前回のブログはカラーでしたが、この回から白黒でまたまた都電を撮影しています☝️。前回はサンシャイン60が見える庚申塚辺りで撮影していましたが、この日は朝から都電としてはちょっと遠出して、熊野前辺りまでやって来ました。この下の写真はその辺りです。この辺りは専用軌道になっていますが、荒川車庫から小台、宮ノ前辺りまではまだ併用軌道でした☝️。

下の写真は熊野前の交差点です。当時でも結構大きな交差点でした。そして緩やかにカーブしていた為、真正面からいい写真が撮れました。特に上下列車が信号待ちをする関係で、青になると双方が同時に走り出す為、並びの写真が綺麗に撮れたのでした😊。
この交差点は、今では様変わりしています。この上を尾久橋通りの立体交差が出来、さらにその上を、日暮里舎人ライナーが走っています😳。そしてその駅が出来た影響で開発もされています。そう言えば、前の会社でこの辺りに住んでいた先輩がいて、この辺りの再開発に絡み、立ち退きを依頼された人がいました。それまでは立ち退きなんて言うと、おっかなそうな人がやって来て脅かされて追い出されるイメージを持ってましたから、「先輩も大変だなあ」と思ったのですが、よくよく聞くと、先輩は喜んでいるのです🤔。
聞くと、親の代から住んでいた家は既にかなりの古家で、それをかなりいい条件で買い取ってくれたと言うのです。そしてこう言った公的な立ち退きに協力すると、税制でも厚遇されるそうで、その後、その先輩は郊外の住宅地に家を建て、何だか優雅に暮らし始めたのです。それを見ていた我々は、自分達の家も、道路とか鉄道に引っ掛かからないかなあと、変な希望を持つようになったのを覚えています😵。そうなったら積極的に協力して、優雅に暮らそうなんて思っていたのでした。何とあさはかな人間でしょう😵💫。


そんな下らない話はさて置き、下の写真は滝野川1丁目と電停に書いてあります。大塚方面からやって来た6000系を撮影しています。そして飛鳥山までの一直線を走って行く所を追いかけて撮影しています😊。この辺りは随分と線路と道路が分けられてしまって、とても線路を歩けるような感じでは無くなってしまいました。昔は線路の脇に小道があり、そこが生活道路のようになっていました。この辺に住んでいる人達は平気でそこを歩いていましたし、私もよくその小道を歩いて、飛鳥山公園に行ったり尾久の車庫を見に行ったりしていたのです😄。


ここと西ヶ原4丁目の間には急なS字カーブがあり、そこも都電らしい光景が撮影出来たのです。またこの両駅には女子校がありました。なので、私は学校帰りによくこの辺りに都電を撮りに来ていました。別に変な趣味では無く、一応恋愛を経験しお年頃でもあったので、それなりには女性には興味があった訳です😅。しかし声を掛ける訳でも無く、写真を撮る訳でも無く、可愛い娘がいるか探していた訳でも無く、そこを通りすがるだけでした。今考えても何だか馬鹿みたいな行動をしていました。それよりも、今だったら変質者として通報されてしまうかも知れません😮💨。


下の写真は踏切の中程に電灯があった光景です。こんな設備で安全対策をしていたのでしょうか。線路を歩くなと書いてある看板も懐かしいです😊。

この後はまた庚申塚界隈にやって来ています。
この下の写真は、この後、高校の写真部で展示作品にした写真だと記憶しています。遮断機が無い踏切と6000系のコラボさせた写真です。もう少しトリミングして、半切位の大きさに焼いて、パネルにした覚えがあります。題名は忘れてしまいましたが、中々評判が良かったと記憶しています👍。
この下の写真は当時の線路沿いの小道、そして住居兼町工場の様子が写っています。こんな街並みが当時の普段の風景でした😊。右端にお母さんがベビーカーを押す姿が写っていますが、このベビーカーも懐かしい。当時は、四角い布製のようか箱に4輪の車輪を付けただけといった出立ちでした。昔は乳母車(うばぐるま)と呼んでいましたが、正しく「乳母車」といったビジュアルです。

その後は巣鴨新田電停で撮影。この電停の赤い看板が懐かしいです。夜になるとこの赤い看板に電気が付くと、何だかとても寂しく心細い気分になったのを覚えています😵。この看板はガラス製だった為、この頃は結構割れている物が多かったです。補修されている物は少なく感じました。ワンマン化でのホーム改修で撤去される予定だったのでしょうか。その後は見なくなった覚えがあります。ワンマン化後の写真は殆ど無いので、その後の様子が全く分かりませんし記憶にもありません😵。

下の写真は巣鴨新田を発車した6000系が、大塚駅方面に走って行ったのを写した物です。この辺りも随分と古い建物が多く、とても都会とは思えない風景です😳。左側にある塀がとても懐かしい。今にも崩れそうなこんな塀が、当時はたくさんありました。昔はこんな塀に登って、よく細い塀の上を歩いたり走ったりしていたのを思い出します。よく怒られたり、事故が起きなかったと思います。本当に、当時はおおらかでした。「貧しくしても平穏な暮らし」がそこにあったのがひしひしと伝わってくるような風景が、この都電と共に、たくさん写っているのが本当に懐かしいです😊。



































































































