前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

824.ネガフィルムの懐かしい記憶、121

前回のブログはカラーでしたが、この回から白黒でまたまた都電を撮影しています☝️。前回はサンシャイン60が見える庚申塚辺りで撮影していましたが、この日は朝から都電としてはちょっと遠出して、熊野前辺りまでやって来ました。この下の写真はその辺りです。この辺りは専用軌道になっていますが、荒川車庫から小台、宮ノ前辺りまではまだ併用軌道でした☝️。

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下の写真は熊野前の交差点です。当時でも結構大きな交差点でした。そして緩やかにカーブしていた為、真正面からいい写真が撮れました。特に上下列車が信号待ちをする関係で、青になると双方が同時に走り出す為、並びの写真が綺麗に撮れたのでした😊。

この交差点は、今では様変わりしています。この上を尾久橋通りの立体交差が出来、さらにその上を、日暮里舎人ライナーが走っています😳。そしてその駅が出来た影響で開発もされています。そう言えば、前の会社でこの辺りに住んでいた先輩がいて、この辺りの再開発に絡み、立ち退きを依頼された人がいました。それまでは立ち退きなんて言うと、おっかなそうな人がやって来て脅かされて追い出されるイメージを持ってましたから、「先輩も大変だなあ」と思ったのですが、よくよく聞くと、先輩は喜んでいるのです🤔。

聞くと、親の代から住んでいた家は既にかなりの古家で、それをかなりいい条件で買い取ってくれたと言うのです。そしてこう言った公的な立ち退きに協力すると、税制でも厚遇されるそうで、その後、その先輩は郊外の住宅地に家を建て、何だか優雅に暮らし始めたのです。それを見ていた我々は、自分達の家も、道路とか鉄道に引っ掛かからないかなあと、変な希望を持つようになったのを覚えています😵。そうなったら積極的に協力して、優雅に暮らそうなんて思っていたのでした。何とあさはかな人間でしょう😵‍💫。

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そんな下らない話はさて置き、下の写真は滝野川1丁目と電停に書いてあります。大塚方面からやって来た6000系を撮影しています。そして飛鳥山までの一直線を走って行く所を追いかけて撮影しています😊。この辺りは随分と線路と道路が分けられてしまって、とても線路を歩けるような感じでは無くなってしまいました。昔は線路の脇に小道があり、そこが生活道路のようになっていました。この辺に住んでいる人達は平気でそこを歩いていましたし、私もよくその小道を歩いて、飛鳥山公園に行ったり尾久の車庫を見に行ったりしていたのです😄。
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ここと西ヶ原4丁目の間には急なS字カーブがあり、そこも都電らしい光景が撮影出来たのです。またこの両駅には女子校がありました。なので、私は学校帰りによくこの辺りに都電を撮りに来ていました。別に変な趣味では無く、一応恋愛を経験しお年頃でもあったので、それなりには女性には興味があった訳です😅。しかし声を掛ける訳でも無く、写真を撮る訳でも無く、可愛い娘がいるか探していた訳でも無く、そこを通りすがるだけでした。今考えても何だか馬鹿みたいな行動をしていました。それよりも、今だったら変質者として通報されてしまうかも知れません😮‍💨。
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下の写真は踏切の中程に電灯があった光景です。こんな設備で安全対策をしていたのでしょうか。線路を歩くなと書いてある看板も懐かしいです😊。

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この後はまた庚申塚界隈にやって来ています。
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この下の写真は、この後、高校の写真部で展示作品にした写真だと記憶しています。遮断機が無い踏切と6000系のコラボさせた写真です。もう少しトリミングして、半切位の大きさに焼いて、パネルにした覚えがあります。題名は忘れてしまいましたが、中々評判が良かったと記憶しています👍。
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この下の写真は当時の線路沿いの小道、そして住居兼町工場の様子が写っています。こんな街並みが当時の普段の風景でした😊。右端にお母さんがベビーカーを押す姿が写っていますが、このベビーカーも懐かしい。当時は、四角い布製のようか箱に4輪の車輪を付けただけといった出立ちでした。昔は乳母車(うばぐるま)と呼んでいましたが、正しく「乳母車」といったビジュアルです。

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その後は巣鴨新田電停で撮影。この電停の赤い看板が懐かしいです。夜になるとこの赤い看板に電気が付くと、何だかとても寂しく心細い気分になったのを覚えています😵。この看板はガラス製だった為、この頃は結構割れている物が多かったです。補修されている物は少なく感じました。ワンマン化でのホーム改修で撤去される予定だったのでしょうか。その後は見なくなった覚えがあります。ワンマン化後の写真は殆ど無いので、その後の様子が全く分かりませんし記憶にもありません😵。
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下の写真は巣鴨新田を発車した6000系が、大塚駅方面に走って行ったのを写した物です。この辺りも随分と古い建物が多く、とても都会とは思えない風景です😳。左側にある塀がとても懐かしい。今にも崩れそうなこんな塀が、当時はたくさんありました。昔はこんな塀に登って、よく細い塀の上を歩いたり走ったりしていたのを思い出します。よく怒られたり、事故が起きなかったと思います。本当に、当時はおおらかでした。「貧しくしても平穏な暮らし」がそこにあったのがひしひしと伝わってくるような風景が、この都電と共に、たくさん写っているのが本当に懐かしいです😊。
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823.ネガフィルムの懐かしい記憶、120

