前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

505.私の愛車遍歴の思い出、18

結婚して2人の愛車となった初代ミラージュは、その後もドライブ、旅行、買い物、そして妻の通勤と大活躍。独身の時より数倍の稼働状態になったのです。しかし買った時から既に5年以上経過、中古で買ったのですからそれ以上の経過年数です。結構ガタが出て来るようになっていました😵。車検や点検の度に交換される箇所が増え、維持費は結構かかるようになりました。特に以前から気になっていたバックギアは、かなりヤバい感じになっていました。私はまだ何とかコントロール出来ましたが、妻はそれ程運転が得意ではありません。当時、新婚で住んでいたアパートには結構広めの駐車場が付いていたので、まあ何とか対応していたのですが、このバックギアの状態が段々と悪くなって来る感じでした。それでも思い出の車であるミラージュ、最後の方は騙し騙し運転するようになって来て、さすがに妻にはキツい感じになって来ました。

そしてある日、断腸の思いでミラージュを買い替えを考える事にしたのです。するとたまたま近所に三菱のディーラーがあったのです。それもミラージュを扱っている「カープラザ」系列のお店でした。そしてある日、ふらっと行ってみたのでした。ミラージュは、既に私達の初代からマイナーチェンジのミラージュⅡと言うシリーズを挟み、2代目になっていました。この頃はバブル前夜の頃、日本も円高が進み大変な業種もありましたが、全体的には第二次オイルショックを乗り越え、活気が出始めていた時です。車もターボエンジンやツインカムエンジン等、様々な仕様の車が登場していて、ショールームにも活気がありました。

そして今回は新車を見てみる事にしたのです。今のミラージュは凄く気に入っているけど、やっぱりそこは中古車でした。原因不明のバックギアの不調はいつも不安でしたし、特に妻が運転するようになって、それはさらに心配になったのでした。随分と変貌してしまった2代目ミラージュにビックリしながら見ていると、すかさず店員がやって来ました。私も当時営業をやっていましたから、逆にセールスを受ける体験はかなり新鮮でした。

当時、3大セールスと言えば「車、保険、新聞」と言われており、このセールスが出来ればどんな業界に行っても大丈夫と言われていました。そして、さすがに流暢、丁寧にセールスを掛けて来ました。私は車よりそのセールス手法に感心。車の事はあまり聞いていませんでした。しかし気がつくと店員は、私より妻に向かって説明をしています。これには私は意外な感じがしました。これはその後、私のセールスにも随分と影響があり、誰が財布を握っているのかを瞬時に判断して、その人に向かいセールスする事を学んだのでした😳。

その日はパンフレットを貰い帰りました。しかしその後が凄かったのです。当時の車のセールスマンは、それはそれは猛烈の一言。電話はもちろん、夜遅くアパートに来た事もありました。来店をひたすら誘致して来ます。それに負けてまたディーラーに出向くと、またそこで猛烈セールス。ついに資金的な話になって来ます。共稼ぎとは言え、まだ結婚してそれ程は経っていません。そして、ローンはもうたくさんでした。買うとしても中古車と言って断っていましたが、それでも社員は引き下がりません。

ミラージュの後継は絶対にミラージュで、と言った信念のような熱意はそれは凄く、段々と新車を見るようになりました。つい、資金的に買えるかなといったグレードを見てみました。1,300ccの2ドアハッチバックでグレードはGL。エアコン、カセットあり、もちろんFF。最低のグレードでしたが、とりあえず試乗をしてみました。するとそのスムースさに感動したのでした。この程度で感動するのかと恥ずかしいですが、それ程この頃の車の技術の進化は凄く、また初代ミラージュの具合も相当悪かったのだと思います。

私達はまだ子供は考えていなかったので、大きい車は考えておらず、また妻にはこの程度で十分だったので、かなり心が動きました。何とか即金で買えるし、この時はかなり心が動きました。しかし一旦保留。頭を冷やす為帰りました。しかしセールスはその後はさらに激しくなりました。何度か夜に家に来られました。相手はクロージングに入っているのです。そしてこの辺りで値引きやサービスをチョコチョコ入れて来ます。これにまた心が動きます。

そして3回目位の夜、さらに少し値引きをしてくれました。金額的にはもう十分でした。ここは「後悔先にたたず」が頭をよぎりました。また今のミラージュを学生の時にローンで買って返した自信もあったのでした。私は「分かりました、お願いします」と言い、契約をしたのでした。それから2人は、新しくやって来る新車の話で話題はもちきり。約1ヶ月後、その2代目ミラージュはやって来たのです。と言うか値引きの条件で取りに行く事になっていたので、最後のミラージュでのドライブで、ディーラーに行きました。そして2台のミラージュを並べました。その時、走馬灯のように今までのミラージュとの思い出が蘇りました。妻は涙ぐんでおり、私もこのミラージュが彼女を妻にしてくれたんだと思うと、ジーンとしてしまい、暫く2人でミラージュを眺めていたのです。その後、2台を並べて記念撮影をして貰いました。

