前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

266.私の会社員時代、やってらんない記憶.18

先週はちょっと脱線してしまいましたが、今週からはさらにさらに、本題へと入って参ります😅。困った上司や先輩はまだまだたくさんおり、またそのバリエーションも多種多様でした。

これは審査の担当役員の話ですが、何と審査の判断を方角でする奴がいたのです。私の案件は、幸いこの役員の被害はありませんでしたが、他の店の同僚と飲んだりすると、必ずその役員の名前が出て来ました。噂には聞いていましたが、実際に話を聞くと本当にひどい物でした。それも本当に否決にすると言うのです。そして絶対に表には出て来ず話し合いにも応じません。その理由も部下から言わせます。「今年の鬼門は北、この客は本部から見ると北、よって駄目だと言っている」、「先日、北東の客で倒産があったから北東も駄目だと言っている」。それ以外でも酷い物は「自分の出身地が絡むから駄目と言っている」と言う、ここまで来ると???、単なる横暴という部類だと思いませんか。こんな馬鹿げた審査が本当に行われていた時期があったのです。こうなるともう審査ではありません😫。

また、こんな事も聞きました。ある店で、他店の有力先から紹介をもらい、強力に営業を掛けていた顧客がいました。もちろんその担当者は私と違い、本部に根回しを十分していたのと事です。そしてやっとの事で交渉成立。その担当者は喜び勇んで稟議書を提出。店長までも嬉々としていたとの事でした。しかしまさかの否決。その時もこの役員が絡んでいたのです。そしてその理由がハッキリしません。どうも紹介をしてくれた他店の顧客の方位が気に入らなかったようなのです。この時はさすがに店長も出て行って本部に抗議をしに行ったそうです。しかし案の定、その役員は出て来ません。するとそこの部下の担当が出てきて、この紹介してくれた顧客の名前を消して、再度稟議を上げろと言ったそうです。この本部の担当者もおかしいと思ったのでしょう。店長は、???と思ったそうですが、どうやらこれが、この役員の顔を立てるやり方なのだそうです。店長としたら、とにかく信用額が決まれば店で何とかする事が出来るので、すぐさま稟議書を書き直し、無事に決裁になったそうです。しかし同じ事を、この役員のプライドやメンツの為に二度作らせるなんて、考えただけでもやってらんね〜、という感じですよね。

また、ろくに稟議書の内容を確認せずに、後から色々と言う社員にも参ったものでした。ある時、私が営業から帰ると、事務の担当者が怒った顔で私を呼んだのです。何やら取引の内容が違うと怒っているのです。そんな事は稟議書類に書き込んであるので良く見てくれと言った所、ますますヒートアップしてしまいました。それでも私に食ってかかり、条件違反だ、始末書ものだと大騒ぎしています。こう言った事は本当に良くありました。そしてわざと店長や上司の前で騒ぐのです。私はさすがに頭に来て、稟議ファイルを引っ張り出して来て、皆んなの前で、その書類の箇所に赤ペンでラインを入れ、「ここに書いてあるだろう。資料を見てないのか?」と言い返しました。一瞬シーンとなりましたが、そいつの怒りは収まりません。私はそのまま放っておき無視しました。こんな事で時間を使うのが勿体無いのです。おそらく店長か誰かに案件の内容を注意されたのでしょう。そして、自分のミスを他人のせいにするのが目的なのです。そんな奴らにいちいち付き合ってはいられません。

また稟議書を受ける前から、あーでも無いこーでも無いとやたらに勿体ぶる奴らにも困ったものでした。自分がこの顧客に商品を卸してやるんだ、売ってやるんだみたいな勘違い野郎がいるのです。大体、営業が案件を受けて来ると、稟議書を作成する事務係が担当制となっている事が多いのですが、その担当に勘違い野郎がいる事があるのです。これに当たると本当に案件が進みません。こいつらに言いたいのは、とにかく土俵に上げろと言う事でした。書類を書く前の能書きは立派なのですが、とにかく手が動きません。事務の担当が稟議の判断をする訳では無いので、営業としてはその判断をリーダーや店長、本部に早くして欲しい訳です。その為の稟議書作りなのです。私は特にこの連中が許せずに、良く言い合いをしていました。そして最後には必ずこの言葉を言っていました。「あんたが商売をしている訳ではないだろう!、あんただけの判断で終わらせるな」と。まるで自分が商売をしているような態度で、商品を売ってやるという態度が許せなかったのです。自分の家も商売をしていたからでしょう、そんな生半可な連中に、いい加減な判断をされてはたまらないと、いつも思っていました。

とにかく、この会社にはこんな連中がたくさんおり、今は本当に良く定年まで勤められたと思っています。

私の心の中はいつも濁流が流れているようでしたf:id:x-japanese:20220806131925j:image

 

 

 

 