昔は本当に、個性的でいろんな車両が走っていましたが、今は同じような銀色の車両ばかり😵。細かくみると違いはあるのでしょうが、それでも似たり寄ったりの車両ばかりで、オールド鉄チャンとしては興味ある物は少なく、SLの撮影とお孫ちゃんのお付き合い程度で、最近は殆ど鉄チャン活動はやっていませんが、それは他の業界でも同じ事が言えます。

特に車なんかも同じような形ばかりで、最近欲しいと思うような車に出会えません😵‍💫。そしてそれは人間も同じように感じます。昔は良きにつけ悪きにつけ、個性的で色んな人間がいました。しかし最近は本当に同じような人間ばかりで、人間ウォッチングが好きな私からすると、見てても皆同じでつまらない感じです。電車の中にいても、8割方の人はケータイを見ていて、皆同じような格好。まあ電車の中は静かでいいのですが、何だか面白みの無い社会になったと思ってしまいます😮‍💨。

そしてそれは鉄道で働く人達もそうで、昔は本当に色んな運転士さんや車掌さんがいました。このネガは、もうすぐ廃止となる赤羽線の101系を撮影しに来た時の物です☝️。赤羽線は埼京線の前身で、当時は池袋駅の4番線のみのホームで折り返し運転をしていました。今の8番線になるのでしょうか、左隣が東武東上線です。東上線は5番線から始まっていて、国鉄から続き番号でホームの番号が表されていました。

そんな事はどうでもいいのですが、この写真の2枚目を見て下さい。私が三脚を立ててこの101系を撮影していると、なんとこの車掌さん、私の方を向いて格好よくポーズをするように立ち始めたのです😳。これにはドン引きでした。しかし車掌さんに向かって、「どいてくれ」とか「普段の格好をしててくれ」とも言えず、数枚を撮って、仕方無く山手線を撮影する事にしました。するとこの車掌さんは運転室に戻って、それでそれは終わったのですが、これには本当にビックリしたと言うか、現実に起きている事なのか理解が出来ず、その後は直ぐに家路に着いたのでした😮‍💨。この時のドギマギ感と、色んな人がいるモノだと思ったのを覚えています。最後に101系が出発していく所を長時間露光で撮影しています。

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当時の赤羽線は池袋の車庫とは直接繋がっておらず、一旦、目白寄りの待避線に引き上げ、それから山手線の1番線ホームを通り(今の5番線です)、池袋の車庫へ入って行きました☝️。池袋駅も随分と変わりました。この101系も何だか懐かしいです。この電車で本当によく赤羽まで行って、EF57の撮影をしていたモノでした。

この後はまたまた都電の撮影です。いよいよワンマン化も近づいて来ており、この、黄色に青のラインの電車がかなり目立つようになりました😔。
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そんな中でも、最後の奮闘とばかりに、6000系と7500系が走っていたので、それを撮影に来ています😊。しかし旧7000系は殆ど見る事が無くなりました。ワンマン化の種車となるのですから、既に旧車体は廃車されて、新しい車体の載せ替えの準備をしていたのだと思います。あともう一つ、この頃に、ワンマン化記念として数十年振りに、「花電車」が走ると言う情報が出回ったのです👍。私は花電車がどう言った物なのか全く知りませんでした。そして、この車両にも旧7000系の車体が使われるようだったのです。そんなこんなで、何だか急に見られなくなった感があった旧7000系。逆に、交代して走っている新しい7000系は、大したトラブルも無く順調に走り出しており、急速にその勢力を拡大していました☝️。

その花電車ですが、私の両親はそれを見た事があったようで、それは珍しいと驚嘆していたのを覚えています😄。両親が見たのは昭和34年頃の、当時の皇太子の御成婚記念の花電車だったそうでした。花電車が走るのは、それ以来何と約20年振りと言うので、それを聞いて、私もぜひ見てみたいと思ったのを覚えています👍。

ネガの続きを見て行きます。これは多分、庚申塚の辺りです。この庚申塚電停には旧中山道の道路の踏切があり、どちらに行ってもずっと商店街が続いておりました。そして巣鴨方面に行くと、そこには「とげぬき地蔵」という寺がありました。私はよくここに連れて来られたのだそうです😊。私はあまり記憶が無いのですが、小さい頃に祖母によく連れられて、このお寺に来ていたようなのです。ここにはお地蔵様が祀ってあり、そのお地蔵様を自分に見立てて、具合が悪い身体の部分を洗うと病が治るという「いわれ」があるのだそうです☝️。

私は小さい頃喘息でしたので、祖母はよくお地蔵様の胸の辺りを丁寧に洗って、私の病気の完治を祈っていたそうです🥲。なので、何と無くこの都電の電停と言いこのお寺の商店街といい、何か懐かしい感じがしていたのを覚えています。また、ここのお守りの事ですが、紙のお守りを飲まされた事を覚えているのです😵‍💫。

このお守りですが、喉に棘が刺さった時にこのお守りを念じながら飲むと棘が抜けたという「いわれ」から、祖母はこのお守りを、病気の完治を念じながら飲めば、その通りになると信じていたそうです。私の患部は肺という認識だったのでしょう、飲んだ後に大きく深呼吸すると喘息が良くなると言われて、紙のような物を飲まされたのを覚えています。小さいながらに、「紙を飲むのかよ」、「こんな物を飲んで治るのかよ」と思ったのを微かですが思い出します😵。

