ファン同士での交流は友人同士以外ではそれ程無く、特に普通に会話をしていました。しかし、北海道では終焉間近のSL撮影の為に、さまざまな年代のファンがたくさん来ていて、また宿泊するYHでもファンがたくさんいた為、初めて鉄チャン用語にたくさん触れたという感じでした。

まず初めの言葉は「ウヤ」と「カマ」。「明日の○○レ、ウヤだってよ」「北海道のカマは汚れているよな」等。「レ」と言うのも???という感じでしたが、レはその前に列車番号を言っていたので、列車の略語だとは理解出来ましたが、ウヤって何だという感じでした。通訳すると「明日の○○列車は運休だって」という事になります。またカマとは機関車の事で、この場合はSLを指します。ウヤとは「運転休み」の鉄道用語です。これに興味を持った私。世の中には色々面白い事があるなあと思った物でした。

そしてこの旅行ではその他でも、SLを撮影する為に原っぱに立って待っていた時、また面白い言葉を聞きました。そこにはたくさんのファン達がタムロしており、ファン同士が会話しているのが聞こえます。「あのハエ叩き、何とかならないかね〜」「ここはスジが空くから勿体無いよな〜」。これも何の事が分からずにいました。これは鉄チャン用語と鉄道用語の混合会話です。ハエ叩きとは線路に沿って通っている連絡用の電線の電柱の事です。確かに今のようなスマートな形では無く、横棒がたくさん出ていて支柱と合わせて見ると、確かにハエ叩きのように見えました(今はハエ叩きなどという道具、あるんですかね〜😅)。それが撮影に邪魔だと言っているのです。スジとは鉄道用語で列車ダイヤの事で、それが暫く空く、この場合は要するにSLが暫く来ないのでこの時間が勿体無いよな、という事です。その他、これも鉄チャン用語なのでしょう、「君のゲバの下の方がかかるんだけど」「いい銀箱持ってるね〜」等、さまざまな言葉が飛び交っていました。ゲバとはカメラの三脚の事で、訳すと「君の三脚の下が俺の写真に掛かるんだけど」要するに少しズレろという事です。銀箱とはカメラバックの事です。

またこのブログでも使っている「ロケハン」なんかも最初は分かりませんでした。これは映画やテレビ業界の用語で「ロケーションハンティング」の略ですが、鉄チャンの世界でもよく話されてました。鉄チャン同士で「ロケハンする」などとよく話してますが、これは列車の運転席の後ろに陣取り、良い撮影場所は無いか探すと言っているのです。その他、何の用語か知りませんが「キジ打ち」「お花摘み」も意味不明で後で分かると唖然とする事もありました。どちらも外で用を足す意味です、それも大きい方😅。

こんな用語を色々と聞く事により、我々も独自の言葉を作るようになりました。鉄チャンの間では似たような言葉が飛び交っていたので、オリジナルという訳ではありませんが、代表的な物を書いてみます。

①「今日はキヨスク?」。キヨスクとは今のJRで言えば、駅の中にあるNewDaysのような売店です。昔は駅の売店と言えばキヨスクだったのです。今もあるのでしょうが、あまり見なくなりましたね。意味は駅の中にあるという事で、駅で撮影するという事になります。「今日はどこで撮影するの?駅撮り?」と言った意味となります。

②「キカン坊」。これは私が良く言われていました。私は色々な機関車が好きだったので、よく機関区や車庫の撮影に行っていました。友人同士で撮影旅行の計画の時に、やはり自分の撮りたい所に行きたいものです。すると意見がぶつかる事も多々あります。その時に私が、「この機関区だけは寄りたい」とか言うと、「このキカン坊!」と言われた物でした。要するに「機関区好きで、いつも行きたがるんだから〜😤」という事です。

これは豊橋機関区の旧型機関車です。

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これは小湊鐵道五井駅にある車庫です。

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③「今日はヨルタノ」。これは誰が言ったか知りませんが、夜間撮影の事です。意味は「今日は夜間撮影に行くから楽しみ〜」といった意味になります。夜と言うとそれだけでウキウキ感があったのでしょうね。

その他色々ありましたが、既に半世紀位前の話なので忘れてしまいました。内容はギャル語とさほど変わらず、昔は自分達も似たような事をやっていたんだと思うと、ちょっと恥ずかしい感じがします。