今度は逆に社員さんが我々を見て、「そんなにこのミラージュを気に入って貰えて、本当に社員冥利に尽きる」、と言ってくれました。そしてやって来た2代目ミラージュ。形はかなり先進的に変わって、今までの可愛い感じでは無くなりましたが、赤いボディは妻はお気に入り。運転にもストレスが無くなり、その後は新しくやって来たミラージュで、それ以上に楽しい思い出を作ろうと、色んな所に出掛けて行ったのでした(この時の三菱の車は、MMCのマークになっていました)。f:id:x-japanese:20240211111930j:image

504.私の愛車遍歴の思い出、17

兄はますます高級嗜好となって行きました。そしてカリーナの後のローレルも直ぐに飽きてしまったようで、その1年後位に、我が家では自家用車としては初めての新車を買う事になったのです。それがローレルの四代目でした。当時CMでは、確かあの有名なファッションブランドの創設者、ジバンシイが宣伝していたと思います。日産もこのローレルにはかなり力を入れているのが分かりました。

両親もさすがにこの車にはビックリしたようでしたが、兄も既に社会人です。金銭的な事は関係無いという感じで、母なんかは「大事に乗りなさい」程度のリアクションでした😅。確かにこのローレルは中々格好が良く、同じ日産のセドリックやグロリアをスポーティーにしたような、若者に向けてのコンセプトを感じました。ツートンの色合いも綺麗で走りも優雅。さらにターボエンジンと、メダリストという上級グレード。兄もかなり気合いを入れて買った車でした。前のローレルにお別れも出来ずに、いきなりやって来た四代目でした。私は既にミラージュを持っていたので、特にどうこう思う事は無かったのですが、この車が来た事でミラージュの車庫からの出し入れに神経を使う事になったのです。とにかく兄の気合いが半端無かった車なのでぶつけては大変。駐車場からの出し入れにとても気を遣うようになったのでした。

そしてこのローレルは、家族には結構役に立ったのです。父なんかは結構ゴルフの時に、兄に乗せて行って貰うようになったり(それまでは電車で重いゴルフバックを担いで行っていたのです😳)、私はこのローレルが来た頃は、ちょうど私の卒業式シーズンに当たっていたので、良く貸して貰いました。また彼女も同じ歳なので、同様に卒業式やら謝恩会のような物があったので、その時にもこのローレルを借りて、送迎したのです。このような式典会場にミラージュで送り迎えするのはちょっと気が引けていたので、このローレルが本当にジャストタイミング、結構使わせて貰ったのです。

私の大学は都心から結構離れていたので、このローレルに乗って行って、卒業式に出席。大学ではお祝いに来てくれた後輩達から羨望の眼差しで見られて、中々いい気持ちでした😅。これはミラージュに乗っている時に感じる視線とはまた別な感覚。単純に「新車だ〜」とか「いいなあ〜」といった言葉を投げかけられるし、それに対応する気分は本当にいい気分。自分の車でも無いのに、有頂天な気分でした。車に対して初めて「ステイタス」を感じた場面でもありました。当時の若者はそれ位、車に対する憧れが強かったのだと思います。そしてこの時、車という物はこう言った式典には、それなりの車種じゃないと場違いな感じになるという事を感じたのです。このローレルは本当にいい時に来てくれたと思ったモノでした。

またこの時、後輩達の話を聞いていると、このローレルという車種が、何と言うか、頃合いがいいと言うか、20代の若者にはちょうど憧れる事が出来ると言うか、何とか自分でも手が届くと言うギリギリのラインなのが、羨望を受けるのだと言う事が理解出来たのです。これがもしクラウンとかセドリックだったら、ハナから20代の連中が買う車ではありませんし、金額的にもイメージが沸かないと思います。その下の世代をターゲットにしている車だからこそ、若者も反応しますし、何とか頑張って買える金額という車だったからこそ、羨望を浴びたと理解したのでした。この時にマーケットとかターゲットと言う感覚を、現実のモノとして理解出来ました。勉強でマーケティングとか色々やりましたが、このような実例で説明してくれれば、訳なく理解出来たのに、と思ったのもこの卒業式の時でした😅。

その後も、彼女の卒業式とか謝恩会にも私はもちろんアッシー君として活躍。この時もミラージュでは無く、このローレルで送迎をしました。卒業式当日、家に迎えに行くと、大正浪漫の袴姿で彼女が出て来ました。私はそんな姿は今まで見た事が無かったので思わずうっとり😍。そして、その出立ちがこのローレルに中々合います。彼女のご両親もご満悦な感じ。このローレルでかなり点数が稼げたと思いました😅。

しかし、これを最後にほとんどこのローレルには乗る事はありませんでした。兄は15万円分は私が出した事には変わりはないので、その後も使わせてやるとは言ってくれましたが、こんな車は何か私には不釣り合いな感じがして、その後、何か2人のお祝い事とか記念日等でも、ミラージュでせっせと出掛けていたのでした。式典に出席するようなシチュエーションは今後も暫くは無いだろうし、大事に乗っている兄に悪いと思い、それこそこのローレルは駐車場の出し入れのみ。後輩達から受けた羨望の眼差しも、自分には関係無いとあっさり割り切りました。なので、本当に思い出が薄く、この愛車遍歴のブログを書く時に思い出した位なのでした😵。