今でもこんな事をしている人はいるのかなあ。本当に昔の人達は、家族や子供や孫を守りたいが一心で、色んな事をしていたと思います。それだけ医療が進歩しておらず、神頼み的な事しか出来なかったのかも知れません。そんな微かな思い出が残るこの庚申塚界隈。今見ても、何だかホンワカした気分になります🥲。

また、この辺りの写真を見てると、バラスト(線路の敷石です)も綺麗になっています☝️。ワンマン化に向けて、ホームの嵩上げや屋根以外にも、こういった所も刷新していたのが分かります。でも、綺麗な線路を走る6000系とかは、何か不釣り合いな光景に見えます。やはり旧型車と言うのは、少し鄙びた光景が似合うと思うのは私だけでしょうか😅。

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822.ネガフィルムの懐かしい記憶、119

前回の続きです。その後は大塚界隈から鬼子母神電停にやって来ました。ここから雑司ヶ谷電停の間は結構アップダウンが大きく、昔から望遠レンズで撮影してみたかったのです。この日は念願叶ってやって来ました😊。

まずは雑司ヶ谷の電停から、早稲田方面を写しています。この写真の先が下り坂になっており、遠くには新宿の高層ビル群が写っています☝️。そう言えば雑司ヶ谷という電停名、最近、これが地下鉄副都心線の駅名になっているのに気がつきました。それでは都電の電停はどうなってしまったのか。するとそこは、「都電雑司ヶ谷」となっていたのです😳。老舗の方が名前を変えるのいうのは何か解せないです。東京メトロには、東上線の成増駅で「地下鉄成増」と名乗っている駅があるのですから、この駅も「地下鉄雑司ヶ谷」でいいのではと思ってしまうのは、私だけでしょうか🤔。

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その後は鬼子母神電停から撮影した6000系です。その奥にはサンシャイン60が写っています。右下にはアップダウンする線路も写っています。

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この鬼子母神電停から早稲田の方を見ると、下の写真のようにクネクネした急な下り坂となります。目白通りの下をくぐり、一気に、学習院下電停まで下るのは、運転席の横から見ていると結構スリルがありました😊。運転士さんもかなり注意して低速で走っていたのを覚えています。この電停、よく見ると、ホーム屋根の工事をしている様です。
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そしてこの下の写真はまた雑司ヶ谷の方へ戻り、名物のアップダウンの光景です。ここから写すと背景に新宿の高層ビル群も入り、いい写真が撮れたのでした😊。それも有名でしたが、それ以外にも、この坂の途中に道路がアンダークロスする道があるのですが、その道路を少し入った所で、あるテレビ局のドラマ「水もれ甲介」のロケが、そこで行われていました。1975年頃だったと思います☝️。水道屋さんを舞台としたドラマだったのですが、それがここと分かった時には直ぐに見に行き、本当の水道屋さんがあったのを覚えています。

当時はテレビと言うと皆大騒ぎで、特に撮影場所が分かると皆で見に行く事もしばしば。そこで撮影なんかやっているとそのワクワク感は半端無かったのを覚えています😅。当時住んでいた私の家の近くの公園と商店街でも時折テレビ撮影に来ていて、よく見に行っていました。そしてテレビに映り込もうと、遠くを歩いたり近くまで歩いて行ったりすると係りの人が飛んで来て、「今撮影中だからこの辺りを歩くのやめてくれる?」なんて言われた事も多かったです😵。そこでは「刑事君」とか、「ドッキリカメラ」の撮影が多かったのを覚えています(古いですねー😵)。

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ここは結構な勾配だったと思いますが、老体な6000系でも結構軽快に登ってきていたので、都電は意外と力があるんだと思ったのを覚えています☝️。この線路の両サイドは今は道路を作る工事がされていて、もう少しするとこの辺りは大変貌を遂げるのでしょう。それを追いかけ撮影したのが下の写真。勾配の様子が分かると思います。それにしても線路のすぐ横を人が歩いていますが、これは当時では日常の風景でした😳。今では考えれませんね。
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この日は6000系がよく走っているように見えますが、よく見ると6189ばかりです。それをずっと追いかけて撮影しているのです☝️。そしてこの後はこの電車を追いかけ、次の電車に乗りました。すると大塚駅で目の前に先程の6189がいてビックリ。今でもこんな光景は見られるのでしょうか。この頃はよく前の電車に追いつくのは日常茶飯事。当時の都電の時刻表は結構適当だったように思います。連なって走ってるいる事も珍しくありませんでした😅。こう言った事に出くわすと、当然の如く1台目は激混み、2台目は中位、3台目が来たりするとそれはガラガラなんて事も結構ありました😵。