またこの頃から、ダイヤグラムという物を活用しだして、列車の撮影などを行うようにもなっていました。そしてそこには電略記号とやらが駅名の横に記載されているのです。駅名がカタカナの2文字で略して書かれているのです。東京なら「トウ」、上野なら「ウエ」と言った感じです。これにも興味を持つようになり、我々も行く場所についてはこの電略記号を使ったりしたものでした。しかしこの電略記号がまたクセ物でした。ただ最初の2文字をカタカナにすればいいという物でも無く、例えば「チタ」。どこか分かりますか? これは田町だそうです。「カノ」は中野だそうです。これにはある意味ハマってしまい、かなり研究した覚えがあります。

この電略記号は皆さんでも気軽に見れるので、是非ゲーム感覚で考えてみるのも面白いと思います。電車の横の左側の下の方に、例えば山手線なら「東トウ」と記載されています。「東」はJRの東京支社の事です。そしてそれに続く「トウ」がまさに駅名の電略記号なのです。この場合は東京車両センターを表しています。こう言った言葉遊びは面白いものです。皆さんも他の路線とかで是非試してみてはいかがでしょうか?

これは埼京線に書いてある記号です。宮は大宮支社ですが、ハエってどこだと思います😅?。川越車輌センターだそうですよ😳。何故そうなるのかを調べるのも楽しいと思います😊。f:id:x-japanese:20220420115023j:image

211.鉄チャン旅行の思い出13 食事編

人には衣食住という生きていく上で必要な三要素があります。それは鉄チャン旅行に行っても変わる事はありません。衣についてはナップザックに必要最小限の着替えの荷物を持って行きますが、冬の旅行となるとやはり大荷物になります。昔はダウンやホッカイロなんて無かったので、冬の撮影は本当にしんどかったです。住については夜行列車が主、その他はYHや駅での野宿ってところでしょう。この2つは我慢すればまあ何とかなるのですが、問題は食です。長い旅行となると1週間程度は外食という事になります。これが中々厄介だったのです。今でさえ駅弁を楽しむ余裕がありますが。この頃は本当に貧乏旅行ばかり。駅弁やその地方の名物等は買った事も無く、この辺りも本当に勿体無かったと思います。

当時はコンビニやファミリーレストランなどはまだ全国的に普及していません。大体我々の主食は駅蕎麦と菓子パンでした。そしてその菓子パンも甘い物がほとんど。また駅前のパン屋さんというか雑貨屋さんでは、賞味期限は大丈夫なのかといったお店も多かったのです。食べるとパサパサだったり固かったりする事も多々あり、よくお腹を壊さなかったなあと思っています。また水分の確保が結構大変でした。ペットボトルなどはまだ無く、ジュース等は一度栓を開けると飲み切らなければならず、地方に行く時は水筒を持参していた時もあった位でした。首都圏や地方でも市街地であればそれ程心配する事も無いのですが、ローカル線の撮影等に出掛けると飲食の確保は死活問題となります。下手をすると降りた駅に何も無い事もザラにありました。今回は一般的な食レポでは無く、変わった思い出を書きたいと思います。

まずは会津のSL撮影での事。この時は初めての泊まりでの撮影旅行。夏休みなので夏真っ盛りの時期です。我々は夜行列車で早朝の会津若松駅に到着。そこで腹ごしらえをして、撮影地のある山間部へ向かったのです。とある小駅で下車。そこから30分位歩いて撮影場所に向かう予定でした。無人駅を出て道路まで降りて行くと、舗装されていない道路と古めかしい家がありました。そこは飲食や雑貨を扱う商店でした。我々は昼食は用意してあったので、ここで水分の補給をしておこうとお店に入ったのです。当時はコーラやバヤリース等の瓶の飲み物が主体でした。大体が冷蔵庫か、氷が入った大きな箱の中に沈めてあり(お祭でよく見かけるあれです)、それを取って買うといった感じです。しかしこのお店はそのような物がありません。飲み物は置いて無いのかと尋ねると、店主のお婆さんは店先の側溝を指差します。そこは水が勢い良く流れていました。そこに籠が沈められており、その中に瓶があるのが見えました。当時の川や海は公害問題でとにかく汚れている所が多かった時代です。「こんなの飲めるかよ」と思ったのですが、そこで冷やしてあるのとの事。嘘だろっと思いながら、しっかり見てみると綺麗な水です。そして半信半疑に手を入れて瓶を取りました。するととても冷たく瓶のジュースは十分に冷えています。それをお婆さんのところに持っていくと、栓抜きで開けてくれました。そのジュースがとても冷たく美味しく感じました。まるで「となりのトトロ」の世界感です。こんな自然の中での経験に我々は大感激しました。この光景はその後、家族と同じ福島の大内宿を旅行した時に見た事がありました。今でも見れると思います。思えばそこからその撮影地はすぐ近くだったのです。この地方の生活様式なのかも知れません。しかし本当に新鮮な光景で今でもあの感動は覚えています。