265.私の夫婦でゴルフ体験記27

ランニングの練習が計画通りに出来てない割には、ゴルフには相変わらず行っています😅。しかし、このところ何かスランプと言うか伸び悩みと言うか、満足したゴルフが出来ていません。先日も急にアイアンが当たらなくなり、何故かシャンクやトップばかり😨。自分ではしっかり打っているつもりなのに何でこうなってしまうのか、考えれば考える程分からなくなってしまいした。そして久しぶりにスクールの先生に見て貰いましたが、ほんの少し構えを直して貰って、例の内から外のスイングを30分程繰り返しただけで元に戻って来ました。些細なスタンスと腕の構え方だけで、これ程まで変わるものなのか、改めてゴルフの奥の深さを痛烈に感じているこの頃です。最近は、ゴルフとは自分の頭の中のイメージと現実のギャップとの戦いのような気がして、精神的な事が影響するスポーツなんだなあ、と思っています。先生は、ゴルフは良い時と悪い時はどうしてもあるので、悪い時を短くするイメージで練習してと言っていました。

最近では8月の後半、お盆休みの最後の平日と、9月に有休が取れたので、久しぶりに平日ゴルフを楽しみました。また先日は水上高原で、お孫ちゃんとの旅行の中日に行いました。最近は日曜日に行く事が多かったので、とにかく平日ゴルフは値段が安いのでビックリでした。8月はツインレイクス、9月は緑野に行きました。双方、昔は結構高かったイメージがあるゴルフ場でしたが、今はアコーディア系列のゴルフ場で、本当に値段が破格です。双方、妻と2人のツーサムにも関わらず1人6000円しないので、昔を知っているだけに逆にこの値段でいいのか遠慮してしまう位です。

私が前の会社でゴルフに行っていた時代、まだバブル期前後の時代は、ツインレイクスは当時の役員が会員権を持っていて何か敷居が高かったイメージがありますし、また緑野は、当時、私のお客さんが持っていて、確か2600万円したんだと自慢していたのを覚えている位です。当時のゴルフ会員権はそんな値段がしていたなんて、今は誰が想像できるでしょうか😅。

そしてやはり、平日は混んでます。それもお爺さんばかり(人の事言えないか😵)が目立ちます。特に緑野は男性ばかりで女性は全くいませんでした。これは初めて妻を連れてゴルフに行った時を思い出しました(142回目のブログをご覧下さい)。しかしその時とは既に精神的にも技術的にも進歩したので、逆にその頃が懐かしく感じる位の余裕がありました。両日ともコンペが多かったので進行は結構遅く、ツーサムだとその影響をまともに食ってしまう感じです。はやり一番やり易いのは日曜日だと改めて感じた次第でした。

ツインレイクスは30年位前に数度行った事がありました。池がたくさんあるイメージで、池ポチャをたくさんした覚えがありましたが、今回はそんな感じは無く、フェアウェーもまずまず、池もそんなに気にならずグリーンも広く、クラブハウスも豪華で、後半は天気も回復してとにかく緑が鮮やか、この時は93で上がれました。最近はスタート時は雨や曇りで途中から晴れて来るといったパターンが多いので、この日もそんな感じで後半に掛けてスコアもまとまり、とても満足したプレーになりました。妻もここはまた来たいと言っておりました。f:id:x-japanese:20220927090026j:image

緑野も出だしは雨、この日も後半から天気が回復してまあまあなゴルフが出来ました。f:id:x-japanese:20220927091955j:imageここは前述の通り名前だけは知っていましたが初めてのプレーでした。噂では豪華なクラブハウスがあり、レストランには能が舞える舞台があると聞いていました。まさかとは思って当日行ってみましたが、噂通りの立派なクラブハウス、そして能の舞台もしっかり残っていました。バブルの頃はここで本当に能を舞っていたと言うのですから、凄い時代だったんだと改めて思いました。コースは両サイド受けている感じなのですが、うねっているのでボールは思った程コースに戻って来ません。またこの時はラフが伸びていたので結構ボールが見つからずに苦労しました。午前中は雨もあり、また前の組が、私が打とうすると戻って来たり、カートがかなり前方に進んだのでアドレスに入ると横から人が出てきたりと、予想の付かない動きをされ、イライラが募り思うようなゴルフが出来ず苦戦。それでも後半巻き返し97で上がる事が出来ました。f:id:x-japanese:20220927092416j:imageまだまだ修行が足りないと思ったのでした。

最後は水上高原ゴルフ場です。ここは今年の4月に来た時に雪でクローズで出来なかったので(229回目のブログをご覧下さい)、そのリベンジです。ここのスカイコースは10分間隔を取り入れているので、初心者はもちろん、じっくりやりたい人にもいいゴルフ場だと思います。この時はアイアンのシャンク病がまだまだ直って無かったので、敢えてこのコースを予約したのでした。しかしこの日も出だしは結構な雨。f:id:x-japanese:20220927094018j:imageこの3回とも同じようなスタートで午前中のスコアが悪いのでした。コースはロングは中々長く打ち上げもありますが、フェアウェーもそれ程狭く無く女性でも十分楽しめると思います。この日は前述の先生のアドバイスの効果も虚しく、午前中がボールの方向性が定まらず、またアイアンもユーティリティーでもトップやダフりがあり苦戦しました。午前のロングホールでは第2打、第3打のユーティリティーをトップ。そして第5打のアプローチをシャンク。右の崖下に落とし、久しぶりの二桁、10を叩いてしまいました。続くショートホールでもティーショットをシャンク、結果はトリ。これには大ショック。午前中は55の大叩き。大雨とは言え、この結果にはかなりの精神的なダメージがありました。