その数年後、私は彼女と結婚。結婚式場には、このローレルを借りる事無く、2人の車であるミラージュで行きました。式場の前でミラージュと撮った写真は、本当に感慨深かった思い出があります。この後も、いい車とかカッコいい車とか、色々と出て来る世の中になって来ましたが、我々はこのミラージュが自分達のレベルに合致していると思い、日々を過ごしていました。しかし、遠い将来にはグレードアップした車を買えるようになろうと、心に決めていたのでした。

大学の卒業式のスナップ。後ろには後輩達がタムロしてローレルに見入っています。

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503.私の愛車遍歴の思い出、16

今回は、友人の車を書こうと思います。それはシルビアです。この友人は地方出身だったのですが、親戚が都内におり結構な資産家だったようで、その親戚の敷地を駐車場として貸して貰えたとの事で、この中古車を買ったのでした。当時はやはり、車自体は中古車であれば金額的には何とか買えたのですが、その維持費、特に都内では駐車場代が馬鹿にならなかった為、中々車は持てなかったのでした。私も家に駐車場があったからこそ、車が買えたのだと思って家には感謝したモノでした。そしてこの友人が私のミラージュに続いて車を買ったのです。それがこのシルビアでした。

それを聞いた時、いい車を買ったなあと思いました。シルビアと言えば日産のスペシャリティーカーの部類に入り、トヨタセリカのライバル的な車で、昔から人気の車種でした。そしてこの3代目のシルビアも先代を凌ぐ中々のスタイルで、ノッチバックの2ドアというスタイルが斬新で若者に大人気となりました(写真は車のパンフレットから引用しました)。f:id:x-japanese:20230622222811j:image

2年落ちの車でボディや内装の状態はいい感じでした。1,800ccで普通のエンジンでしたが、当時から技術の日産と言われていましたから、私も乗らせて貰いましたが走りは中々な物でした。もちろんFR、グレードはL-SEX、内装も豪華な感じ。女性の好きな車ランキングでは必ず上位に顔を出す車だったので、どちらかと言うとナンパをするような車として見られていました。この友人は結構硬派でチャラい奴では無かったので、意外と言えば意外でした。しかし友人達にはこのグレードを茶化され、エルセッ◯スと呼ばれ、エロい奴呼ばわりされるようになりました😅。これは妬みもあったのだと思いました。中古車とは言え結構値段もしたと思います。

この友人はとにかくよくアルバイトをする奴でした。大学も2年になると殆ど学校に来る事は無く、毎日のようにアルバイトに明け暮れ、時々通学して来ると、その後はよく飲みに行った物でした。そして必ず二次会へ突入。当時から彼は学生の分際で行きつけのスナックがあり(これも親戚の関係だったようです)、私なんかも一緒によく行き、カラオケもよく歌っていました。当時はエイトトラックというカラオケテープをかける機械で音楽を出し、それに合わせて歌詞カードで歌うという形でした😵。

当時のスナックには、大体店主のママさんがいて、社員かアルバイトの女性が1〜2人。客席はせいぜい10人程度。営業時間は夜の8時頃から、夜は客が帰るまでやってるみたいな感じでした。なので帰る時間を考えないといつまでもいる感じとなり、お会計が結構大変な事になる事もしばしば。我々は大体2〜3人で行っていましたが、この友人、大体が酔い潰れて我々が家まで送って行ったのでした。お代はいつもツケなので、友人に後日払うと言っても受け取ってくれないという、太っ腹と言うか変わった奴でした。その位金回りはいい奴でしたから、多分このシルビアも現金払いで買ったのだと思います。まあこの辺りは人の財布の事なので、あまり詮索はしませんでした。

そしてこの友人とは何回かツーリングと言うか、旅行に行きました。私はミラージュ、彼はシルビア。その他友人を3人程誘い、夏休みには海や山にドライブに行きました。そしてそこでは、駐車場に2台並べて停めていると結構注目されたりしていたのです。どちらも違うジャンルで女性に人気がある車だったからか、結構見られている感じがしたモノでした。一緒に行った友人なんかは、現地でよく女性に声を掛けていて、実際一緒にドライブに行った事もあり、それなりに楽しかった思い出があります😅。

また違う旅行では、前日の旅館で全員が酔い潰れ、翌日の出発時間になっても頭が痛く気持ち悪い状態。しかしチェックアウトの時間が迫り、こんな状態でドライブに出たモノですから、全員が絶不調。今ならこんな状態で運転してたら、一発で酒酔い運転と見なされてしまいます。とりあえず、近くの駐車スペースを探して休憩しようと車を走らせていると、前方を走るシルビアの後部座席から友人の1人がいきなり顔を出しました。その後、シルビアは路肩に急停車。どうなってしまったかはご想像にお任せしますが、車体が汚れてしまい、シルビアの友人は途方に暮れていました。私は自分の車じゃ無くて良かったと思ったのでした。その後、洗車場を見つけ、シルビアを洗う友人は特に怒る訳でも無く、黙々と車を洗っていました。こう言った所も太っ腹な奴だなあと感心したのでした😊。