次は、水分が取れず大変だった思い出です。今のようにペットボトル等もありません。夏には、少し歩いて撮影する時などは本当に喉が渇き大変な思いもした事があります。仕方無く駅で十分飲んで行くか、店や自販機を見つけると前もって飲んでおく事をよくやっていました。どの旅行だったか忘れましたが、ある時降りた駅に水飲み場が無く売店も無く自販機も無く、仕方無く1人で山中を歩いて撮影していた時がありました。その時は本当に暑い日で喉が渇きが我慢が出来ずに、綺麗そうな川を見つけその水を飲んだ事がありました。幸いお腹を壊す事も無かったですが、今考えると本当に恐ろしい事をしていたものです。

またある日、友人とある駅に降りた時、ここで何か食べて行こうかという話になりました。私は菓子パンを持っていたのでそれを食べる事にしました。友人達は駅前に並ぶ2軒の喫茶店と食堂を見て、どちらにするか迷っていました。私は早々と自販機でジュースを買い、駅のベンチに腰掛け菓子パンを食べていました。すると友人達が笑いながら帰って来たのでした。聞くと友人達は、それぞれ喫茶店と食堂に分かれて店に入ったそうですが、扉を開けると中は同じ店で、びっくして扉に手を掛けたまま暫く見つめ合っていたそうです。

またこれは登別のYHで夕食の時の話ですが、このYHは本当に駅前のビジネスホテルのようで、ご飯のお櫃や味噌汁が適当に並べてあり、おかずだけがそれぞれのお盆に分けて取るようになっていました。全てがセルフサービスのようになっており、色々と約束事を書いた用紙が食堂に貼ってあったのです。その言葉が衝撃的で、なんとそこの方言がそのまま用紙に書いてあったのです。普通はそういった物には標準語を使う物と思っていた我々は本当に驚き、友人達と顔を見合わせていたのでした。

食に関しては本当に色んな思い出がありました。紀伊半島では農薬に触って唇が腫れてエラい目にも合いました。身延線では面白い焼きそば屋のオバさんにも会いました。本当にいい思い出もあり、よく無事で来れたと思う事も多々ありました。これもすべて鉄チャンをやっていたお陰だと思っています。

定年退職して約1年半、最近はこの頃の友人達も同様な環境なのか、SNS等でまた繋がって来る事も増えて来ました。またこんな面白い旅をしてみたいと思っている今日この頃です。

f:id:x-japanese:20220316102451j:image飯田線名物、貨物より機関車の方が多い列車です

210.鉄チャン旅行の思い出12 カメラ編

私のような鉄チャンの撮り鉄にとっては、カメラはもちろん必要不可欠な物で思い入れもとても強い物でした。私が写真を撮り出した頃はまだ小学生の1970年辺りから。その頃はカメラというと高級な部類の装飾品に近いイメージであり、私の家にはコニカ製の古い型のカメラがありました。取扱説明書など既に無く、今ひとつどうやって使うか理解出来ませんでした。当時は当然デジタルでは無くフィルムです。まずはそのフィルムが上手くはめられない。上手くはまらないと滑ってフィルムが巻けずに写真が撮れなかったり、写真が二重になったりと私の使い始めの頃は失敗続きでした。そのうちに、家族の間でも使い勝手のいいカメラが欲しいという事で、当時流行していたリコーハーフカメラを買い、私もこれでやっと鉄道写真を撮りに行けるようになりました。

小学生程度ではこのクラスのカメラで十分でした。田端駅の貨物ヤードや尾久の操車場や、王子駅西日暮里駅上野駅にはよく写真を撮りに行っていました。しかし中学生にもなって来ると、いよいよ行動範囲も広がって来るに伴い、更にいい写真が撮りたくなって来ます。このハーフカメラは取り扱いは簡単なのですが、とにかく写りが荒くとても満足した写真は望めませんでした。友人もそろそろいいカメラを持っていたりします。しかし我が家には最新のカメラを買う財力は無く、仕方無しにまた古めかしいコニカを引っ張り出して来て、色々調べて使うようになりました。しかしやはり使いこなせずに、決まるとまずまずな写真が撮れるのですが、時には露出オーバーだったり、時にはブレていたりと、本当によく分からないカメラで苦労は続きました。そんなカメラで会津や北海道に行った物ですから、SLの写真は中々いい物が撮れずに歯痒い思いをした物でした。