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この日は私の乗った電車は6189にピタリと追走してくれて、お陰で飛鳥山の電停で追い付く事が出来、信号待ちをしている間に急いで歩道橋に登り撮影が出来ました👍。この飛鳥山からは専用軌道から道路と併用となり、道路に出る信号待ちが長いのです。そしてその場面を1枚。道路が太陽に反射して完璧に逆光ですが、露出を上手くオーバー目に合わせて、都電が潰れないように上手く撮れています。
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そしてそれを追いかけ撮影したのが下の写真。この先を右に大きくカーブすると王子駅です。今とあまり風景は変わらなそうですが、真正面の料亭のような建物は無く、その辺りは公園になっている位かなあ🤔。
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その後は王子駅から荒川車庫の方を撮影しています。これは恐らく、この歩道橋から飛鳥山公園を突っ切り、反対側まで走って行ったと思います💪。ここは随分と光景が変わっています。この上に新幹線の高架が走っているので、都電はその軒下を走っている感じです☝️。下の写真は7509を6189が追い掛けています。
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この王子駅から町屋駅、三輪橋の間は比較的平坦で、この頃は6000系のような古い電車は、割とこの区間を走っているイメージでした。王子駅から早稲田の方は、まずはこの飛鳥山の登り、大塚駅から向原に行く登りと、前述の鬼子母神近隣の坂は結構キツかったので、この区間は新しい電車を走らせていたのではと、個人的に思っていました☝️。今日のこの平坦区間も、6181や6063、6219が走っていました。
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この時もこんな6000系のすれ違いが撮れました。よく見ると、既に王子駅で折り返しになる行先「町屋駅」が表示されています。でもこの時は「天の声」はしませんでした(815回目のブログをご覧下さい)。守護霊さんも愛想が尽きたのでしょうか😵‍💫。
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この上の写真は、栄町から王子駅方面を撮した物です。築堤の上には京浜東北線の103系が写っていますが、この光景も今は様変わりです。やはり新幹線の高架が出来てしまい、京浜東北線は全く見えません☝️。

その後は、小台〜熊の前辺りで撮影しています。この辺りは昔は併用軌道でしたが、今はこの辺りも専用軌道になっているようです。確か熊の前辺りで撮影したと記憶しています。私の推測通り、この日は6189以外は全て、王子駅やせいぜい大塚駅までの方向幕が多く、やはりもう廃止が近かったこの頃は、急な坂はあまり走らせていなかったと思います🤔。
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それにしても都電といい、EF57といい、たくさんの写真があります。そしてカメラも良くなった事によりまずまずの写真も多くなっています。これはやはり地元にいたからこそ😊。昔、有名な写真家の人が、「どんなにいい腕やいいカメラを持っていても、地元の人には叶わない」と言っていましたが、それだけシャッターチャンスがあると言う事だそうです☝️。そう言えば私の鉄チャンの先輩で、晩年の北海道のDD51を撮影したくて、当時勤務していた会社で、札幌支社へ転勤出来る人はいないかという打診に、自分から名乗り出て受けたという人がいましたが、確かにいい写真が多かったです。既に退職が近い年齢でしたが、その根性は感心したのを覚えています😳。

 

 

821.ネガフィルムの懐かしい記憶、118

今回はまたまた都電の撮影に出掛けています☝️。この時は、白黒フィルムで都電を撮りまくったようです。それまでは、本数が一番多く撮影効率がいい、大塚駅〜王子駅間で撮影していましたが、このネガは、鬼子母神方面や王子駅以遠にも足を伸ばし撮影しています。

この鬼子母神の電停の由来でもある鬼子母神は、安産や子育ての神様を祀っている神社と聞いていました。当時の我々には関係無いって感じで小学生の頃は恰好の遊び場であり、よく遊びに来ていました😊。あまり買った記憶は無いのですが、当時から境内に駄菓子屋があって、お小遣いに余裕のある友人は結構買っていたのを記憶しています😵。この読み方、私は「きしぼしん」と言っていましたが、「きしもじん」と言う人もいました。ネットで調べるとどちらでも正解のようです。

その後は、国鉄線がストライキで動かない時にはよくここを使いました。自転車でここまで来て、都電に乗って飛鳥山公園まで行き、その後、尾久の操車場まで写真を撮りに来ていました。本当に懐かしい場所でした😀。現在もここは健在、そして駄菓子屋もまだあるそうです。また、東池袋4丁目から鬼子母神辺りの電停までは道路の開発が進められて、Googleマップで見るとかなり景色が変わっているようです😳。それは次のブログでアップする事として、まずは巣鴨新田の停留所辺りです。

この頃は暇があれば、学校帰りとかに都電を撮影していたようです。この時は2月の中旬位です。都電のワンマン化があと1ヶ月後に迫っており、最後のチャンスとばかりに都電を撮影していました。815回目のブログで感じた天の声は、既にすっかり忘れているようです😵‍💫。しかし現実は変わっている訳では無く、私はますます、現実から逃避して鉄チャンの世界に入り込んでいたようです。精神的にはちょうど、今で言う「引きこもり」と同じような感じだと思います😮‍💨。

部屋に入ったままそこから出てこない引きこもりは、その現象が現実に見れるので、家族や周りの人達の危機意識も出て来るのでしょうが、鉄チャンの世界への引きこもりとなると、これは結構面倒です☝️。見た目は元気に外出しそれなりに楽しそうですから、家族も周りの人も危機意識や問題意識はありません。しかし自分ではしっかり認識しているのです。私はこうやって鉄チャンの世界に逃げている自分をしっかり認識していて、そしてそれを克服出来ずそこから脱出出来ず、しかし何とかして現実に立ち向かわなくてはならないと、1人もがき苦しんでいたのです。それはハッキリと覚えています😣。

そんな精神状態で撮影していると、現実からはどんどんと遠ざかって行き、好きな機関車や電車達に囲まれるように時間が過ぎて行きます。そしてとても幸せな気分になります。そして時には友人も一緒です。唯一感じている自分への自己嫌悪や疎外感も、ここにいるのは自分だけでは無いと、ますますハイテンションになって行くのです。そしてあっという間に鉄チャンの時間は過ぎて行きます👍。

