前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

205.鉄チャン旅行の思い出7 夜行列車編

昔は本当に沢山の夜行列車が走っていたものです。鉄チャン旅行でなくても、随分とお世話になったものでした。私は放浪癖があるのか学生の間は本当によくぶらっと何処かへ出掛けていました。そして本当によく夜行列車に乗って、「あの線に乗って来ようかな」とか「あそこに行ってみようかな」などとふらっと出掛けていました。また友人からの誘いも頻繁にあり、夜行列車は私の青春そのものと言った感じでした。

特にお世話になったのは、前にも書いてますが東海道線の大垣行きの347M夜行列車でした。これは主に西の方へ行く時には必ずと言っていい程お世話になっていました。その他には、東北方面で良く使ったのは急行「八甲田」、何故か帰りは急行「津軽」が多かったかな。上越線信越線では長岡行きの普通列車や急行「妙高」、時折スキーの臨時列車にもお世話になりました。中央線では長野行きの普通列車に乗っていました。私の家は当時結構便利な場所にあり、どこの始発駅にも大体30分程度あれば十分に行ける距離だったので、それもあって気軽に夜行列車に乗る事が出来ました。

これは上野駅の夜行急行妙高です。f:id:x-japanese:20220326154441j:image

私はSLの撮影が一段落した高一の秋辺りからは、京都でのSLの事故の一件もあり結構虚脱状態となり、その代わりと言っては何ですが東京近郊の電気機関車や旧型電車などを追いかけていました。暫くは遠くに行ってまで撮影する被写体が無く、特に長期休みや連休はバイト以外は割と暇していていました。するとだんだんと、高校で新しく出来た鉄チャンの友人から声を掛けられる事も多くなってきたのです。泊まりでの旅行に誘われ出したのは高2の夏位からでしょうか。大体がその日の家での夕飯の頃。親や兄弟から「電話だぞ」と言われて出ると(当時はケータイなど無く、家の電話だったんですね〜😅)、友人からの撮影のお誘いがあります。「〇〇に行くんだけど、一緒に行かない?」。それまでも自分で計画して、既に中2の夏にはSL撮影旅行で夜行列車には乗っていましたし、その後も北海道や東北の旅行の時などは度々使っていたので、夜行列車にはアレルギーはありませんでした。逆にあの寅さん映画のような旅情感がたまらなく、憧れに近い感情をいつも抱いていました。

最初は「泊まりで?、いきなりかよ」と驚いたものでしたが、指定された列車が347と聞くと、いてもたってもいられません。347とはご存じの通り東京駅から出る夜行列車です。夜行と聞くと急にウキウキして来るのはどうしてでしょうか(笑)。電話を切って夕ご飯を急いで食べて自分の部屋へ戻り準備を始めます。カメラよし、フィルムよし、着替えよし、軍資金よし(これも鉄道の指差し確認です。本当に鉄チャンだったんだな〜って思います😅)。カメラバックを担ぎナップザックのような物を背負い、始めの頃は、親には「〇〇君と△△線に行って来る。XX日戻らないよ〜。途中で電話入れるよ〜」と言って出掛けていました。それ以降、このブログでも書いたように、結構な回数の鉄チャン旅行に誘われ、都度ふら〜っと出掛けて行きました。そして段々と親への報告も適当になって行きました。

また鉄チャン以外でもこんなお誘いもありました。ある日、東海道本線富士川鉄橋が台風の増水で流されたというニュースが飛び込んで来ます。これは結構な大ニュースで、私の家族も日本の大動脈の路線の鉄橋が台風で壊された事に、とても驚いていたのを覚えています。すると数日後の夕方、友人から電話があります。「東海道線が仮復旧したようだから347で見に行ってみないか」。この不届者と思われるかもしれませんでしたが、死傷者が出た事故でも無かったので行ってみる事にしました。親からはそんな物を見に行くとバチが当たるような事を言われましたが、その晩、347に乗ってそれを確かめ目の当たりにした時は、自然災害の恐ろしさに絶句したのを覚えています。

これは帰りに乗った電車から撮った破壊された富士川鉄橋です。見事に真ん中の部分が流されています。f:id:x-japanese:20220312212945j:image

またある日は友人が故郷に里帰りする時に、数人で送って行く事になりお酒を持って上野駅まで見送りに行った事もありました。この時は大学生で、既に旧型客車は廃止となっており新しい快適な客車でしたがそれでも旅情感は変わらず、我々は暫くまだまだ空いている自由席のボックスを占領し飲んでいました。するとあっという間に発車時間。それ程列車も混んで無く迷惑を掛けそうでも無かったので、我々はそのまま乗って途中まで行く事にしました。まさに動く居酒屋状態です。しかし飲んでいると時間が過ぎるのはあっと言う間、気がつくと戻りの電車の時間が無い駅まで来てしまいました。我々はそのまま乗って行って、空が白々した明けてきた当たりの駅で友人と別れて下車。かなり遠くまで来てしまい、駅で呆然としていたのもいい思い出です。

またこんな感じで、いつも「行って来るね〜」と親に言って暫く帰って来なくなるものですから、親が心配する事もしばしば。私の実家は商売をやっていたため、祖父も父も母も忙しく中々家の事には目が行き届かなく、私の小さい頃は祖母が我々の面倒を見ていました。しかし我が家は子沢山でもあった為か、高校生や大学生ともなればそれも無くなって来て、かなり自由奔放な生活を送るようになっていました。すると母がある日、暫く私の姿が見えない事に気がつくのでしょう。友人やその時付き合っていた彼女の家まで電話された事もあり、旅行から帰って来ると、こっぴどく叱られる事もしばしばでした😅。

こんな雪まみれの列車を見ると本当にフラッと出掛けて行きたくなりますよね(笑)。f:id:x-japanese:20220315212812j:image

これは親になって初めて分かる事でした。自分の子がある日、「ちょっと行って来るね〜」と言って1週間位音信不通になったら、それはそれはびっくりするのは当たり前です。それも携帯電話も無い時代です。幸い私の子供は女の子でしたので、こういった目には合わずに済みました😅。初めの頃は結構母も気が動転して片っ端から私の友人に電話をしていたようですが、そのうちにキーマンの3〜4人に電話して、このうちの誰かが居ないと、私と一緒にまた鉄道旅行に行っているんだと思うようになっていました。しかし大学生にもなり彼女の家に電話された時は本当に恥ずかしかったものです。彼女からは呆れられ「またお母さんから電話があったよ、旅先からでも電話くらいしてあげなさいよ」などと、よく怒られた物でした😅。

こんな懐かしい夜行列車の思い出。私はサラリーマン人生を終えたら、まずはこの夜行列車三昧をするのが夢だったので、本当にそれが出来ない時代になったのが残念です。最近では地方の鉄道で夜行列車のイベントがあるので、それに行ってみようかなと思っています。しかし、夜行列車の醍醐味は、やはり気が向いた時にプラッと出掛けて、一杯やりながら動く居酒屋を味わう事が最高。こんな旅をまた一度でいいからしてみたいと思っています。

これは上野駅寝台特急あけぼのです。この頃はヘッドマークは無かったんです。

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