前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

182.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.5

今度は東北旅行です。当時の国鉄(JRの前身です)から1975年に完全にSLが消えてしまいました(一部入れ替え作業用等では残っていました)。私は中2の春に続き、中3の夏に再度北海道へ、最後のSLの撮影に行こうと計画しましたが、親からは高校受験はどうするのかと一蹴され、敢えなく諦める事になり虚脱感状態。しかし、岩手県宮古という場所にSLが動いているという情報を掴み、我々は高校受験が終わり次第、そこに行く事を計画しました。そして受験は無事終了。何とか念願の私立高校と都立高校に合格。親から、都立高校に行けば浮いた入学金でお祝いとしてカメラを買ってあげると言われ、それに誘導されるように都立高校に入学。そして念願の一眼レフカメラを買ってもらい、いざ岩手県宮古へ旅立ちました。受験が終わり、1ヶ月程度での計画だったからかYHでは無く、一般の駅前旅館を予約しました。昔は時刻表の後ろに旅館一覧がついており、それを頼りに電話をかけて予約と内容の確認をしたのです。宿泊費用が意外と高くつき、予算的に中々キツい状況となりこの旅行は遠い割には3泊4日と短い物となってしまいました。YHの安くて安心して泊まれる有り難みをこの時感じました。そして、中学生最後の学割申請をして東北周遊券を購入。準備や情報も儘ならない中、旅立ちました。

それにしてもこの宮古という場所は遠かった。当時は新幹線もなくひたすら急行列車を乗り継いで行きました。北海道旅行では北海道に入るまでは特急を利用したのですが、それ以降は特急には乗らず、この時もひたすら急行列車で現地入り。ある意味、北海道より遠く感じました。途中仙台で下車し廃止となる市電を撮影し、その後は宮古に行くだけでタイムアップ。撮影は翌日と翌々日の2日間、帰りは夜行で帰る事にし、じっくりそこにいる事にしました。

SLが動いていた場所はラサ工業という民間会社の工場内で時刻表自体が無く、国鉄との貨車の受け渡しの時間が分かっているだけだったので、ほぼ朝から夕方まで工場内にいる事にしました。当日の夜、旅館に着くと初老の女性が出てきて、東京から中学生が来たという事で、かなり驚かれました。大体このようなシチュエーションで聞かれるのは「東京から何しに来た?」という事です。宮古というと浄土ヶ浜と竜泉洞が有名。また三陸海岸も見所がたくさんあります。しかしベストシーズンはやはり夏。こんな3月後半の、まだ雪が残るこの時期に来る人は珍しい、さらに中学生ですからさぞ驚いたんだろうと思います。

春休み時期とは言え平日で閑散期でもあったので、客は我々だけ。女将さんは我々に興味津々で食事の前後に色々と話掛けて来ます。「汽車なんか撮ってないで、浄土ヶ浜行って来たら?」「竜泉洞行った事ある?綺麗よ〜」「市場行って海鮮食べて来たら」とか、地元の人ならではの情報も色々と教えてくれたのですが、我々はただ笑って計画を変える事はありませんでした。そして翌日、旅館を出て工場内に向かう準備をしていました。女将さんはどうしてもSLを撮りに行く我々を見て観光を勧めるのを諦めたのか、お昼のお弁当としておにぎりを作ってくれました。当時コンビニなどまだまだ無かった時代、これは本当に助かりました。増して、工場内です。店すら無い所だと思っていたので、菓子パン買って過ごす事を覚悟していたので(当時の菓子パンはパサパサで甘い物が殆どでした)、とても嬉しかったのを覚えています。

そして念願の工場へ。撮影の許可を貰い、北海道以来約一年振りにSLと面会。小型のSLながら現役で頑張っている姿は本当にカッコ良かった。貨物も重そうで、それを引っ張り出す時には大型のSL顔負けの迫力で、我々は十分満足した撮影をする事が出来ました。女将さんの好意のおにぎりは本当に美味しく、お腹も空く事無く楽しく充実した2日間を過ごす事が出来ました。そして翌日、旅館を出たまま帰る予定の我々に向かい女将さんは、「どこも寄らんと、本当勿体無い〜、またいつか来なさいね」と言って送り出してくれました。

今思うと、本当に勿体無い。宮古と言えばウニ、イクラ、とにかく魚が豊富な事でテレビでもしょっちゅう話題になっています。私はその後、女将から案内してもらった竜泉洞がとても気になり、大学生の時に小岩井農場の方に旅行に来た時、一日時間を取って行ってみる事にしました。その日は浄土ヶ浜にも行く予定だったのですが、生憎の雨。そして竜泉洞があまりにも綺麗で見事だったので、ここだけ見て帰ったのでした。女将の言う通り、それはそれは本当に綺麗でした。浄土ヶ浜もきっと綺麗なんでしょう。やはり自元の人の言う事は聞いた方がいい、絶対にいつかまた宮古に泊まって、女将の教えてくれた場所を観光してみたいと思います。

そして、この旅館についてはその後、凄い偶然が起こります。社会人になった私が、最初に担当したお客様の中に、奥様の実家がこの旅館だった人がいたのです。その時はいつものようにお客様の会社に訪問し、奥様と何気ない会話から、色々な話になっていました。ふと私がSLファンだった事を話し、北海道にも行ったし宮古という街にも行った事があると話すと、何と奥様は宮古出身だと話が盛り上がります。そして実家は駅前で旅館をやっているという話となり、自分もその時駅前の旅館に2泊した話をしました。まさかとは思いましたが、奥様が懐かしさからか、その旅館の場所とか特徴とか突っ込んで聞いてきます。するとまさに私が泊まった旅館が奥様の実家だったのです。その後、奥様は実家に確認してみたとの事。既に9年も前の話しだったのですが、その時の女将さん、奥様の母ですが、SL好きな中学生が来た事を明確に覚えているとの事でした。私は大感激、その後このお客様とは随分と懇意にして貰いました。私はこの時、世の中は本当に狭いという事を初めて実感。逆に、このような事があるからこそ変な事はしてはいけない、真面目にして行かないといけないという事を強烈に思った事を覚えています。

そして、その後、東日本大震災が起きた時は本当に心を痛めました。仙台近辺には随分行きましたが、宮古まではまだ行けていません。復興の力になる為にもなるべく早く行きたいと思っています。

三陸宮古に残っていたSL。小さいながらも迫力がありました。このSLは現在、大井川鉄道で頑張って走っています。f:id:x-japanese:20211023171218p:image