そして高校入学の祝いについにカメラを買って貰う事になりました。初めて買って貰ったカメラは既に友人達が持っていた一眼レフカメラが絶対条件で、ペンタックスのSPⅡを買いました。この頃は一眼レフカメラは大きく分けてペンタックスニコン、キャノン、オリンパスの4種類があり、それぞれ自分のご贔屓のメーカーがありました。友人達はオリンパスとキャノンを持っていて、私は予算もありニコンは高かったので消去法でこのカメラになった感じでした。当時は交換レンズの繋ぎ目部分(マウント)がバヨネット方式(ワンタッチ式のような感じです)という新しい形態になる狭間であり、ペンタックスも前年にこの形態のKシリーズを発売していました。その為このSPシリーズはまだスクリュー方式(ネジ回し方式)で性能の割に価格が安かったのです。予算もあるので仕方無くこのカメラで我慢する事になったのです。このカメラはもちろん露出もピントも手動式。しかしこのカメラの基本をしっかり勉強して手動のカメラを使いこなす事によって、思い通りの撮影が可能となってきます。同時に三脚も購入、今まで自分も撮ってみたいとずっと思っていた夜間撮影にも挑戦。最初は上手く行きませんでしたが少しずつ上手く行くようになり、自分の腕が上達して行くようで撮影が本当に楽しかったのを覚えています。

高校1年以降はこのマイカメラでたくさんの写真を撮る事が出来ました。その後も望遠レンズ、広角レンズ、ストロボ(フラッシュです)、フィルター、レリーズ、カメラバック等々、アクセサリーも色々と買い揃えて行きました。

この写真は望遠レンズの練習で撮った貨物列車です。f:id:x-japanese:20220315221324j:image

この写真は広角レンズの練習で特急を捉えた写真です。今は新幹線のつばさ号です。f:id:x-japanese:20220315224650j:image

この写真はクロスフィルターで夜間撮影した写真です。f:id:x-japanese:20220312180439j:image

写真の出来栄えは以前のコニカやハーフカメラとは雲泥の差。本当に満足のいく写真に、SPⅡは私の片腕という感じで文字通り肌身離さずいつも持っている感じでした。

しかし、井上陽水の歌に「限りない欲望」という歌がありますが、カメラに対しては全くその歌詞通りになって行きます。友人のカメラがバヨネット方式で、レンズ交換が簡単に出来ます。また高校に入り出来た友人のカメラは、自動露出やモータードライブ(所謂連写ですね)等、高機能な性能をこれでもかと見せつけて来るような物もありました。また撮影に行くと他のファンが持っているカメラが凄く良く見えて来たりしました。また三脚に2台3台とカメラを取り付けで撮影しているファンもいたりして、あんなに満足していたSPⅡが何だか古めかしく感じるようになりました。それらを見ながら自分も2台目を考え、高2の夏休みに新たに同じペンタックスのKXを買う事にしました。かなり奮発したKXはブラックボディにして、それはそれは格好良く満足がいった物で、周りの友人達にも十分対向出来るカメラでした。この時は全自動露出のK2という機種もありどちらにしようか迷ったのですが、何か全自動という所に魅力を感じず、それに対してKXは半自動露出というか、マニアックな構造がとても気に入り、こちらの方を買ったのでした。

しかし2台のマウントが違うので使い勝手が悪く、暫くの間は悪戦苦闘していました。そしていいカメラが手に入ると今まで救世主のようだったSPⅡが更に古臭く見えるようになりました。そして直ぐ後にSPⅡの後継機として、あれだけ肌身離さず持っていたSPⅡをあっさりと下取りに出し、同じKシリーズのKMを購入、本格的に2台を使いこなすようになり、この頃からモノクロ写真にも懲り出しました。マウントも同じバヨネット方式となったので、レンズも望遠、広角、ズームと新しく揃え直して、十分と他の友人達にも対抗出来るようになったのです。カメラバックも新たに購入、気がつくと完璧な鉄チャンとして武装されていました。こんな事ばかりしていたので、鉄チャン旅行はいつまでも貧乏旅行でした。

暫くはこの2台で様々な列車を撮影しました。しかし大学生の時のある旅行で、これは鉄チャン旅行では無かったのですが、転んでKXを落としてしまったのです。そして一眼レフの心臓部とも言えるプリズム部分を損傷してしまったのです。暫くは呆然とした私。直ぐに帰って修理に出しましたが完璧には治らず、これにはとてもショックを受けました。写真が撮れるようには回復したのですが、この一件から何となく撮影から一歩引くような感じになってきたのです。もちろん興味のある車両が無くなって来た事もありますし、年頃にもなり興味が他にも出てきた事もあるのでしょうが、これがキッカケになったのは事実だと思っています。