しかし後半は天気も回復。気分を取り直し、終わったらお孫ちゃんと遊ぶんだと気分転換。先生のアドバイスも効果が出て来たのか、何とか47で上がれました。なぜか途中からアイアンが復活し、このショートホールではまさにワンオンベタピン!(とまでは行かないか😅。少しバックスピンも掛かってます😊。しかしこの後ツーパット😵)。f:id:x-japanese:20220927095032j:imageまた、この後も右ドックレッグのミドルで、ティーショットで崖超えのショートカットが決まるなど(結果はパー😵)、超ハイテンションになりました。これだからゴルフは面白い。その後は太陽も出てきて、もうハーフやりたい位の気分になりました。結局この日は102。調子と天気の割にはまあまあかな、といった感じで終わりました。f:id:x-japanese:20220927095316j:image

その後はお孫ちゃんが待っているので、合流して水上高原ホテルを満喫。昔は娘達を連れてスキーに来ていたこのホテルで、今はお孫ちゃんを連れてゴルフに来ているなんて、何とも言えない感慨深い時間を過ごす事が出来ました。またこの水上ではまたまた群馬県愛郷割の適用を受ける事が出来(242回目のブログと一緒です✌️)、とてもおトクに旅行をする事も出来、最高な気分で帰って来たのでした。

旅行もゴルフもランニングも健康が大事。これからもこんな事を続けて行きたいと、まだまだ頑張って行こうと決意したのでした😊。f:id:x-japanese:20220927102143j:image

 

 

 

264.私のX-JAPAN奮闘記25

前々回、X-JAPANの話題が出たので、久しぶりにこのテーマのブログを書こうと思います。ところで、この夏はコロナに改めて振り回されたという感じでした。改めてという意味は、国や公共団体からの指示がまるで無く、その判断を国民に丸投げ的な対応で、こんな対応でいいのかと憤慨したコロナ禍だったからです。しかし9月の声を聞くと、コロナが下火になって来ました。対応をしなくてもコロナが収まって来た事に、じゃあ今までの対応は一体何だったのか。マスコミもこうなるとコロナのコの字も出て来ない感じです。空虚感さえ感じてしまうこの夏でした。政府を初め、緑のオバさんや教えてオジさん等は、この結果を受け止め、検証をしっかりして説明をして欲しいと思うは私だけでは無いと思います。一体今までのコロナ対策は何だったのか、本当にしっかり検証をして欲しいと思ったのでした。

この間、我々は本当に大変でした。この夏の娘の結婚式は急遽、挨拶や余興が縮小され、プログラムの変更やらでその対応にてんやわんやな状態でした。その間にも7月にはToshIのコンサート、8月と9月にはYOSHIKIのディナーショーとコンサートもあり、その他にも結婚後の親族への挨拶や、お孫ちゃん家族等のイベントがあり、その対応も考えなくてはなりませんでした。特にコンサート系については、このコロナの再拡大の為、参戦を見送るべきかどうかという判断も迫られました。もちろん娘の結婚式という資金的な問題もありましたが、もしキャンセルした場合の事も考えると、難しい判断を強いられたのでした。毎日のように情報収集をし、コロナがどんな状態なのかを確認して、その都度、対応や方向性を考えるのは本当に大変でした。しかし政府を初め判断材料が示されません。マスコミだけが相変わらず煽りまくり、途中からはウンザリした気分になり、もうどうでもいいや、なるようになれ、と思うようになってしまいました。

そして何とか娘の結婚式も無事に終わり、その後我々は、7月のToshIの大阪でのコンサートは参戦、8月のYOSHIKIのディナーショーは諦め、9月の東京でのクラシックコンサートに参戦する事を決め、久しぶりのX-JAPANの気分を味わう事を決定したのでした。

まずはToshIの大阪のコンサート、これはコロナの真っ盛りの7月下旬でした。大阪での開催で距離的な事もあったので、これは随分と悩みました。しかし2人の娘が嫁ぎ、子育て完了の記念に行く事にしたのでした。大阪までの新幹線は乗車率は半分程。巷ではコロナの影響で人の出は少なくなっている感じでした。7月下旬という事で大阪の暑さを警戒していましたが、着いてみると思った程では無く、会場に向かいました。しかしやはり歩いているとじっとりと汗ばみます。また大阪特有のクマゼミの鳴き声が暑さを増幅させる感じでした。そしてここで、午後と夜の2公演参戦。ToshIの声はやはり最高、本当に癒されます。今回はToshIから、長い子育てご苦労様と言われているように感じたコンサートで、涙ながらに聞いていた感じでした。f:id:x-japanese:20220921085744j:image