またある旅行では、宿泊代を浮かすため、昔よくあったバンガローと言う物に泊まった事があったのですが、その旅行の最中にまさかの台風が直撃。こう言ったバンガローの施設というのは大体山間にあるのですが、その台風の晩はお互いの車が心配で一睡も出来ず、翌日の朝一番に2人で車を見に行き、無事だった時にハイタッチをして喜んだのもいい思い出です。

またこの車、友人からデートで使いたいから貸してくれとせがまれて、結構貸していた事がありました。そんな事にもお構い無し。私はミラージュは絶対に貸さなかったので(バックギアの具合が悪く、それを言われるのが嫌だったからなのですが😵)、本当に当時のこの友人は太っ腹と言うか、変わった奴だなあと思っていました。

この友人とはその後も付き合いが続いており、先日も他の友人達と飲みに行きました。あの頃の太っ腹はすっかり影を潜めて普通の会社員となりましたが、その頃の面影はしっかり残っていて、またいつかあの頃みたいな旅行がしたいなあと、お酒を飲みながら話しています。こんな思い出をくれたのも、車があったからこそ。この歳になって改めて感謝をしています。

502.私の愛車遍歴の思い出、15

ミラージュを買い彼女が出来た事で、その頃は私は有頂天な気分。しかしその後は色々と厳しい現実が待っていました。まずは車庫でした。父は約束通り会社の倉庫を整理して車庫のスペースを作ってくれました。そこで無事に車庫証明も取れました。しかしこの車庫がかなり出しずらかったのです。スペースを確保してくれたとは言え、それは仕事の方が大事なのは当たり前です。そしてそこには兄のローレルも置いてあるのです。車庫スペースは縦長になっていたので、私のミラージュはローレルの奥へ突っ込むように入れなければなりませんでした。そしてこの駐車場が少し斜めだった為、入庫の時は頭から突っ込んで入れ、出す時はバックで出るのです。さらにその道は4m道路の一方通行。車通りはそれなりにある道でした。そしてその車庫、元々は倉庫なので入口にシャッターが付いたいたのです。

この車の出入りがかなり大変でした。出る時はまず、重いシャッターを開け、兄のローレルを一旦どかします。バックで恐る恐る出します。後方が死角で全く見えないので、少しずつバックしてクラクションが鳴ったらまたやり直し、といった感じです。そしてバックで無事に車庫から出ると、直ぐ近くにちょっとしたスペースがあって、そこにローレルを一旦置きます。そして急いでミラージュまで走り、同じようにバックで出すのです。そしてミラージュは車庫の先の細い道を左折して、そこに一旦置きます。そして急いでローレルまで戻り、一旦バックしてあとは頭から突っ込みます。シャッターを閉めてミラージュまで走り、やっと出庫完了です。車庫の前は、あるデパートの女子寮だったので、時折その光景を見ている女性達がいて、後半の方は私の手早さとあざかやさに拍手された事もありました😅。本当に今考えても、よくぶつけたり事故ったりしなかったなあと、我ながら感心する位の駐車場でした😅。

そしてまたまた大変になったのが、財務状態でした。貯金も殆ど吐き出してローンの返済も始まります。彼女も出来た事により、ちゃんとしたデートに行く事も増えて来ました。アルバイトをしていたとは言え、ドライブに行く資金は中々厳しい物がありました。そこで仕方なく、暫く封印していたデリカからのガソリン奪取を始めました。これでミラージュのガソリン代は只になっていました。時には彼女にも手伝わせて、デリカからガソリンを取っていた事もあり、よくこんな事をさせて愛想を尽かされなかったと思います。また会社でもこれはある程度バレていたと思います。社員からは「バカ息子」と思われていたのかと思うと、今更ながら、父や祖父には悪い事をしたと反省しております😵。

また、このミラージュ、結構参ったトラブルもありました。ある日のデートで高速を走っていると、突然カセットプレーヤーが動かなくなりました。次のサービスエリアで止まり、色々調べましたが原因が分からず。仕方なくそのまま走ろうとした所、エンジンが掛かりません。バッテリーが上がってしまったのです。仕方なくJAFを呼び修理をして貰いましたが、原因はエアコンとカセットの使い過ぎと(当時のバッテリーは弱かったな〜😵)、あと充電するファンベルトがかなり緩んでいたようなのです。これはその後もトラブルが多発し、結局、このバッテリーやベルトは交換する事になりました。この辺りも安かった原因なのでしょうか。当時の車は、こう言った電気系のトラブルは結構ありましたが、やはり安い車を買うとそれなりなのかと思っていました。

さらになぜかタイヤの摩耗があり、割と直ぐに変える羽目になりました。また、改めてよく見てみると、フロントグリルに三菱のエンブレムが無い事に気が付きます。また後ろにはやはり車名とグレードのプレートが無いのです。この辺りはよく見ないで買ったからか。「この車、ちょっとヤバいんじゃないか」と、その都度不安が過ぎりましたが、そこは、彼女を振り向かせてくれた車です。その辺りはあまり考えないようにしました😵。