その後は友人に誘われて撮影に出掛ける時も、KMのみで行くようになりました。そして社会人となると益々カメラも小型化高性能化。私も新たにMEsuperを購入。しかし鉄チャンに戻る事はありませんでした。その後は色々と友人にも誘われたり、SLも復活したりして触手も動く事もありましたが、このカメラ達はもう暫くすると私の家族や子供を撮影する機材となってしまいました。そしてその後はご存知の通りビデオの世界に変貌して行きます。そして益々変わって行き、既に携帯電話の時代。数年前にデジタルカメラを買いSLの撮影を本格的に始めようと思ったのですが、携帯電話の性能が格段に上がって行き、最近は殆どケータイで済ませている状態です。このケータイ一つでビデオも撮れ写真も撮れ、そしてその画像の加工も簡単に出来るので、益々カメラは、そしてビデオの出番まで無くなって来ました。

この写真は、我が家に飾ってある、アサヒペンタックスKMとMEsuperです。私が小さい頃カメラは宝飾品のようだとこのブログの始めの部分で書きましたが、まさに今そのような感じで居間のサイドボードに飾られています。このブログを書いていて、しみじみ時の流れを感じています。時代は繰り返す、まさにその言葉を感じています。

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209.鉄チャン旅行の思い出11 派閥編

この回は私の独断と偏見に満ちたものなので、色々と異論反論はあると思いますがご勘弁いただきたいと思います🙇‍♂️。

当時の私の鉄チャン仲間達は、一括りに鉄道ファンと言えどもさまざまなジャンルに分かれて存在しており、それが大学の学部のように色々と分かれておりました。私のような写真派が主流でしたが、その他には添乗派(その頃は乗り鉄撮り鉄などという言葉はありませんでした)、模型派、部品派、中には音派等々がおり、その中でも機関車、電車、客車、貨物、保線車等々、そしてその中でもまた新型、旧型、試作車等々、そしてその上、国鉄、私鉄、地方線、ナローゲージ、中には外国等々、とても細かく分類されており、例えば私が自分なんかを紹介すると、鉄チャン大学写真学部機関車学科の旧型ゼミSL研究室のような説明になります(細かい事は忘れてしまいましたが😅)。

そしてこれは、その始めの分類が命運を分けていたような気がするのです。その分類こそが鉄道を見に行くとすると東京駅に行くか上野駅に行くかがとても大きな要素になっていたと思います(東京地区に限ってですが😅)。新宿からは中央線が走っていましたが新宿派というのは記憶に無い感じでした。私が鉄チャンを盛んにやっていた頃は主に小学生から大学生位の間でしたが、物心ついた時は鉄道好きになっていました。そして、父の田舎に行く時に乗っていた客車列車の影響も大でした。その列車は上野発の急行列車でしたから、私は自然と上野駅派になった訳です。

私の鉄道仲間にはもちろん東京駅派もいました。そして、この両派の特徴は明らかに違っていたのです。当時の1970年頃は、東京駅と言えばもちろん東海道新幹線です。まだ新大阪までしか開通しておらず、もちろん新幹線はここだけしか走っておらず、最速のひかり号で3時間10分掛かっていた時代です。またヘッドマークを付けたブルートレインもたくさん走っていました。何と言っても全体的に東京駅に出入りしている車両は皆きれいで、何となく洗練されて派手な感じでした。

方や上野駅は当時は20番線まであり、スケールこそ東京駅に負けませんし特急列車もたくさん走っていましたが、旧型客車がまだまだ健在。牽引する機関車もデッキ付きの旧型機関車も健在、夜行列車も急行列車が多く、数少ない夜行特急も私の記憶ではヘッドマークはあまり付けていた事は無く、何となく地味な感じでした。車両もお世辞にもキレイとは言えず、このくたびれ具合がまたいい感じなのでした。

このように、東京派の鉄道ファンは何となく垢抜けてると言うか、スマートと言うか、新し物好きと言うか、合理的と言うか、そんな奴らが多い感じで、方や上野派は私を含めて地味めと言うか、頑固と言うか、旅情とかノスタルジー好きと言うか、そんな奴らが多かったように感じます。

私の一緒に行動していた鉄チャン達は当然上野派。前述した学科的には旧型学科や機関車ゼミや客車ゼミのような連中が多く、東京派と言えば電車学科や新型ゼミのような連中が多い感じでした。それゆえに東京派とは中々ウマが合わず、行動を共にする事はほとんどありませんでした。そんな中でも鉄チャン大学という共通の趣味には変わりありません。時には東海道線を走るブルートレインや長大貨物列車等を撮影に行ったりしていました。f:id:x-japanese:20220310075823j:imagef:id:x-japanese:20220322201112j:image