このコンサート会場周辺ではそれ程人はおらず、大阪もコロナで大変なのだろうと思ったのですが、コンサートも終わって夜の街へ繰り出してみると、そこは別世界。結構人も出ており賑やかな店も多かったのでした。翌日は大阪巡りの為、日本一長い商店街で有名な天神橋筋商店街をぶらぶら。その後は大阪天満宮、新世界、通天閣あべのハルカスと観光しました。そしてそこもかなりの人で賑わっており、コロナの対応は一体どうなっているのかと、カオスな状態のこの国を本当に心配に思いました。まあ、国民にその対応を丸投げした訳ですから、こうなっても仕方無いとは思います。それにしても新世界界隈は、久しぶりに味わう混雑具合でした。大阪はやっぱり元気あるなあ、と思いながら、最後は串カツで締めて大阪の街を後にしたのでした。f:id:x-japanese:20220921090854j:image
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そして9月、これはつい先日参戦して来たYOSHIKIのクラシックコンサートです。この時は東京国際フォーラムで行われる為、当初から近隣の皇居をランニングする計画でおりました。しかし台風の影響でこれだけが叶いませんでした。思えば4年前のX-JAPANの幕張のライブも最終日は台風で中止だった事を思い出し、同じように中止にならないように祈りながら、ランニング位は仕方ないか、と思ったのでした。幸いコンサートは全て開催され、無事に家路にも着く事が出来ました。f:id:x-japanese:20220921132539j:image

ちょうど数日前に行われた、矢沢永吉のライブは、台風の中決行して、自己責任とは言いながら案の定マスコミで問題となり、気の毒にコンプライアンスの餌食になったと思いましたが、YOSHIKIのコンサートはこんな事にならず、本当に良かったと思いました。

初日は4時過ぎに到着、相変わらず開場の予定時刻になっても動きは無く、国際フォーラムの周りに長蛇の列が出来、行き交う人は、まだ収まっていないコロナ禍で何事かとかなり驚いていた様子でした。初日は約1時間半の遅れでスタート。これもYOSHIKIのご愛嬌といったところでしょうか。それにしてもXのファン達は、自分を含め昔から我慢強いと思います😅。f:id:x-japanese:20220921135846j:image

しかしコンサートはやはり最高でした。ToshIの歌声とはまた違い、美しいメロディーには本当に心が癒され、私は元来クラシックも好きなので、大満足なコンサートになりました。そして、最後の日、信じられない出来事があったのでした。この数年間、何があったのか、2人の間にはまたまた不仲説が噂されており、ToshIは全くX-JAPANの歌を歌わなくなったし、YOSHIKIはToshI話題を話さなくなりました。コロナがあったとは言え、当然ライブも無し。このまま、2人は一緒に活動する事は無く、X-JAPANも空中分解してしまうのかと思っていました。

その信じられない出来事とは、ToshIをリスペクトする言葉だったのです。一般の人なら別に大した事は無いのですが、ファンの間では大騒動となるのです。こんな事を話すという事は、もしかしたらX-JAPANが活動するかもしれないという期待が一気に膨らんだのでした。念の為、家に帰って録画で確認しましたが、明らかにYOSHIKIは、一言だけでしたがToshIの事を話していたのです。噂ではToshIもファンを前にして、Xという言葉を口にしたと聞きました。こんな些細な言葉にも、今のXのファン達は、活動再開に向けて一縷の望みを託したいのです。f:id:x-japanese:20220921140454j:image

そして、ToshIの時と同じように、YOSHIKIのコンサートの後も、2人して夜の街に飲みに繰り出しました。この時は2日ともドイツビールの店を探し、美味しいビールを堪能しなが、先程までのコンサートの余韻を楽しみました。こんな事が出来るのも、この2人が頑張ってくれているからこそ出来る事で、こんな事でも無ければ地方や都心に遊びに行く事も無いと思いました。そんなToshIとYOSHIKIに何度も乾杯をして、X-JAPANのライブを祈りつつ、どうせランニングも中止にした事だしと、両日とも遅くまで飲んだくれたのでした。f:id:x-japanese:20220921141056j:image
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最後に、このYOSHIKIのコンサートに参加して思った事があります。3時間以上、あれだけの人数の中、本当にコロナを心配しましたが、私を含め妻も感染していません。先日、WHOの偉い人が、コロナは終息のような話をしていましたが、日本もそうなのではないかと思った次第です。本当にこのまま無くなるといいですね。

 

 

 

 

263.私のダイエットとランニング体験記20、東京マラソンへの道

今日は9月26日です。ここでランニングの報告をしようと思います。結局8月の走行距離は80kmそこそこで終わりました。目標の100kmには届かなかったものの、歩数は平均で12,000歩近く達成、お酒の量も目標通り抑える事が出来、イベントとかあった割には、体重は随分と元に戻って来ました。9月になるとそれまでの酷暑が治まって来て、かなり涼しくなって来ました。そしていよいよ我々は東京マラソンに向けて、最終目標を立てたのです。そしてこの目標は9月、10月が試練の月となるのです。