そしてさらに参ったのがローンのボーナス払いでした。私は、これが毎月の返済に上乗せされる認識では無かったのです。ボーナス時は5万円だと思っていたら、毎月の2万円に5万円が上乗せされ、7万円だったのでした。これにはかなり焦りました。さらに追い討ちを掛けたのが、点検、そして車検でした。車検ともなると下手をすると10万円近く掛かって来ます。そしてさらにさらに、春になると自動車税なる税金がやって来ます。1,400ccだったので3万円程度でしたが、春休みやGWが終わった頃届くので、金欠状態です。これもかなり参りました😵‍💫。当時は本当に毎月が火の車状態。何とか節約出来たのはガソリンだけで(節約では無いのですが😅)、やはり車は維持費が掛かる物だと実感するのでした。

しかし何とかアルバイトを頑張り、耐え忍んでいたのでした。時には夜、別のアルバイトも入れ、ダブルヘッダーで頑張った時もありました。そしてその後、さらに大変だったのが就職活動でした。その時私は、私の大学からは中々厳しいと言われた会社の就職を目指していました。なので、在学中でも結構遊んでいたにも拘らず、真面目に就職の情報を収集していたのでした。

そしてやはり大学4年の就職活動期間は、アルバイトはもちろん、遊んでられない感じになって来たのです。大学の就職部へ行ったり、会社訪問をしたり、その会社の先輩に会ってもらったり、また試験や面接もあるので勉強をしたり、調べ物をしに図書館へ行ったりと、アルバイトに行く暇が無くなってしまいました。ある程度資金的にも準備をしてこの就職活動をしていましたが、心の中では、いつまでも内定が下りなければアルバイトが出来ず、返済が行き詰まってしまうと、気が気では無かったのを覚えています。幸いと早々と内定を貰えました。アルバイトを休止していたのは3ヶ月弱で済みました。その時は内定よりも、これでアルバイトが出来て返済が滞らなくて済むと、そちらの方が嬉しかったのを覚えています😵。そしてそこからまた猛然とアルバイトをして、お金を稼ぎました。

そして就職が正式に決まり、資金的にも精神的にもかなり楽になりました。日曜日の彼女とのドライブも、もうデリカからガソリンを取らずに出掛けられるようになりました。そしてこの就職が決まった事で、我々は将来の事を話し合うようになり、その後、結婚へと向かうようになったのでした。そして旅行も彼女の親から許しを貰い、泊まりで出掛けるようにもなって来ました。それまで中々行けなかった清里(今は随分と廃れてしまったようですが、当時は本当に可愛らしい街でした)や箱根、軽井沢、伊豆、房総等に行きました(もちろん鉄チャンにも😅)。

このミラージュはこの頃でも結構若い女性達に人気があったので、彼女と2人でドライブしていると見られている事を多々感じました。そんな時はわざと窓を開けてご機嫌な音楽を流し、颯爽と通り過ぎるのです😅。こんな事が出来るようになった事に万感の思いがありました。それも猛アタックした彼女が隣に乗っているのです。本当に今まで苦労して来たけど、その後には素晴らしい事が待っていたんだと、この頃は人生バラ色だと心底思っていた頃でした。

そしてこの一連の事を、彼女も両親に話していたのでしょう。彼女の父には当初、結婚は反対されましたが、最終的には「おまえの彼は、何だか知らないけど食べさせる事だけは絶対にしてくれそうだ。」という理由で、結婚を許可してくれたのでした。ミラージュはその後、結婚した我々と共に、あの狭い駐車場から出る事が出来ました。少し郊外のアパートに住み、妻はその後も働き、通勤の関係で車を使うようになり、ミラージュが妻の通勤車となり、毎日ご機嫌で乗って行くようになったのでした。あの時頑張って買った車を、妻となった女性が通勤で使う事になるなんて思ってもみなかったし、その嬉しそうな姿を見ていると本当にこのミラージュを買って良かったと思ったものでした。もちろん、休日には色々な所にドライブに行きました。本当に思い出深い車でした。

このミラージュは本当に我々を取り持ってくれた「恋のキューピッド」だと思っています。この後も愛車遍歴は続いて行きますが、今もこの車が新車の状態で買えないかなあと思っています。一時、フォルクスワーゲンが、ビートルという車を復刻販売した事がありましたが、あれをぜひ三菱にはミラージュでやってほしいと思っています。若い頃の思い出の車に乗れるなら、多少お金を払ってでも手にしたいと思っている人は、結構いるんじゃないかなと思っています。

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501.私の愛車遍歴の思い出、14

彼女を落とすべく、この後ミラージュ探しが始まります。毎月の色々な車雑誌の中古車情報を必ずチェック。見つかるととりあえずその週末にダットサンで見に行きます。時には1人で、時には友人と。今ではネットで調べメール等でやり取りの便利な時代。しかし当時はそんなアナログな時代でした。そんな週末が毎週のように続きました。例の怪しい中古車屋にももちろん行きました😵。しかし中々見つからない。あっても高くて手が出ない。そして探索する地域を広げ、時には千葉県や茨城県まで行きました。