また、双方の特徴が違うと感じる物は、やはり列車が向かう方向にその理由があるのではないかとも思っていました。東京駅からは西や南方向に列車が進みます。南という響きは何となくリゾートっぽい雰囲気を連想します。方や上野駅からは北に向かい列車が進みます。北と言うと、雪とか演歌とか、何となく旅情を感じてしまいます。

そんな上野派の私ですが、今は随分と上野駅も変わってしまいました。もちろん新幹線も通りましたし、かつて上野駅を始発としていた長距離列車は全て無くなり、上野駅のシンボル的な地上ホームも随分と縮小されて寂しくなってしまいました。そして通勤電車さえ、上野東京ラインという直通路線が出来た事によって、東京もそうですが単なる通過駅になってしまった感じです。長距離輸送は完璧に新幹線に移行しその中心は東京駅となり、上野派の私は本当に寂しい限りです。

そして、鉄チャンの環境も随分と変化して来ました。私は大学生になった位からは一線を引き、付き合い程度に趣味活動をしていましたが、鉄チャン達はその後、マニアとかオタクとか言われるようになり、ネットの普及により一部心無いファンが暴走するようになって来ました。我々の時とは考えられない位にマナーが悪化していて、時折ニュースにもなっていたりします。こう言ったニュースを聞いていると、この人達は本当に鉄道ファンなのか疑問を感じてしまいます。単にネットに上げて自慢したい為に画像を撮っているのか、はたまたオークションに出す為に部品を盗んだりしているのか。

私が鉄チャンをしていた時は、それはそれはマナーと言うか掟と言うか、仁義と言った方がいいかもしれませんが、とにかく鉄道ファンの間での仁義がとても厳しくて強くて、下手にそれを犯すととんでも無い罵声を浴びたり叱責をされたものでした。そんな中で、我々も社会の常識とかルールとかいった物を学んだと思っています。

特に盗むなどという事は既に趣味の範疇では無く、自己顕示欲や金儲けの部類の犯罪行為で、鉄道ファンとは言えないと思います。そんな連中だから、迷惑を掛ける事などお構い無しなんでしょう。私が以前合ったたくさんの駅員さん、運転士さん、車掌さん等の一生懸命働いている姿を見れば、危険な事や盗んだりする事等、行えるはずが無いのです。昔でいう鉄道大学迷惑行為学部金儲け学科の窃盗ゼミのような新設学部の連中が増えて来たという事なのでしょうか😵。

今も魅力的な列車はたくさん走っていると思います。昔のように純粋に鉄道好きが他人に迷惑を掛けずに楽しんで過ごせるよう、一部の人の暴走だけは勘弁して欲しいと思います。今は鉄道ファンの芸能人等も増えて来て、その中にはアイドルと呼ばれる女性もいたりして、随分とメジャーな趣味にもなってきています。学部も乗り鉄学部がかなりメジャーとなり、他にも呑み鉄学部、動画投稿学部なんかが新設され、ますます脚光を浴びている感じです。間違えても迷惑行為学部だけには入って欲しく無いと思っています。

 

 

 

208.鉄チャン旅行の思い出10 夜間撮影編

この夜間撮影は本当によくやりました。夜に撮影するならストロボを使えば簡単に出来ると思われますが、私が挑戦していたのは長時間露光です。ストロボとはフラッシュとも言い、一瞬の光を光らせ、その光で夜間や暗い所でも撮影が可能になるのですが、走行中の撮影で使うのは鉄チャンの掟ではタブーであり、夜間撮影イコール停車中という意識を持って撮影していました。

停車中でもストロボを使えばといいと思うかも知れませんが、まあ結婚式とかの人の行事系であれば使い勝手もいいのですが、こと車両の撮影ともなると、何か思った写真にならない事が多いのです。列車はとにかく大きいし長いし、全体的に光が当たる訳が無く、どうも尻切れトンボのような写真となってしまうのです。そこでどうすればいいかという事になります。鉄道系の雑誌を見ると、夜間にも関わらず綺麗な写真がたくさん出ています。自分もこのような写真を撮りたいと随分勉強したものでした。

とにかく手動のカメラで暗い所や夜間に撮影すると、光量不足となり結果的にそのまま撮ると、真っ暗や何が写っているか分からない写真になったり、ブレた写真になったりします。それではそういった場所で十分な光量を確保するにはどうしたらいいか。シャッタースピードを遅くすれば光が入って来る量が多くなる訳ですから、それが一番簡単なやり方です。またはフィルムの感度を上げる方法もありますが、これも後にやった事がありました。そしてシャッタースピードを遅くすると、今度は手ブレの心配が多くなります。そこで三脚の出番となります。

