前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

223.鉄チャン旅行の思い出25.復活SL編PART2

このような、カッコ悪いとか迫力が無いとかの私の話は、復活の現場に携わる方々には本当に失礼な話だと思います🙇‍♂️。昔の乗り物であるSLを今の時代に走らせるには、資金的や技術的な問題を初め、色々な規制や近隣との調整等々、本当に様々な苦労があったと思います。その為にこのような対応をSLにさせるしか無かったんだと思います。単なる鉄チャンが文句を言っているような言動は慎まなくてはならないと思います。しかし時が経って来ると、このSLの環境が色々と変化して来たのです。やはり本来の姿というか、このSL達が走っていた時代のリアルな姿を見たいというリクエストが増えて来たのではないか思います。また復活して時間も経過して来て、SL自体も随分と貫禄が出て来たのも一因だと思います。

最近の秩父鉄道のSLです。余計な飾りが無くなり、貫禄も出て来た事により、昔のようないい感じになっています。f:id:x-japanese:20220526084021j:imagef:id:x-japanese:20240205092423j:image

さらに最近嬉しいのが、期間限定ですが、敢えてご当地の装備を付けたSLも走るようになって来た事です。これは、ばんえつ物語号のSLです。このSLのデフレクタ(略してデフと呼ばれていました。無い物もありました)、この形がご当地ごとに種類が色々とあったのです。このSLには現役の頃から、九州地方のこの切り取られたデフが人気でした。門司鉄道管理局の地域でこのデフレクターが用いられていた事から門デフと呼ばれたこのデフは、この細身のSLにとても合い、私はこれが走るという情報を得た時、これを見たさに決まっていた家族旅行を、急遽、会津に変えた位でした。f:id:x-japanese:20220526084058j:imagef:id:x-japanese:20240205092726j:image

この現役時代と同じ位に煤けた車体に期間限定の門デフは本当に良く似合い、私は実物は見た事が無かったので、本当に感動したのを覚えています。

前述の東武鉄道のSLも、北海道の倶知安機関区時代の、所謂カニ目という両サイドに二つのライトを付けており、こちらも私は見た事が無かったのでとても興味深かったのです。既に復活して5年を経過し結構貫禄も付いてきているので、この煙突だけは早く何とかして欲しいと思っています。f:id:x-japanese:20220526105957j:image

最近はSLだけでは無く、客車にも気を使っている感じがします。山口線では敢えて昔の車両を模倣して新しく製造したという記事を読みました。そして、最近では久しぶりに、SL水上号を旧型客車で運行するという情報を得て、早速撮影に出掛けて来ました。このSLは、私は現役の姿を見た事が無かったのに好きな形のSLでした。そのSLの走る姿は、本当に私が見た北海道のSLそのもの。涙無くしては見れない位に感動しました。f:id:x-japanese:20220526084116j:image

こうSLについて書いていると、またまた「後悔先に立たず」をやってしまった事が、今だに残念と思っている事が思い出されます。それは北海道に、C62という日本最大のSLが復活して走り出した時の事です。私はまだ30歳になっていませんでしたが既に結婚していました。鉄チャン仲間達はまだ独身の連中もいました。このSLの復活は正式には1988年ですが、その前年の国鉄からJRに変わるイベントで仮復活を遂げていたのです。これは家で妻とテレビニュースで見ていたのですが、信じられない思いで食い入るように見ていました。この時は完全復活の噂はありましたが、それが現実となるとは夢にも思いませんでした。しかし翌年、まさにこのカマの故郷と言える区間、小樽〜ニセコ間で復活が叶ったのです。これにはあの北海道の記憶が蘇り、絶対に行きたいと思ったのでした。もちろん仲間からの誘いもたくさんありました。

しかし、まさにこの時、私は長女を授かりとても鉄チャンどころではありませんでした。このSLはその後も元気に活躍。いつか行ける日を願って、私は少しずつ貯金等をしていました。しかしその後も次女を授かり、そもそも鉄チャンなどと言ってられなくなる位に家庭内が忙しくなってしまいました。お小遣いも減らされ、ヘソクリも出来なくなって来ました😅。鉄チャンの友人達は数度行っている連中もいて、時折その写真やビデオを見せてもらう度に、いつか自分も行きたいと思っていました。友人達の話では、その走行音はまるでジェット機のようだとか、SLと思えない程早いとか、驚きに値したとか盛り上がっていて、そこに行けていない自分は本当に歯痒い思いをしていました。

その後も随分と長い間走っていたので、私は気長に機会を作って行けるよう準備だけはしていました。しかし、バブルという好景気の時代が終焉、この国自体が段々と元気が無くなって行く感じがしていました。そしてそれに同調するように、このSLも1995年辺りで運行を停止、その翌年、運行自体を終了してしまいました。この年1996年は、私が初めてX-JAPANのライブを見に行けた年です(このブログの112回〜をご覧下さい😅)。やっと子育ても少し落ち着き、少し経済的にも余裕が出て来て、ライブの他にもそろそろ北海道のSLの撮影にも行きたいと思った矢先に運行終了となってしまったのです。この時のショックは本当に大きかった。翌年のX-JAPANの解散と、二重のショックだったのです。「後悔は本当に先立た無い」と更に強く思うようになったのでした。

因みに、このC62はSLみなかみ号として再復活の話があったのですが、JR北海道と東日本での話し合いが付かず、結果、二次候補であったC61という機種が復活を遂げています。ひと回り小さい感じのSLですが、それでも今走っているSLの中でも一番迫力のある車体は、ファンの間では憧れにも似た感情が湧いて来ます。先日、このSLの撮影に行った時も、かなりの鉄チャンがやって来ていました。本当にこのSL達にはいつまでも走り続けて貰いたいと思います。f:id:x-japanese:20220526103234j:image

見る度に感動するSL、私はJRや地元にお金を落とす事位しか協力出来ませんが、この人間味溢れるSLにはいつまでも頑張って走って欲しいと思っています。