そしてある時、それ程大きくなさそうな中古車屋の情報欄に、ミラージュが載っていました。価格も今までで一番安い。それでも72万円。色はドンピシャのワインレッドメタリック。1,400ccのGLX、まずまずのグレードです。そして2ドア、エアコンも付いてました。サイドボディのMIRAGEという文字はありませんでしたが、その分、ワインメタリックボディが目立つ感じでした。そして何と言っても目についたのが、FFと言う駆動方式でした。この時初めて知った、前輪が回ると言うのが新鮮でした。

2年半落ち程度で、肝心の車検は1年半近くありました(当時は新車の車検も2年だったのです)。そして何とAT車でした。場所は千葉県。夜8時までやっていると言うので、遠かったけど夕方会社のダットサンを借りて、直ぐに行ってみました。そこは国道に面した小さな中古車屋でした。そしてそこにミラージュは置いてありました。もう夜でしたが、水銀灯の明かりの下で綺麗に映えるその色は、本当に綺麗でした。直ぐにその店の社長が出て来ました。そして色々とセールスを始めました。

この時、初めてミラージュを間近に見たのでした。FF駆動なのでその分室内が広く、小型車なのにその広さにビックリしたのを覚えています。この車は人気があり、さらにAT車なので結構希少である事。なので直ぐに売れてしまうと思うとの事。私が即金では払えない事を言うと、ローンの説明も始めました。学生だと言うと、成人しているなら大丈夫と言うのです。ローンの概算と諸経費も計算してくれ、車体価格以外にも色々掛かるんだと思いました。それにしてもローンを組んだ所で支払い切れるのかも不安でした。色々と説明されましたが、一旦保留。また今週末に来る事を約束。それまで取っておいてくれるとの約束をしてくれました。

そして帰ってから家族に相談。父はおれは知らないとの態度。その代わり、以前約束した駐車場と保険は何とかしてやるとの返事でした。母はそんな金額どうやって払うの、と心配して反対しました。兄は買ってみたら、みたいな軽いノリ。私は暫く考えました。今の私の財務状況はそれ程悪くない。飲料水会社のアルバイトも軌道に乗っており、頼りにされている位でした。学校も、今後選択授業を上手く組めば、これからはアルバイトの時間もさらに増やせる。それなら何とか支払いは可能かと思いました。

そしてその週末、ダットサンで彼女を誘い、千葉の中古車屋まで見に行きました。すると社長はもちろん覚えていてくれて、改めて説明してくれました。もちろん試乗もさせてくれました。少しバックギアの入りが悪い所があるけど、その分が安くなってると思ってくれればいいとも言いました。そして、これは掘り出し物だと彼女にも言いました。今日決めてくれなければ、また一般に売り出す事も言い出します。彼女だってこんな買い物を勧める訳がありません。逆に困った顔をして私の方を見ていました。でも、その目は、欲しいって言いたいけどそんな事言える訳無いといった、小さい子供のような可愛い目に見えました。私は悩みました。しかし彼女をゲットするにはこのミラージュが必要だと思ったのでした。そして何とかローンを組んでも支払っていけると思ったのです。後は「後悔先に立たず」の言葉が私を後押ししました。そして、決断したのでした💪。

こんな買い物、学生の分際でローンを組んで大丈夫なのか。しかしもう返事をしてしまったので、後戻り出来ません。我々は事務所に通され社長はテキパキと書類を作り出しました。まずは車庫証明代とかの諸費用の説明。そしてそこからまたまたセールスが始まったのでした。確かにカセットプレーヤーがありませんでした。これはオートバックスでも行って後で付けるかと思っていたのですが、今だったらサービス価格でやってあげるといいます。その他も色々言われ、20歳そこそこの若者などはチョロいモノだったのでしょう。価格は72万を優に超え、手持ちの貯金をはたいて、残額70万円のローンを組んだのでした。月々2万円、そしてボーナス時5万円、36回返済でした。今考えると「過払金請求」が出来そうな金利だと思います😱。

そして念願のミラージュを購入。そして彼女に再びアタック。彼女もさすがにこの行動には感動してくれたのか、正式にOKをしてくれたのでした(やっぱり男は押しですね😅)。彼女とは高校生の時から色々とありましたが、その後、こんな形でまた付き合えるとは思っても見なかったので、このミラージュは私に取って、恋のキューピッドのような車でした。そして彼女もこの車を大好きになってくれ、暇さえあればドライブに一緒に行くようになりました。私はライバルに勝ったのでした。あまりの嬉しさに、ある自動車雑誌の「愛車と恋人」とか言うコーナーに写真を応募、見事掲載された事もありました。そしてそんな事が自信に繋がって行き、人生が開けていく感覚を味わえたのでした。

しかしこのミラージュ。やはり安いだけありました。バックギアは確かに気になりましたが、それ以上に、その状態で停止するとかなり振動があったのでした。ちょっとこの辺り、事故でもあった車なのかと疑いましたが、まあ普通に走るし、それ以外は大体満足。とにかくワインレッドのメタリック塗装がとても綺麗で、それ以降も彼女が夜遅くなる時によく迎えに行きましたが、ミラージュを見つけて笑顔一杯でこちらにやって来る姿を見てると、それだけで天に昇る気分。やっぱりこの車を買って良かったと思ったのでした。f:id:x-japanese:20240302231204j:imagef:id:x-japanese:20240302231246j:image