早速三脚を買い、いよいよ長時間露光の挑戦です。最初はカメラの露出のカラクリを勉強する事から始めました。この性質が分からないと応用が効かないのです。普段のいい天気の時での外の撮影は大体シャッタースピードが1/250、絞りが8といった感じです。これを動かすには相関関係が必要で覚えれば簡単なのですが、初めはこんがらがってしまっていました。例えばシャッタースピードを1/125に遅くする場合は、それだけ光が多く入って来るので絞りを11に絞るという具合です。シャッタースピードは高くなればブレを抑えられる事は分かってましたが、絞りは光の量の調整だけでは無く、ピントが合う距離を調整出来る事等をこの時初めて知りました。絞れば絞るほど長い距離の幅でピントが合うのです。逆にある一定の場所だけにピントを合わせたければ、絞りを1.4とかの開放に近い値にしてシャッタースピードを合わせればいいのです。

これは御殿場線沼津駅の旧型電車です。f:id:x-japanese:20220314210307j:image

この相関関係をしっかり頭に叩き込んで、実際の夜間の撮影現場に向かいます。三脚をセット。カメラを覗きながら露出を合わせます。シャッタースピードは1/15程度にまで落ちています。これに絞りを調整。同じ列車で5枚程度写します。これは周りにある電灯の影響や暗くなっている部分の写り具合を知る為です。後日出来上がった写真を比較。どれが良かったかを記録し、また同じ場所へ向かい今度は1/8や1/4等、色々試して、そしてその場所の光量を記録していました。次は更に暗い所で試してみて、色々なシチュエーションを記録しました。

これは青梅線の夜の信号場で交換待ちをする機関車です。こういった暗い所で照明が当たるような場所は中々難しかったです。f:id:x-japanese:20220314210839j:image

そして段々と思ったような夜間撮影が撮れるようになって来ました。そして次に試したのが、流し撮りと似た所があるのですが、止まっている車両と動いている車両を組み合わせ、シャッタースピードをさらに長時間にする事により動いている車両を流すのです。止まっている車両を浮き立たせる感じにする事で、とても綺麗な写真となるのです。特に夜の列車のライトや室内の電気を効果的に使い、光を帯のようにする事で、更に幻想的な写真にする事が出来ます。これはシャッターを数秒から数十秒開ける感じです。この間ずーっとシャッターを押しているのです。これも今までの夜間撮影の記録を基に計算し、挑戦していました。

すると思わぬ弊害が起きて来ます。数十秒シャッターを押していると、時には咳が出たり指がプルプルして来たりします。すると、三脚に固定されて動かないはずのカメラが小刻みに揺れたりするのでしょう。出来上がった写真に一部ブレたりしているのが見つかり、最初は原因が分からずに随分と悩みましたが、この対処法として、レリーズという部品を購入。シャッターに直接指で触れないようにして、その不具合を克服しました。

これは播但線普通列車と追い抜いて行く列車を撮影したものです。f:id:x-japanese:20220312180000j:image

この夜間撮影の暗さや、シチュエーション、撮りたいイメージごとに、カメラのシャッタースピード、露出を頭にインプットした結果、かなりの確率で夜間撮影は成功するようになり、友人からもその数式を教えて欲しいと言われる位になりました。

これは上野駅で撮影した私の大好きな機関車です。後ろの走って行く列車を効果的に使っています。

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この長時間露光は、例えば蒸気のような物では更に幻想的な写真になります。私がこの技法をマスターした時には既にSLは廃止となっており、試す機会は無かったのですが、SLの雑誌などを見てると一度でもいいから撮影してみたかったと思います。しかしその後、SLとは違いますが同じようなシチュエーションに遭遇するのです。それは紀伊半島を旅行した時の事、その時は客車の暖房に蒸気暖房という種類が使われていたため、客車の連結部分からはゆらゆらと蒸気が立ち込める光景を見たのです。思いも寄らなかった光景に夢中で撮影を試みます。しかしSLと違い、それ程の蒸気が出ている訳では無かったので、思うような写真にはなりませんでした。

その後は鉄チャンへの興味が薄れて行くに連れて、写真も撮る事は減って行き、その後はこの技法は妻との旅行や家族旅行の時の夜景の撮影に役立ちました。あの時整理していた、数式や相関図等もどこへ行ったか分からなくなっています。今思っているのは、一度でいいから夜のSLを撮影したいという事です。既に「SL夜汽車」なるイベント列車が群馬県で動いていたようですが、なかなか行く機会がありませんでした。今年はGWに少しSLが動くようですが、SL夜汽車がまた動くようなら是非行ってみたいと思っています。