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気が付くと既に夕方を過ぎて夜です。もう家に帰る時間です。するとここで猛烈な自己嫌悪が襲って来るのです😫。ただでさえそんな感じなのに、辺りが暗くなると寂しさも加わり、その感情はますます大きくなって行きました。また今日も何もしないで1日が過ぎてしまった、無駄に過ごしてしまったと。そして本当に何とかこの状態から脱出しないとと、また、夜な夜な悩むのです😔。

この2月が終わり3月になると、学校では、進学の話とそれに対応する授業の選択の話を決めなければなりません。その時間がもう目前に迫って来ていました。こんな鉄チャンなんかしている暇は無く、先生や親と、今後の方向性をどうするのか、しっかりと話さなければならないのです。しかし翌朝になると、またカメラをぶら下げて、鉄チャンの世界に逃げ込んでいたのです。本当に毎日こんな事の繰り返しでした😥。

この日は日曜日なのか、朝から撮影に行っています。ここは大塚駅前の様子です。この写真ではあまり周辺の景色が写っていないのでピンと来ませんが、かなり変貌しています。当時は大塚駅の南口は大きな広場とタクシープールのような物があり、かなりだだっ広い感じでした☝️。今はそこには大きなショッピングビルが建ち、すっかり変わってしまっています。ちょうど下の写真の右側部分です。既に更新された7000系もたくさん走っていました。
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この下の写真はJRの山手線のガードで、今でもこのガードに都電の電停があります😊。この光景はあまり変わって無いかな。
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この下の写真は、6000系の折り返し風景です。6181が大塚駅で乗客を下ろし、折り返して荒川車庫行きになる所です。渡り線の先に折り返しの停車スペースがあるのですが、その前後を結構人が通っていて、私は、よく事故が起きないよなあと感心して見ていたのを覚えています🤔。この背景にある小さなビルは今はどうなっているんだろ。こんな場所をまた訪れてみるのも面白いかなと最近は思っています。

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上の写真は折り返している所です。私は、都電が折り返す時にビューゲルの方向が反転するのですが、その時のビューゲルが一瞬真っ直ぐになってしまい、トロリーが上に押し上げられて周辺の架線がゆらゆらと揺れたりするのです。その時にビューゲルからスパークが出たりするのです。そのスパークが中々迫力があり、この折り返し風景を結構見ていました😅。全く変な趣味ですね。

下の写真は、折り返しの6000系と開業間際のサンシャイン60です。今はこの方面にはビルが建って、こんなカットは撮れないと思います☝️。そう言えば、この右側には国鉄の「みどりの窓口」があり、よく父の田舎に行く時などの列車の指定券を取りに来たのを覚えています。当時、都市伝説では無いですが、みどりの窓口は、池袋駅より大塚駅のような小さな駅の方が取りやすいんだと言われていました(うちの家族だけかな?)。私も何度かここに指定券を買いに来た事があり、「なぜ池袋じゃダメなんだろう」と思っていたのを思い出します😵‍💫。
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もうワンマン化間近なのに、まだまだ、7500系や6000系が結構走っていたのは、東京都交通局の粋な計らいなのか😊。EF57の廃止の時も、国鉄にそれを感じましたが、当時はそんなサービス的な事が、または職人気質の人達がもうすぐお別れの車両達に、最後の活躍をさせてあげていたのか。こんな人情がまだまだたくさんあった時代でしたから、こんな風に思ったのかも知れません👍。

 

820.ネガフィルムの懐かしい記憶、117

今回のブログの写真は、前回の旅行で残った白黒のフィルムで撮影に行ったようです。そしてこの後に続くネガは、3月〜5月にかけて、膨大な量がありました😳。この辺りは、色々と悩み多きお年頃でしたが、何やらそれから逃げるように鉄チャン活動を活発化させているようで、今このネガの量を見てると、本当に情けない自分に「喝」を入れたくなります😤。

歌手のアンジェラアキさんの、「手紙、拝啓15の君へ」と言う歌がありますが、この歌を初めて聞いた時に、私は胸に突き刺さる感じがしたのです☝️。それは、この15と言う年齢は正にこの頃の事で、自分のこの頃の事が今でも心残りと言うか、何をやってたんだと言うか、この時の行動をとても後悔していたのです。歳を重ねた今の自分がこの頃の自分に、「早く目を覚せ、とにかく前に進め」と、声を掛けてあげたいとずっと心の中で思っていたからなのです。815回目のブログの天の声は、もしかしたらこんな自分の、未来からの声だったのかも知れません😳。この歌はそんな私の心情にピタリとした歌詞だったのです👍。

この頃は、たくさんの色んな事に悩んでいて、失恋だったり、健康面でも自分に自信が無くなったり、将来の方向性も見えなかったり、そして遅ればせながら小説を読み出す事により、哲学の世界なんかにも迷い込んでいたのです。本当にこの歌詞のように、「苦しい中で今を生きている」状態だったのです🤔。そんな中で世の中に対して斜に構えるようになって来ていて、青春の大切な時間を無駄に使っていたのです。この頃の自分に、この歌詞のように、「荒れた青春の海は厳しいけれど、明日の岸辺へと夢の船よ進め」と言ってあげたいと思っていたのです😮‍💨。

このネガを見ていると改めてその心境になり、この頃の17歳の私に言ってあげたくなります。「人生全てに意味があるから、恐れずにあなたの夢を育てて」と。この言葉は、456回目のブログにも書いてありますが、X-JAPANのToshIの言葉でもあったのです。そしてそんなに悩んでばかりいないで、「気合い入れて行け〜!」と言ってあげたくなります💪。本当にこの頃の私は色んな事に不安や恐れを抱き始めており、鉄チャンの世界に逃げてしまっていたようでした😣。

