前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

181.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.4

北海道旅行はすったもんだの末、あっという間の帰りの日となりました。この日は前日と同様に早朝のSL列車に乗り、また追分に向かい機関区とその近隣で撮影、少し時間が余ったので幌内線にも寄った後、まず函館へ戻る為札幌駅に向かいました。列車の中では、もう家路かという寂しさに浸っていました。そしてまたここで勿体無い話が。まだ味噌ラーメンを食べていなかった事に気がついたのです。この頃はまだまだ味噌ラーメンはご当地ラーメンという感じで、東京辺りでも本格的な物を食べられる所は中々無かったのです。なので北海道に行ったら本場の味噌ラーメンを食べようと計画していたのです。初日に札幌駅に来た時も夜行列車の自由席に並んでいる時、交代で味噌ラーメンを食べに行こうと話し合っていたのですが、何となくドキドキして断念した経緯がありました(笑)。その時はホームの自販機にあった、今では有名な四葉牛乳を初めて飲んで、牛乳ってこんなに美味しいのかと大感動したのを覚えています。当時は三角パックだったなあ😅。

札幌駅は当時は高架駅では無く今ほど駅の中に色々なお店がある時代では無く、それでも北海道の首都の駅、外に出れば色々な専門店があるはずでした。しかし事前情報が無い。更にそろそろ予算も底をつき始めており、その心配もあり行くか行かないかを決めかねていました。札幌から函館までの列車は指定席が取れているので、発車ギリギリまで大丈夫なはずなので時間はたっぷりあったはずです。ラーメン一杯、千円しないだろっ!と、今であれば、何とも思えない金額が、この時はそれが出せなかったのでしょう。味噌ラーメンを何故だか諦め、また菓子パンを数個買い、そのまま列車に乗り函館を目指しました。その中でも社内販売で色々とご当地弁当等を売りに来ましたが結局何も食べず、そのまま青函連絡船に乗り継ぎ、東京へ向かいました。

今考えれば、ちょっと外に出ればいくらでもラーメン屋なんてあったろうと思います。でも本当にこの頃はお金が無かったんだと思います。そう言えば、私はこの年になってまで、お店であの会計伝票が来る時には何故かドキドキしてしまいます。今ではどこの店でもカード払いがあるので、現金が無くても支払いに困る事はまず無いはずなのに、やはりこの北海道旅行を初め、色々な鉄チャン旅行が全て金欠旅行気味だったからかもしれません😅。これが所謂トラウマというものなのか、今でも中々治る気配がありません。

この北海道旅行は行程通り無事に家に帰って来る事が出来ました。途中、帰りの列車の中から時折すれ違うSLや、夕暮れの駅に佇むSLの姿はこの目にしっかりと焼き付いています。これで見納めかと思うと本当に辛い帰りの時間でした。そして函館から乗った夜行の青函連絡船から見た津軽海峡の海に映る月明かりは、忘れる事が出来ない光景となりました。

上野駅には定時に着き、降りた時の暖かさといったらありませんでした。これには日本は狭いと思っていたけどそんな事は無く、本当は広いんだと感じたものでした。そして昨夜感じた寂しさとは反対に、何とも言えぬ安堵感を感じました。しかし、何とその後家に帰ると、体調を崩して暫く寝る事になってしまいました。観光はもちろん、お金をケチるあまり食事についても、駅蕎麦や簡素な物や菓子パンのような物ばかりだった為、YH以外ではろくな食事を食べていなかったのです。そのYHでも朝食抜きで朝早くから撮影に出掛けていました。その後もどうも体調がすぐれないので病院に診察に行ったところ、何と盲腸の診断。この時は薬で治りましたが、その後手術して取る事になりました。先生の診断は、やはり無理な生活をした事による疲労と栄養不足が原因との事でした。友人もそれぞれ体調を崩し、やはり相当な疲労とダメージが溜まった旅行だったのだと思います。

この札幌ラーメンは、その後、妻と行ったスキー旅行で十分リベンジさせてもらいました。その時は既にSLもいないので、スキーと観光とグルメに集中して楽しみました。しかしこの時行ったサッポロビール園には園内にSLが保存してあり、思わず懐かしくなり真冬にも拘らず暫く佇んで見ていました。しかしあの時のような道東での凍える位の経験は出来ていません。あの時した北海道での勿体無い行動は、流氷を除き全てリベンジしましたが、やはり真のリベンジは再度真冬に道東に行く事だと思っています。あの痺れるような寒さ、フィルムが切れるような寒さ、頭の後頭部が痛くなるような寒さを体験しながらの網走観光と流氷見物をする事が、今の私の最大の夢です。いつ行けるか分かりませんが、絶対に行こうと思っています。

夕張線と室蘭本線が分岐する所にて。この辺りにはファンがたくさんおり、SLもまだまだたくさん走って来ましたf:id:x-japanese:20220106110557p:image

このSLはブレていますが、かすかにD51の241号機なのが分かります。最後のSL牽引の貨物列車を牽引した機関車です。この写真は色が落ちてしまっていたのでモノクロに加工しています。f:id:x-japanese:20240305210820j:image