 

 

 

207.鉄チャン旅行の思い出9 流し撮り編

流し撮りって言葉、知ってますでしょうか?走って来る車両を追いかけてカメラを水平に動かし、後ろの景色を流す撮影技法です。後ろの景色が流れる事で車両が浮き上がる感じで、とてもカッコイイ写真となります。これは結構難しく最初は失敗続き。なので中々お目当ての列車では試す事が出来ません。増して本数が少ない列車では失敗は許され無いので、この写真は大体たくさん走ってくる列車の写真が多かったのです。失敗してもまたすぐに撮れると思うからこそできる撮影でした。またこの技法は列車の速度にも関係があります。速度が速い列車ほどやり易く、逆に遅い列車は難しくなるのです。

これは東海道線を走る貨物列車です。この日は雨が降って来て仕方なく駅で撮影した物です。この機関車も当時はたくさん走ってました。東海道線の貨物は速度が早いので、流し撮りには適していました。これは比較的決まった写真です。f:id:x-japanese:20220313062107j:image

この技法は理論的には簡単なのですが、とにかくやってみると難しい😵。手動カメラの撮影は、大きく分けてシャッタースピードと明るさの度合いの絞りから成り立ちます。一般的にシャッタースピードが速いとブレの無いしっかりとした写真が撮れます。なのでこのシャッタースピードが速いといくら車両を追ってカメラを動かしても、背景もしっかり撮れてしまうので流し撮りになりにくいのです。必然的にシャッタースピードを遅くする必要があります。すると今度は全体的にブレるリスクが生じるのです。しかし決まるとそれはそれはダイナミックな写真となるのです。

これは明け方の西日暮里駅での上野行き夜行列車です。まだ新幹線がない時代、ここは東北本線高崎線のいい撮影場所でした。これはイマイチかな。思ったより遅い速度でやって来た為、少しブレています。大好きな機関車でしたがあまり走っていかなかったので、流し撮りの撮影には随分勇気が要りました。

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シャッタースピードを遅くする為には光量を少くすればいい事になります。するとまだ暗い朝方、または夕方、あとは天気の悪い日。またわざとフィルムの感度を下げた物を使うか、光量を落とすフィルターを使うか、色々やり方があります。私は資金的な問題もあった為、この撮影をやる時は朝方か夕方、または天候の悪い日を選んでやっていました。

この撮影手法はとにかくしっかりとカメラを構える事に尽きます。中には三脚を使って縦ブレを防ぎ撮影していた人もいましたが、その方法は中々上手く行かず、私は脇を締めカメラをしっかり構え、やって来る列車を追ってカメラを動かしシャッターを切る感じで撮影していました。脇が甘くなると大体手ブレを起こし失敗します。とにかく両腕の肘をお腹の左右の肋骨の所に当ててしっかり固定するイメージで撮影していました。これは本当に難しい撮影でした。

しかし、この流し撮りはしっかりした技法で撮影したにも拘らず失敗する事が多かった反面、偶然に上手く撮れる事も多かったので、そう言った意味では悩ましい写真でした。また撮影する列車の速度が早ければそれだけカメラを平行移動し易くなり縦ブレが起きにくくなるので、列車の速度も重要な鍵となっていました。なのでせっかく準備万端で待っていても、肝心のお目当ての列車がノンビリやって来ると、途端に撮影が厳しくなったりもしたのでした。

これは飯田線の旧型電車です。それ程早く走って来る訳ではないので流し撮りには適さなかったのですが、まだまだたくさん走って来ていたので、適当に撮ってみたらこんな感じに撮れました。それにしても本当に流し撮りは難しい。本当に満足した出来栄えの写真はとうとう撮れませんでした。f:id:x-japanese:20220315212547j:image

最後に、これはうちの犬をケータイで流し撮りしたものです。鉄チャンを離れても、カメラ撮影の技法はさまざまな所で役に立ちました。特に子供の運動会の写真なんかはよく流し撮りをしたものでした。この時は犬に合わせてケータイを斜めに動かす感じで中々難しく、何回も挑戦したのです。しかし、結構躍動感がある写真になると思ったのですが、やはりケータイのように自動だと、イマイチ思った通りの写真にならないです😵。昨今、何でも自動で便利な世の中になりましたが、自分の思いという意味では画像にそれが現れず、何か味気ない感じがします。確かにケータイは本当に便利で気軽に撮影が出来ます。しかし、これからはここぞという時には手動に拘ってみようかと思っています。               f:id:x-japanese:20220314163027j:image