 

 

 

500.私の愛車遍歴の思い出、13

今回は私が初めて買った車、ミラージュです。このブログの記念すべき500回目が、何とこの車を購入した話になるとは思いませんでした。何か偶然とは言えない運命のよう無い物を感じるなあ😊。このブログ、まだまだ頑張って続けて行ければと思っております💪。

改めて本編に戻ります。あれ?カリーナとかセリカでは無かったの?、と突っ込まれそうですが、なぜそうなったのかを書こうと思います。これは一言で言うと、彼女の争奪戦の結果だったのです。オースターの一件から、私はこの女性(今の妻です)を何とか落としたく、積極的にアピールしていたのです。以前に振られるようにフェードアウトしてから、ひょんな事から再開し、また少し付き合えるようになったのです。しかしちゃんとした彼女であるとは言えず、中途半端なお付き合いをしていたのでした。

そこに所謂、ライバルが出現したのです。この頃の男性達は、デートに誘うには手っ取り早いのはドライブに誘うのが一番。町や観光地で女の子を誘う、所謂「ナンパ」も車でやるのが一番だったのです。中には高級車でドライブに誘う輩もいましたが大体が家の車。家が裕福で無い我々は大体が中古車、または小型の車でした。しかしこの頃は、ツーボックスカーとかコンパクトカーとかが流行り出し、若者でも手が出る位な金額で買えるようになって来た事から、車を持つ連中が増えて来ました。

このサイズのパイオニアと言えば、やはりホンダのシビックでしょう。それまでの乗用車と言えばセダンタイプが主流だったのを、ハッチバックスタイルという物を世に広めたと思います。またボディが小型化軽量化、そしてエンジンの進化で燃費も良くなり、大ヒットした事により、このサイズの車がその後どんどんと出て来るようになったのです。世間が車を選ぶ基準に、「経済性」とか「可愛い」というコンセプトを加えた車だと思います。

そして1980年に、マツダの5代目ファミリアが登場します。これが大ヒット。確かにハッチバックのその車体は可愛く、特に女性には、赤い色のファミリアが人気となりました。また、シートがフルフラットになるので、当時のサーファー達にも人気が出たようでした。瞬く間にその人気は若者層に広がり、この車により2ボックスカーというジャンルが確立したと思っています。そしてライバルはこの車、ファミリアを引っ提げて彼女にアタックを仕掛けて来たのでした。その時の私はというと、カリーナが無くなってしまったので、ローレル、そしてダットサンやデリカ辺りでドライブに誘っていました。ローレルなら十分に優勢な感じがしますが、ローレルは彼女に不評でしたので、さすがにこれでは勝負になりませんでした😵。

しかし彼女は、そのライバルのデートの誘いには乗り気では無いようでした。どうもハッチバックのサイズの車は可愛いと思っているようなのですが、あまりの人気でファミリアがたくさん走ってるようになり、そのありきたり感が嫌そうなのでした。そしてある日、学校からの帰りが遅くなる日があるというので、その日に駅までダットサンで迎えに行った時です(元祖アッシー君ですね😅)。家までの道を走っていた時、突然、彼女が「あの車、可愛いよね。」と言うのです。その方向を見ると、信号待ちをしていた赤い2ボックスカーが止まっていたのでした。

私はそれまでは、カリーナとかセリカとかのハードトップ系の車ばかり調べていたので、その車が何だか分かりませんでした。確かに可愛いけどファミリアとあまり変わらなく見えました。そして、その時です。私の闘争本能に火が付いたのです。「この車を買えば彼女は完璧におれのモノになる」と思ったのでした。それから、この車探しを始めたのでした。最初は「まさか外車じゃないだろうな!」と思いながら、車雑誌を調べました。

すると程なくこの車が分かりました。三菱のミラージュという車で、既に2年前位から発売されており、それなりに売れているようでした。彼女にこの情報を見せると間違い無いとの事。この車も結構人気があるようで、その中古車価格はかなり高めでした。確かに一番古くても2年落ちという事になるので、金額もそれなり張るのは当たり前でした。それよりこの車、中々数が無いのです。まだ新しいので買い替え時期でも無く、中古車市場にあまり流れて来てないようなのです。まさか新車を買う訳にも行かず、これは悩ましい選択になりました。

また色々と調べると、中々マニアックな車でした。マニュアル車は4速で普通なのですが、もう一つシフトが付いていて、それを組み合わせると8速になるというシロモノでした。オプションでしたが、サイドボディには黒字の切り抜き文字で「MIRAGE」と入っており、その姿は斬新でした。またこのメタリック塗装が綺麗。赤では無く、ワインレッドという色合いは何とも言えず、これは確かにファミリアのファン層とは少し違うというのが分かりました。彼女はこう言った、世間とは少し違う物が好き、という拘りがあるのかと思いました。こんな所がある彼女に、私はさらにキュンとしてましい、私はとにかくこの車を何とかゲットして、ライバルとの競争に勝とうと爆進したのでした😊💪。f:id:x-japanese:20240302002212j:imagef:id:x-japanese:20240302002548j:image
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499.私の愛車遍歴の思い出、12