まずは今年、X-JAPANの故郷、我々の第二の故郷でもある館山で開催される若潮ラソンが、正式に決定、エントリーも無事完了しました。3年振りの開催でしょうか。今年の大会はリモート形式で行われ、現地入りして館山の街を走る予定だったのですが、開催間際になってコロナの再拡大があり、我々は泣く泣く現地入りを諦め悲しい思いをしたのは、174回目のブログに書いてある通りです。ここを最後に走ったのはもう2年以上前、このブログのタイトルの前立腺癌の治療後です。やっとコロナ禍から解放されるのかと感慨に浸りながら、これに参加する事にしたのです。そしてこれは来年1月29日開催なので、ちょうど東京マラソンの約一か月前。これを30km走と位置づけ、それに向かい身体を作って行く計画を立てました。

それに向けて、10月までには何としても20kmは走れるように頑張らなくてはいけないのです。また月平均一万歩のウォーキングもクリアする事にしているのです。しかし何が試練なのかと言うと、この2ヶ月はイベントが盛りだくさんなのです。まずはお孫ちゃんの面倒です。これは定例なのでいいのですが、その後の2回続く三連休は、一つはYOSHIKIのクラシックコンサートにオール参戦(この報告は別のブログで行います😄)。翌週は、長女とお孫ちゃんと旅行があるのです。そして10月の三連休も、今度は次女の嫁ぎ先とのイベントがあるのです。その後はお孫ちゃんの面倒がまた控えています。これは以前から大体決まっていたので今更どうこう言うつもりは無く、そんな事は知った上でこの計画を立てたのです。この期間でどの位のランニングが出来るのか、そして10月が終わるまでに、20kmを走る事が出来るのか、これはまた途中経過を含め、ブログに上げて行こうと思います。

それと並行して、本番までに、怪我をしないように身体の柔軟性も上げないといけません。とにかく毎晩、ストレッチやヨガ、ダンベル体操をする計画でいます。また長距離走は内臓に負担が掛かるので、お酒の量ももちろん抑える計画です。そして、11月にはスピード練習と坂の練習を取り入れ20kmを楽に走れるように持って行き、12月には25kmまで持って行く計画です。月間走行距離も最低でも150kmまで持って行きたいと思っています。

とにかくこの2ヶ月が勝負。しかし9月も中旬になって来て、また残暑が厳しくなって来ています。そして、最近はやはり年齢を感じずにはいられないのです。それは、お孫ちゃんが帰った第二週の土日に、それぞれ7km、10kmと走ったのですが、月曜日、火曜日と身体に怠さが残り、ストレッチやダンベル体操を怠けている状態で、少し不安な状態になっているのです。水曜日辺りに走ろうと思いましたが、結局断念。さらにここに来て、自然の猛威が迫って来たのです。そうです、台風です。当初この台風は、九州をかすめ韓国方面へ抜ける予報だったのが、この三連休は右に急カーブして本州直撃の様相を呈して来ました。こうなるともはやランニングは絶望的になってきます。

そして最初の三連休、YOSHIKIのクラシックコンサートにやって来ました。コンサート会場が東京国際フォーラムだったので、周辺のホテルを2泊取りオール参戦。そしてこの会場は皇居が近かったので、久しぶりに翌日、翌々日の午前中に、皇居ラン10㎞を2日やる予定でした。いつもはコンサートの後は2人で飲みに行ってその余韻を楽しむのですが、それも抑えて朝ランに備える計画だったのです。初日はまだ台風の影響は無く、出発前に家の近くの公園を10㎞走り、現地入りしました。しかし翌日の天気予報は、この台風がまだ遠く九州の辺りにいるのに、関東近辺の天気を不安定にさせていました。翌日、翌々日とも朝のうちは雨予報が出ており、ランは出来ないと思われる状態になっていました。結局、台風の影響は大きいだろうと、我々は早々とランニングは諦め、コンサートの後はいつもの通り、余韻に浸り飲んだくれてしまいました😵。まだまだ遠くにいるこんな台風の影響が東京にまで出るなんて、夢にも思いませんでした。

しかし最近の天気予報は当たらない事が多いとは思っていましたが、何と2日共、朝起きると曇り、翌日は何と晴れ間まで出ていました。これには2人して唖然としました。これなら2日とも走れた天気でした。しかし、起きて走ろうにも、両日ともいつものように飲んでしまった為、頭が痛い状態。また低気圧不調なのか、体調も優れません。結局この三連休は、コンサートに行く前に走った10㎞のみ。そして9月の合計はまだたった27㎞です。これは後で考えると致命的な結果かもしれません。この時ばかりは天気予報を恨みました。せめて前の日の午前中の天気位はしっかり当ててほしい、そしたらあと20㎞は走れていたと😔。

