前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

218.鉄チャン旅行の思い出20 運用表編

大好きな列車を追うのは中々大変。しかし北海道にSLを撮影に行っていた頃は、私は単に我武者羅に撮影していたのでSLなら何でもOKという感じで、SLダイヤ情報の雑誌で時間さえ分かれば特に何も感じていませんでした。その後も特に考える事も無く、SLが無くなってしまった後もお目当ての列車を撮影する時は、事前に調べた時刻にそこに行ってただ撮影していただけでした。

しかしある日、家にいると友人から電話がありました。私の好きな電気機関車が動くから一緒に行こうという連絡でした。この機関車もSLと同じ時期に廃止になると思われていました。確かに1976年辺りになると随分と活躍する機会が減っていましたし、また他の機関車との共通で使われていた為、かなりの確率で他の機関車が来る事が多く、撮影に行っても中々撮れない日もありました。そんな状態だったので、何でそんな事が分かるのか不思議で、とりあえず友人と待ち合わせ場所にいきました。そしていつもの東大宮の撮影場所へと向かいました。そこは東北本線東大宮〜蓮田間の撮影名所であり、いつのまにか「ヒガハス」と呼ばれていたようですが、私はあまりこのような、二番煎じ的な短縮語は個人的に好きではなかったので使って無かったのですが、おそらく山陽本線の「セノハチ」を真似た物だと思います。

そんな事はどうでもいいのですが、撮影場所に行くと、その機関車のファンがたくさんいました。皆、今日この機関車が動く事を知っているようです。それも何号機が動くという情報まで。私の友人は、王子駅近くの東北本線の沿線に住んでいて、朝のある列車の機関車とこの夕方の列車の機関車がいつも一緒だと気がついたと言うのです。今朝の列車がこの機関車だったから、夕方のこの列車の機関車もこれに間違い無いという理論でした。そして時間になると、確かに私の大好きな電気機関車がやって来ました。私は友人と共に大興奮。今まで、この機関車の撮影は数ある列車、特に臨時列車を狙っても運良く1本から2本撮れれば御の字という感じで、この撮影地や白岡〜久喜の撮影場所まで行っていました。時には全く来ない時もあり、こんな風に来るのが分かっていて撮影するのは初めての経験でした。

自分達は撮影が終わるとサッサとカメラを片付けて帰り支度をしました。すると周りの鉄チャン達の話し声が聞こえます。すると、その他にも色々と今の機関車がどう動くかを良く知っているのが分かります。何やらコピーされた紙を持っています。そこには横棒がたくさん書いてある謎の表が見えました。「何だあれは」と思いましたが、その時は聞けずにその場を後にしました。特に友人ともその話をするでも無く、今日の事のお礼と、また分かったら教えて程度の会話をしながら家路に着きました。

そして、そのすぐ後です。今度は違う友人から同じような連絡があり、上野駅へ向かいました。やはり私の好きな電気機関車が走るというのです。そしてその通り、上野駅に推進運転で最後に現れたのはその機関車でした。一通り撮影が終わり、すかさずその友人に何で分かったのか聞きました。するとある鉄チャンから、鉄道雑誌の巻末に東北本線宇都宮運転所の機関車の運用表が付いているので、それを説明されたとの事でした。それは、先日、東大宮にいた鉄チャンが持っていた物と一緒でした。その時、初めて運用表という言葉を聞きました。しかし私はこれを前にも見た事がありました。ただ気が付かなかっただけで、それがどんな意味かは知らなかったのです。

今までは列車とか機関車は、調子がいい車両を適当に車庫から出して走らせている物だと思っていたので、こんな運用表があるなんて全く思いも寄らなかったのです。そして実際に鉄道雑誌の巻末の運用表を見てみました。すると違う機関車の物でしたが、確かにありました。確認の為、今まで買った情報誌を見てみると、結構運用表が巻末に付いてました。その中に私の好きな機関車の運用表があったのです。自分が気が付かなかっただけで、これこそ本当の宝の持ち腐れ状態でした。そしてこれを見ると、確かに最初に友人が言っていた、朝の上野行きの列車を牽引してくると、一旦、尾久の車両基地で休憩して、夕方の列車でまた上野駅を出発するのが分かりました。その上、この続きがある事にびっくり。一本の運用が分かると、芋づる式にその後どのようにその機関車が走って来るかが、全部記載されているのです。これには本当に驚きました。こんな情報を持っていて、なんて自分は勿体無い事をしていたのだろうと思いました。そして知らないという事は本当に情けない事だと思いました。

その後は、この運用表を活用。キーになる列車をいくつか抑え、その列車で大好きな機関車を確認したら、運用表の記載に合わせて列車を追いました。すると当たり前ですが、本当にその通りに私の好きな機関車がやって来ます。これには廃止が迫っているこの機関車を追う為に、かなり効率的に撮影が出来る力強い情報となってくれたのです。

この事は、私が社会人になってから、とても良い教訓となって役に立ちました。周りには情報がたくさん散りばめられているし、転がっています。しかしそれがあっても認識出来ないと意味がない。色々な情報は気がついて初めて情報となる事が、社会人となってさらに認識出来たのです。そして、周りにある情報が宝の持ち腐れにならないよう、絶えずアンテナを張るという事も実践出来たのです。先に情報を仕入れる大切さは社会人になってさらに痛感しました。闇雲に行動するのでは無く、情報を仕入れてそれを活用する事により効率的に仕事をする。まさに鉄チャンでの経験が役立っていたのです。本当に鉄道の趣味は私に色々な力を与えてくれたと思っています。

これは播但線の機関車の運用表です。友人が機関区に頼んで送って貰ったそうです。私はそこまで出来ませんでしたが、こんな風な丁寧な対応にも感動ものですよね😊

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これは横浜線の時刻表です。旧型電車の運用表から時刻表に書き写したものです。まだ駅が少ないですね〜😅、町田駅も昔は原町田と言ってたんです☝️f:id:x-japanese:20220402163023j:image