そんな余計な事はこの位にして、ネガを見ていきます。それにしても本当にたくさんのネガが出て来ます。この時間やお金は本当に膨大で、これをもっと他の事や勉強に使っていたら人生はさらに開けたのかなあと思います😅。しかしこれをやっていたからこそ、色んな友人とも出会え色んな場所に出掛けて、色んな人と会って色んな経験を持てたと思います。その経験が社会人になって役立ち、そして今こうやって老後の楽しみとしてこのブログが書けているので、アンジェラアキさんの歌詞やToshIの言葉では無いですが、まんざら無駄な事では無かったんだと思います☝️。

ここは池袋駅の私のお立ち台です。ここは、648回目のブログにも出て来る場所ですが、フィルムが余ったりするとよくこの場所で、貨物列車を撮影していたのです。そして運用表を使い、よく八王子のEF13を写しに来ていました😊。そして理由は分かりませんが、よく流し撮りをしています。この貨物列車は夕方に走っていたので、光量の関係からシャッタースピードを遅くする必要があったので、流し撮りを選択していたと思います。この下のカマは、デッキのステップの下が白く塗られているので、東京のEF15です。そしてボディには、ストライキの名残りでしょうか、ペンキの文字を落とした跡が分かります😵‍💫。

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この下の写真がEF13です。区名札の「八」の字が単純なのでよく目立ち、すぐに分かりました。この頃はいよいよこのEF13も廃車が近いという噂が出始めていました。このカマはEF15とよく似ていて特徴はあまりありませんが、何と言っても、旧型のEF58の車体を載せ替えて生まれ変わった事が一番有名です☝️。このカマは戦時中に設計された為、資材を極力使わない方針が採用され、当初は何と、凸型の形で登場したのでした。死重としてコンクリートが載せられたりと、とてもこんなに長い間走らせるつもりは無かったカマだったのでしょう。

そして、戦後制作されたEF58も、同じく貨物様として制作されたEF15と極力同じ設計として開発経費を抑え、かなり安価な製造となりました。その後EF58は設計変更され、古い車体から新しい車体に載せ替えられ往年の姿になった訳ですが、その時に載せ替えられて余ったEF58の車体を、この凸型のEF13に載せ替えたのです😳。何とも模型の世界のような話しですが、たまたま当時の双方の両数が31両と一致していたため成り立った、車体の載せ替えだったそうです。因みに、その時に旧型仕様で制作途中だったEF58が3両あり、それはEF18としてデビューする事になったそうです🤔。

確かに当初、EF15と極力同じ設計で作られた旧EF58ですから、その車体を受け継いだEF13と大差ある訳がありません。特に横から見ると、その窓の数程度しか違いが分からず、人気の面でも中々このカマのファンという鉄チャンは少なかったと思います☝️。しかし前から見るとそのデッキ部分は随分とゴツくて貫禄がありました。この後にその写真も出て来ると思います。
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その後は懐かしの王子駅近隣に来ています。ここはよくEF57を撮影した場所です。この写真は中々上手く撮れていると思います。EF57が無くなって既に1年超、その間、かなりの撮影に出掛けていたので、写真の腕前もそれなりによくなっていたのかも知れません。床下に雪が付いている115系が中々印象的で、この頃の寒さを物語っています。まだこの頃の115系は非冷房車が走っていたんですね。大きなライトが懐かしく感じます😊。
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その後は、先日、雪国で撮影した、181系「とき」を撮影しています。それまでは何とも思わなかったこの電車でしたが、この時は、あの雪国での過酷な環境を走っているのを見たためか、スマートな車両にも関わらず、頼もしさを感じたのを覚えています😄。

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その後は偶然でしょうか、荷物電車を撮影しています。この荷物電車はよく見ていましたが、いきなりやって来るので、中々写真に撮れない電車でした。これは望遠レンズでしっかりと捉えられており、満足する1枚です。この荷物電車、一回でもいいから、この荷物室に乗れないモノかなあと思っていたのを覚えています😅。
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その後は定番の上野駅詣です。「とき」だけのネガがありましたが、それだけでは無く、絶対に地上ホームを彷徨いているはずです。そしてEF57が来ない事を確認して、帰っていたのだと思います。この辺りのネガを見てると、何だか少し切なくなって来る感じです😢。どんどんと自分の好きな列車が無くなって行く中、自分だけが取り残されて行くような、そんな孤独感、疎外感に苛まれていたのを思い出してしまいます。
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819.ネガフィルムの懐かしい記憶、116

ここは越後中里の駅かなあ。水上へ向かう電車を待っている間、改札辺りから撮影していると思います☝️。この時は結構雪が降ってるのが分かります。ネガを見てると色んな事が思い出されます。この旅行は初めて新潟県にやって来た旅行だったので、小説の「雪国」の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と言うのが本当なのか、確かめたいと思っていたのです。しかし行きに乗ったのは夜行列車、更に、お姉さんの隣でウキウキ気分でウトウトしていたのでしょう(189回目のブログに書いてあります)、気が付いたら下車駅だったのです😅。

この時は、ならば帰りは「国境を抜けると普通の景色だった」という事になるはずと思い、それを確認しようと思っていたのです。上り列車は正に昔の「国境の長いトンネル」の清水トンネルです(この時の下り線はそれよりも超長い、新清水トンネルでした)。小説「雪国」の逆現象が見れるのか、電車に乗ったのを覚えています🤔。