そんな訳で、本来ランニングをやる予定でしたがせめてウォーキングを、という事で、有楽町から銀座の町をブラブラ、買い物方々結構歩いたのでした。何とかウォーキングだけは9月平均一万歩をクリアしている状態です。こんな調子で後半の三連休も旅行に行きました。さらにこの旅行ではゴルフはありますが、やはり台風の予報でランニングの計画は無し。当然走っておりません。お孫ちゃんと一緒にトレッキングでもしようと思っていたのですが、当初はそれも諦めていました。初日はザーザーの雨、早々と温泉に浸かり、何とか天気の回復を祈ったのでした😅。しかし、何とこの週末の台風の予報が、2日目の午前中から天気が回復。午前のスルーだったゴルフは、スタートは雨でしたが後半はいい天気でプレー出来、午後には山歩きをする事が出来る位に遊歩道のコンディションも回復、何とかトレッキングだけは出来たのでした。トレッキングもマラソンには効果が大きいので、これはせめてもの救いでした。翌日の天気は快晴だったので、結局2日トレッキングをする事が出来ました。しかし、こんな状態で10月までの目標がクリア出来るのでしょうか😵。今現在、気持ちはかなり焦っている状態です。ほんとにフルマラソンを走れるのか、かなり不安になって来ています。続きはまた来月に挙げようと思っています😅。

公園の脇には曼珠沙華が咲いています。着実に秋はやって来ていますf:id:x-japanese:20220919230121j:image

 

262.私の会社員時代、やってらんない記憶.17

営業もベテランの部類になってくると、後輩の面倒を見る事が多くなって来ます。所謂、中間管理職の一歩手前、この頃はかなり上と下の間に挟まれ、その調整に苦労した覚えがあります。冗談では無く、X-JAPANの音楽と出会わなかったら、私はどうなっていただろうと本気で思い出します(112回目からのブログを見て下さい😅)。この頃は既にこの音楽と出会い、気持ちが落ち込んだ時や心が砕けそうになった時等は、この音楽を聞く事によって随分と救われたと思っています。しかし、本部や店を問わずに存在した、意味不明なプライド叔父さん達との戦いは長い間続きました。これは、私にはただの駄々っ子のようにしか見えず、本当に困ったものでした。

その典型的な例が、「おれは聞いてない」の言葉でした。それはさまざまなシチュエーションで出て来ました。この会社、と言うか、この国は稟議制度を取り入れている事が多く、案件の稟議書を上げている時に一番感じる物でした。この国は、印鑑を押す(この頃はもちろん紙社会でした😵)先輩や上司一人一人に全て、所謂根回しをしないといけないのでしょうか。稟議書を上げる度に、大体数人がこの言葉を吐いていました。そして無駄に反対するのです。その度に案件が止まる事が多々あり、私はこれにとても無駄を感じてしました。結局は仕方無い、と言うような態度で印鑑を押すのですが、その理由が内容の良し悪しでは無く、単に邪魔をしているとしか思えないのです。そして時間ばかりが浪費されて行くようでした。

中には、根回しが会社員の生きていく上での必須要件、と思っている人達もいるでしょうが、根回しだって「最初」があるはずです。稟議書が最初と何が違うのでしょう?。これは案件に限らず、例えば新しい企画についても良く言われました。ひどい物だと忘年会ひとつにも、そうやって反対する上司もいました。「おれは聞いてない」の心理の中身は一体何なのでしょう?。単なる自分の存在感を感じたいのか。何かやる度に、いちいち上の立場の人達全員に根回しする必要があるのでしょうか。そんな事をやっていたら、時間はいくらあっても足りないのではないでしょうか。

おそらく今でも営業の店では、相変わらずそうなのだと思います。私の退職の頃には既に、日報などは全てパソコンでした。誰でも全て見る事が出来ます。案件の情報も一眼で分かるようになっています。その月の案件予定も進捗具合もパソコンでしっかり見れるのです。店長を初め、リーダーや上司が管理するにはとてもいい時代になったのです。それでも「おれは聞いてない」と言ってる奴がいたら、そいつこそが会社のお荷物、時間を無駄にする単なる駄々っ子だと思いませんか?。そんな駄々をこねる暇があったら、事前にパソコンを見て情報収集して、その担当者に事前に聞いておけと思ってしまいます。でもまだまだ存在していると思います。

これと同じ部類に「嫌だね上司」もよくいました。これは案件で営業と事務で意見がまとまらない時に出てくる困った上司です。しかし、営業としては、無理をしても、どうしてもやりたい案件はあるものです。営業も、そうするからには色々な資料を作ったりまとめたりして、話し合いをします。すると事務は段々と反論が難しくなって来ます。そこで登場するのが嫌だね上司です。事務に勝ち目(こういう言い方もどうかと思いますが)が無くなりそうな時に、突然「おれは嫌だね」と言うのです。理由なんかありません。反対理由が出て来ないものですから、嫌という言葉で対抗するのでしょう。こうなると話し合いになりません。