今回はセリカリフトバックです。この車は、自分だけの車を買おうとしていた時に、最初に気に入った車だったのです。カリーナを手放してから色々な車を探していたのですが、気に入った車はあるのですが金額の問題もあるし条件面も色々ある。そしてやはり、カリーナのイメージが消えずに、何となく同じような車ばかりを見るようになりました。するとセリカという車種に目が行きました。そしてそれがどんな車か兄に聞くと、早速、車仲間に相談してくれたようで、実際に知人が中古車を持って来てくれたのでした。

そして当日、我が家の前にやって来たセリカリフトバック。1974年製位だったか、約7年落ちという事で、結構古い感じでしたが、形は私が思い描いた通りのカッコいい車体でした。カリーナと同じ、1,600ccの2ドアのハードトップスタイル。グレードはGT。エアコンやカセットプレーヤーは無かったと思ったな〜。そしてカリーナよりさらに後方が流麗で、後方の窓と一体となって荷物室が開く、リフトバックというモノに衝撃が走りました。思わず「カッコイイ」と叫んでしまった位でした(写真は車のパンフレットから引用しています)。f:id:x-japanese:20230621101603j:image
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特に斜め後方から見るととてもお洒落。今見てもカッコいいですよね。この時代にこんな車を作っていたトヨタも凄いと思います。GTというグレードは、この頃は車好きな男性達には随分と憧れがあったようで、この車、私より兄が興味深々でした。私はこのリフトバックを見てから、後ろがガバッと開くのがとても新鮮で、このセリカのイメージがあまりにも強く残ってしまいました。それ以降、リフトバックやハッチバックの車がお気に入りとなったのでした。

値段は確か30万円程度だったような覚えがありますが、結構ボディが痛んでいたのが分かりました。またエンジンの周りの色々な物も結構くたびれていたように見えました。現在では中古で7年落ち位でも、見栄えも含めてもまずまずのコンディションの車が多いですが、この頃は5年も乗っていると古くなる感じだったのです。試乗もしましたが、クラッチが硬くまたハンドルも重く、何か運転が疲れそうなイメージがありました。しかし馬力はGTを謳っているだけの事はあり、加速はかなり早かったのを覚えています。

「もし気に入ったら連絡して」と言い残し、知人は帰って行きました。そして暫く悩みました。金額的には悪く無かったのですが、全て貯金で賄える金額ではありません。足りない分をどうするかも気になりました。これも今みたいに、簡単にローンが組める時代ではありませんでした。当然まだ学生です。普通に借りるなんて考えられませんでした。親も当てに出来ません。そして最終的には、どうしてもちょっとくたびれた感じのボディとエンジンルームが気になって、結局、お断りする事にしたのでした。

それにしても、当時の中古車事情はかなり悪かったと思います。この後、私は引き続き車を探すのですが、車雑誌の中古車情報から、その中古車屋に試しに見に行ってみても、情報の写真と実物の差があまりにも違う物が多く、ガッカリした覚えが多々ありました。そしてそれ以外でも、中古車店に並んでいる車自体に信用性が低かったのです。外見だけ良く見せて、中身はどうなのかといった胡散臭い車も多く、だからこそ兄は、信用ある知人から中古車を買っていたのでしょう。

そして確かに、こういった当時の中古車店では、実しやかに、事故車を修理して売っているとか、盗難車を組み立て直して売っているとか、所謂都市伝説的な店は結構あったのです。当時は色々な国道沿いには結構な数の中古車屋さんがありました。その殆どはちゃんと経営をされていたと思います。しかし中には、我々若者達の間で、「あの店は止めた方がいい」とか「この店は悪い噂がある」とかの情報が出回っていたのです。その代表的な店が都内にあったのたのです。

その店はとにかく煌びやかな店でしたが、とにかく中古車の在庫がふんだんにあり、そして格安でした。当時の我々のような若者達は、一度はその店に行った事があると思います。そこで買った友人も知っていました。しかしその店の噂は「本当かよ!」と思った程です(最近問題となっている〇ッ〇モーターではありません😅)。詳しい事は言えませんが、調べると未だに営業しているようです。まあ、この時代は車だけではなく、あらゆる商売でこんな事が横行していた時代だったのも事実です。

あるお笑い芸人の笑い話で、小さい頃お祭りで、亀を買ったそうです。その屋台の人の話では「亀は万年生きる」と言ったそうです。しかしその亀は、買った数日で死んでしまったそうです。お祭りはまだやっていたのでそこに行ってみると、まだ屋台があったそうです。そして屋台の人に亀が死んだ話をしたそうです。するとその人は「そう?、ちようど一万歳になったのかな〜?」と言って取り合ってくれなかったとの事でした😵。

昔はこんな事は多かったように思います。今は本当にいい時代になりました。セリカと聞くと、そんな昔を思い出します。そしてこのセリカ、10年以上前に生産中止になりましたが、最近、復活する話題があります。ぜひまたカッコイイ車として復活して欲しいと思います。