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しかし、トンネルを抜けるとそこも雪国だったのでした。これにはドッチラケ😅。それだけこの時は大雪だったでした。まあそんな事はどうでもいいので、話を続けます。

水上へは、先程撮影した70系を撮る為でした。列車が水上に着くと、その70系が止まっているのが見えました。そしてそのホームへ急ぎ、70系をじっくりと撮影しました😀。ここは1ヶ月前に来た場所です。その時は夜間の撮影でかなり寒かったですが、この時も同じ位寒かったのです。多少は暖かいと思っていた我々は、返って新潟県より寒く感じたのを覚えています😱。

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そして「新潟色」の70系を改めて見ると、何だかクセのある色合いで、また結構薄汚れており雪国の厳しい環境を実感しました(それとも廃止が近かったからあまりケアをしていなかったのか🤔)。この70系、上の写真の青と白の「スカ色」を見慣れていたからか、いくら雪の視認性の為とは言え、その違和感が半端無かったのでした。しかしそれも、今日一日見ていると、新潟色ファンの友人の気持ちが分かってくる感じがしました。人間、慣れというのは不思議なモノだなあと思ったのも記憶にあります😅。

また、友人が言うには、この前面の左上の本来列車番号が表示されている部分が埋められて、予備のタイフォンが付けられているのがここの耐雪構造の特徴なのだと力説していました。これには確かにそうだなと思いましたが、EF16のようなゴツさも無く、これには「それが?」と言った感じでした😳。この話には、私は、鉄チャン以外の人の気持ちが理解出来た感じがしたのを覚えています。

我々が良く、鉄チャン以外の人に鉄道の良さを説明しても「それが?」と言ったリアクションをされる事がよくあります。SLは一番人間くさい機械なんだとか、EF57は格好いいんだとかいくら説明しても、確かに興味無い人に取っては、琴線に触れる事なんて無いのです☝️。確かにこの辺りから、鉄チャンの趣味も色んなジャンルに分かれて来たと思います。こうなると、同じ鉄チャンでも引いてしまう事があるので、これからは一般の人達に話す時は気をつけようと思ったのもこの時でした😵‍💫。

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そしてこの後は今回のラストの撮影地へ向かいました。ここへは、結構車通りの激しい雪の国道を歩いて行ったので、かなり怖かった記憶があります😫。この道は、私がよく行く、水上高原ゴルフ場に行く道です。そしてこの道路の先にはたくさんのスキー場もありました。なのでスキー客の車はもちろん、スキー場やその周辺のホテルの送迎も多く、さらに雪で道路が狭くなっています。当然歩道など無く、かなり危なかったと思います。

またこの頃はまだ新幹線は出来ておらず、水上駅周辺は、スキーと温泉の観光地の拠点としてかなり賑わっていました😊。この道路沿いも結構お店やホテル等も立ち並んでいました。最近この道を走ると、廃墟と化したホテルや店じまいした土産屋等があったりして、寂しい限りです。しかし水上全体が寂れてるのでは無く、玄関口が新幹線に変わった事により、この周辺にマイナスの影響が出ている事に、やはり新幹線の影響と言うのは大きいんだなあと実感してしまいます🤔。

そして今回の最後の撮影地に到着。この時はそれ程の時間が無かった記憶がありましたが、それでも「とき」を始め、貨物列車等、結構やって来ました。本当に当時はたくさんの列車が、この上越線を走っていたのが分かります😊。そしてその後にやって来る、70系を待ちました。
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時間が来てトンネルの出口で待っていると、吊り掛け電車特有の音がその中で響いて来ます😄。まずは白黒のカメラでそれを狙います。そしてその後、走り去って行く所を望遠で撮影。まずまずの手応えで、この旅行の目的が終わりました。かなり濃かった今日一日、写真の出来はさておき、かなりの満足感があったのを覚えています😊。そして結構疲れていたと思いますが、この後もダイヤグラムを見ると、結構列車がやって来るのです。

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最後にEF16➕EF15の重連と、「とき」を撮影して、本当に終了する事にしました😀。f:id:x-japanese:20250923182927j:image
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そして水上から一路、上野を目指します。しかしもちろん、この特急「とき」では無く、各駅停車です。水上から高崎で乗り換え、延々と電車に揺られて家に帰りました😅。

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途中、乗り換えの高崎駅ではEF62の貨物列車を撮影。ここも背景に新幹線の工事の様子が写っています。これが完成すると、さっきまで撮影していた、特急「とき」は無くなってしまうと思うと、一気に寂しくなりました😢。
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そしてここで思い出すのは、この頃はこう言った鉄道の光景にも、いちいち反応していたのを思い出します。鉄道の世界でもどんどんと変化していく現実がありました。そしてこの夢のような鉄チャン旅行の世界も、帰るとまた現実に戻されると思い、このまま帰りたく無いと思うのです😮‍💨。帰りの高崎線の電車の中では、疲れから友人達は寝ていて、自分だけが夜の車窓を見ながら、またまた悩んでいたのを覚えています😔。

818.ネガフィルムの懐かしい記憶、115

この後は同じ場所で上り列車を撮影。山の天気は変わりやすく、どんよりとした天気になっています😣。下の写真の115系は6両編成、前回のブログの混雑具合を見ても、かなりの輸送量なのが分かります。これはこの辺りの人口減少なのか、それともスキー客が車にシフトしてしまったのか。とにかく今現在の状況からは考えられない位、当時は鉄道は輸送の中心を担っていたのだと思います☝️。