私もこれには本当に辟易とした案件がありました。ある時、この店のエリアで超優良企業の紹介があり、私と担当者で訪問。かなりの大口の案件を貰ったのです。しかし取引条件は中々厳しい物でした。それは当然です。色々な競合他社が競い合っている顧客です。少し位の良い条件では見劣りするのは必須。するとたまたまこの取引に補助金のようなものが付く事が分かり、利益率は一般の取引位の数字が出せたのです。これはやるしかないと、我々は案件を提出しました。大口なので信用の面では厳しいですが決め手は「利益率」でした。案件は比較的順調に進みました。しかし最後にこれを気に入らない事務のリーダーが、「おれは嫌だね」と言って来たのです。理由は信用額とその補助金でした。私は、特に補助金が気に入らないという理由が理解出来ず、言い合いになりました。内心、こいつ馬鹿かと思い、その時はかなりキツい言葉で、「調査会社の倒産の確率は限りなくゼロ、さらにこの弊社の利益率、何をして嫌と言うのか、商売には頭を下げる物だ」とそのリーダーに言ってしまったのです。一触即発となりましたが、私としても引けません。結局その案件は承諾されたのですが、時間はそれなりに掛かり、かなり心理的に消耗したのを覚えています。

今考えてもおかしな、と言うより理論の無い「おれは嫌だね」です。一体何が気ならないのか、この頃は、こんな不毛な論争が多く行われていて、毎日のように、X-JAPANの曲を聴いておりました。

本当に彼らの曲に毎日癒されていましたf:id:x-japanese:20220806131724j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

261.私の会社員時代、やってらんない記憶.16

あっという間にこのシリーズは16回目になってしまいました。ここまであっという間に下書きが書けてしまったので、この会社にはそれだけ上司や先輩達がどうしようも無い連中が多く、私もどれだけフラストレーションが溜まっていたのかが分かります。この内容は本当の事なのです。既に退職して2年、この書いている現役の頃の話は今から30年近く前の話もたくさんあるのに、未だにしっかりと覚えているのは私が粘着質な人間という訳では無く、それだけ強固な独特な会社の慣習を変えたくても変えられないという、ある種の絶望感を感じていたのだと思います。そしてそういう苦労した経験は、いつまで経っても忘れないものです。

この絶望感についてはまだまだたくさんあります。ケチやセコさ以外にも困ったものと言えば、プライドの高いリーダーや店長にも、やってらんね〜と思う事がたくさんありました。私の会社は確かに歴史はありましたがそんな大企業でもなく、決して世の中で威張って発表出来るような会社ではありませんでした。ある日、同僚の顧客でこんな事がありました。効率化や省力化でどんどん機械化が進んでいた時の話です。ある顧客から連絡があり、先日、同僚が持って来た資料に計算間違いがあるという指摘があったのです。これはお店では対応出来ず、本部の事務部に確認を依頼しました。その時の当初の対応が、機械が間違える訳が無いとう一点張り。その小馬鹿にした態度には同僚はかなりムッとしていたようでした。しかしその後、何と会社の機械が間違えていた事が発覚。本部の担当役員が謝りに行く事になりました。しかしこの役員、顧客の所ではプライドがそうさせるのか、頭ひとつ下げずにただすみませんの言葉だけ。この対応にこの同僚は、この会社に未来は無いと、その後退職をしていましいました。この同僚はかなり優秀な人間でした。

またこの頃、本部の事務部でシステム関係を扱う部署ができ、段々とパソコンの時代へと移行して行きました。しかし、当時、その部署にいる連中も酷いものでした。この役員にしてこの部下ありというような連中ばかりで、少しパソコンを知っていると言うだけで、それはそれは大威張り。横柄な態度は度々問題になり、店とはよくトラブルになっていました。ただ知っているだけで、何であんなに威張るのか、私はとても不思議でしたが、ある先輩が「あそこの部署は営業をクビになった奴ばかりで、俺たちに仕返しをしているのだろう」と、説明してくれた時、妙に納得してしまった私。そしてそんな事務部の連中を馬鹿にした時もありました。こんな私も、今思うとこの連中と五十歩百歩かなと思い、少し反省しています。

また本部には、ずーっとその部署にいる仙人のような社員も多くいました。確かに会社には、そこの部署のスペシャリストは必要です。しかし大体そういう奴らは他人にその仕事を教えず、自分だけが知識を独占している事が多かったのです。よってその部署のほぼ全ての事は、その仙人に関わってもらうしか無くなるのです。所謂、属人化という奴です。こうなるとこの仙人の機嫌次第でどうする事も出来なくなるのです。本部の役員でさえコントロール不能となります。そしてこれが、意味不明なプライドを増長させます。当然、店からの苦情も目立って来ます。しかし、その仙人を担当変えをするとその部署が機能しなくなり、結局、仙人がまた戻ってくるという繰り返し。こうなると会社は停滞してしまいます。もはやプライドと言うよりは仕事が人質のようになっているのです。この仙人しか出来ないから、仕事をやってもらう為にこの仙人を怒らせないように、それこそ腫れ物に触るように仕事をお願いするのです。こんな馬鹿げた事を、本当にやっていたのです。ただ知っているだけで大威張りをするこの感覚、また、この環境を維持して行きたいという既得権を離さないこの感覚は、私は今でも理解出来ません。

本部と接触するようになるのは、大体が営業もベテランの部類になってからです。当初は、本部にこう言ったプライド人間は多かったのですが、段々とこの訳の分からないプライドを持った人が店にも増えて行き、この連中との戦いが随分と私のストレスとなりました。営業になって3年はいつ辞めようかと思っていましたが、この頃はある程度先が読めるようになって来ていたので、この会社、大丈夫かと思うようになり、いつでも転職が出来るように、何か自分に「ウリ」が無いとダメだと思うようになっていました。しかし、その後も、このプライド叔父さん達との攻防は続くのでした。

会社では観音様のような人とは、殆ど出会いませんでしたf:id:x-japanese:20220806131201j:image

 

 

260.私の会社員時代、やってらんない記憶.15

このようにセコい店長や先輩も困った物でしたが、これは我々社員達が我慢すれば済んだので、やってらんね〜で済みましたが、その他にも仕事をしない上司や先輩達も多かったのです。これは、私がかなりベテランの域になって来て目立つようになった物でした。この頃は、そろそろサービス残業とか時間外労働とかいう物がクローズアップされ、所謂ライフワークバランスという言葉が流行り出した頃で、それに対応出来ないでいる連中がやたらに多かったのです。それまでは時間は幾らでもある為、のんべんだらりと仕事が出来たのでしょう。そしてそれが、全てでは無いにしても残業代としてお金に変わる訳ですから、この仕事をしない連中にとってはたまらく良い環境だったんだと思います。

こう言った連中も本当に「やってらんね〜」という人種でした。このライフワークバランスのお陰で、私は段々と帰る時間が早くなり、本当にいい時代になったと喜んだ物でした。しかし早く帰るにはそれなりに仕事を効率化する必要があります。しかし、この連中は仕事の効率化など考えた事もないのでしょう。本部から創意工夫して早く帰るよう度々通達が出たりしましたが、この連中はやり方は変えずに強制的に帰らされる訳ですから、当然仕事も片付かなくなります。そう言った事案がこの頃は本当に多かったのです。

我々の仕事は、売上数字を上げる事だけでは無く、売れば集金をして回収して初めて利益が上がるのです。なので、お客さんにどれだけの信用を与えられるか(ツケで売ってあげる事です)、という事が重要となるのですが、この信用の金額が大きくなると、本部に稟議書を上げる必要があるのです。時には相手先の決算書等を貰い、まず店内で協議。必要なら不動産担保や保証金をお願いするのです。そして書類を作成して本部に決裁を仰ぐという感じです。そして、この書類を事務の係の担当が作るのですが、その作成に時間がかかるのです。何でこの程度の物が直ぐに作成出来ないのかが、私は本当に不思議でした。

ある時、大口の受注が入り、お客さんからは返事は後でいいとの案件を貰いました。店では問題無しの判断、後は金額が大きかったので本部へ稟議書を送る必要があります。これが本当に書き上がらないのです。夕方にいつ出来ますかと聞きに行くと、もう帰る時間だと中々書いてくれない日々が続くのでした。そして、どの位の時間が掛かったと思いますか?。何と2ヶ月も掛かったのです。さすがに私も途中でブチ切れ、一体いつになったら稟議書を書くのか詰問した所、あれが無いこれが無いとの回答。「君、お客さんに足りない資料を貰ってくれる?」と言ったものですから、その途端、頭がプツーンと切れたと思うと、私の足が机を蹴っていました。ドーンという音がお店中に響きました。そして、「今更貰えるか!」と捨て台詞を言い、その場を後にしました。

また、こんな事もありました。私の夏休みを前にしたある日、やはり大口の受注を貰いました。そして前述と同じようなパターンで、中々稟議書が書かれないのです。当初は、私の夏休みまでには余裕で稟議書が決裁になるスケジュール感でした。しかし相変わらずに書類の作成が進みません。そして相変わらず時間だからと言って帰って行きます。ここでも私がキレ、またまた机をドーン!、では無く、この時はキレずに稟議書を作らせました。しかし、私の夏休みまでには間に合わず、休みの当日に出社して、その日乗る列車の時間ギリギリまで、一緒になって稟議書を作っていたのです。と言うか書くのを見張っていたと言った方が正確かもしれません。

これはほんの一例であり、私以外にもこの連中の被害にあっていた営業はたくさんいました。しかし、店長はこれに対して何も言いませんでした。何故かというと、その連中は自分の飲み友達だったからです。このバカ店長自体がこの連中を連れて、時間になると毎日のように飲みに行っていたものですから、注意も出来なかったのでしょう。こんな事も本当にやってらんね〜と、思ったものでした。

この頃の自分の写真を見ると、いつも怒ったような顔をしていますf:id:x-japanese:20220806130947j:image