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そしていよいよ扇の要の中心部分にやって来ました。ここにはたくさんの鉄チャン達が集まっていました😳。その目的は我々と同じ、新潟色の70系とEF16やEF15の重連貨物でした。そこは言われていた通りの撮影場所で、下り列車は大きなカーブを曲がってやって来る所をバッチリ撮れます。また上り列車も、越後中里からやって来る所と、鉄橋を渡って行く所が撮影出来る、まさしく撮影名所でした😊。しかしそこは雪が凄く積もっていて、かなり足場に苦戦したのでした😵‍💫。

ここは道路でも無く歩道でも無く、単なる土手と言うか、こんもりした丘と言うか、そういった場所でした。当然、雪搔きとか圧雪などされている訳が無く、かなりの積雪状態でした。かなり足を取られたり身体が埋まってしまったりと、北海道のSL撮影を思い出しました😅。また鉄チャン達も多く、撮影場所を確保するのがかなり大変でした。今、グーグルとかYouTubeの展望動画で見ると、この辺りは雑木林になっていて、とても撮影に適した場所とは思えないです。撮影名所も随分と変わるモノなんだなあと、時の流れを痛烈に感じてしまいます😮‍💨。

そんな中で待っていると、列車が来ない時間帯なのに何やらこちらに走って来る物が見えました。ダイヤグラムにも載っておらず、それを望遠カメラで見ると、何とラッセル車でした😳。これは私は初めて見たので結構感激。望遠カメラと標準カメラで撮影しました。ラッセルを撮影出来たのは後にも先にもこれだけ。貴重な写真になっています😊。

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その後は上り線を列車がやって来る時間。これは特急「いなほ」。そしてこの後にいよいよ今回のメインの、新潟色の70系がやって来ます。友人はかなり気合いが入ってカメラの準備をしていました😅。そして時間になりました。
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しかし越後中里駅方面を見ると、湘南色が見えました😳。一瞬、「115系に置き換えられちゃったのか?」と思いましたが、それは郵便車でした。それが先頭に立ち、その後に新潟色の70系が連結されていました。私は、昼間に初めて見るその色にちょっとビックリ。「この色なら雪じゃなくても目立つよなー」と思ったのを覚えています😅。でも確かに、下の2枚を比べると、新潟色の方が雪の中で目立って見えますね。
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そして走り去った所を撮影。バッチリと新潟色の70系を捉えられました。この後は望遠の白黒カメラでさらに後追い撮影。そこには鉄チャン達がたくさん写っており、この電車の人気振りがよく分かります。2人の友人もこの中にいるかなあ😄。

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そしてその次はメインの重連貨物です。大カーブの向こう側から黒い影が近づいて来るように見えて来ました。こちらは先程の色彩豊かな電車では無く、モノクロの世界です☝️。ここの下り線は峠から降りて来る感じなので重々しい音は無く、スーッとやって来る感じでした。しかしその姿は勇ましく、望遠レンズから見るそのシーンは興奮してくるモノがありました😊。

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結構な長さの貨物列車を見送り、その後はまた先程の場所に戻り上り列車を待ちます。その前に183系の「とき」がやって来ました。この時はまだフィルムに余裕があったのか、珍しくこの183系を撮影しています😅。こういったネガを見ていると、当時の私はいつも金欠状態でしたから、中々フィルムもふんだんには用意出来ずに、鉄チャンで撮影に行った時は、目的の列車以外は殆ど撮影していないのです。それはこの後も同じで、目的の列車以外もしっかりと撮影しておけば良かったと、本当に後悔しています。この183系の「とき」は結局、これともう1枚のみ。この景色で殆ど撮影していないのが、本当に勿体無いです😫。

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そしてその後にやって来たのが貨物列車。上り線は、越後中里駅を出発すると、この橋梁を渡りその後、トンネルの中をループ状に回りながら峠を登って行きます。先程の下り線とは違いこちらは重い音を響かせながら走って来ました。この貨物列車は雪の景色の中では本当に墨絵のように見えます。それがまた渋く見えるのです😊。この日はちょっと雪が積もり過ぎていたようで、撮影する場所が限られており、構図的に中々いい写真がありません。

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ここにはそれ程長い間はいませんでしたが、さすがにこんな場所に数時間いると身体が冷えて来ます🥶。いくら耐寒耐雪装備の洋服といっても限界がありました。この日は風が無かっただけ良かったですが、かなり身体にダメージが来ているのが分かりました。この後、もう1本、181系「とき」を撮影して、一旦、越後中里駅まで戻る事にしました☝️。

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この、扇の要の場所の写真は、風景といい線路の状態といい、本当にいい写真が撮れる場所だと思いました。しかし帰った後にフィルムを現像してみると、何かパンチの無い写真と言うか、中途半端な写真と言うか、あまり納得した写真が少なかったのです😵‍💫。それと、ここでは三脚が上手くセット出来ず、2台のカメラを首からぶる下げて撮影していました。すると、結構カメラ同士がぶつかり、黒のボディのKXに結構傷が付いたりしたのです。また精密機械なのでぶつける事自体が悪いのは当然です。確かに1本の列車で2度撮影出来る効率は上がりますが、出来栄えからすると、私はこの後の撮影の仕方を考えるようになった旅行だったのを思い出しました☝️。
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そしてこの後は水上へ移動。もう1箇所、撮影場所に行くのでした。この旅行は結構ハードな鉄チャンだったんだなあー😵。