前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

220.鉄チャン旅行の思い出22 入場券編

今回は入場券の思い出です。入場券と言っても自動券売機で買うのでは無く、今も売ってるのでしょうか、窓口で買う硬い切符の入場券です。私は鉄チャン旅行に限らず、どこか旅行に行った場所では必ず記念に買うようにしていました。そのキッカケとなったのは、北海道のSL旅行の時の「愛国から幸福行き」の切符でした。この切符は当時大ブームになっていて、周りから北海道に行くなら是非買ってきてと頼まれたのです。この愛国駅は北海道の小さなローカル線の駅なので、当然、自動券売機はありません。その頃の東京近辺の駅は既に自動券売機がしっかり導入されており、切符もペラペラの紙が当たり前でした。愛国駅の切符は当然窓口で買うので硬券です。その久しぶりに見る硬券がとてもカッコいいと言うか存在感があり、それを契機に、旅行に行った時は窓口がある駅では、記念に入場券を買うようになったのでした。今では鉄印帳という物があるようですが、まさにそれを入場券で行っていたのです。

昔は東京近辺でも駅には窓口があり、切符を買う時はそこで駅員さんに行き先を告げていたものでした。そこで買う切符は当然に硬い切符でした。私が小学生位の時には既に自動券売機というものが出現していましたが、まだ一種類だけしか販売出来ない券売機が数台置かれていて、それ以外の区間は相変わらず駅の窓口で買っていたものでした。当時の自動券売機は鉄道博物館に展示してあるので是非探してみて下さい。私は久しぶりに見て本当に懐かしかったです。この下の写真の形以外にも、電話ボックスの小型版みたいな券売機もあった記憶があります。この券売機は薄い紙にインクで印刷されているような物で、私の記憶ではそのインクが滲んでいたり、薄れていた物があったと思います。この券売機の薄いペラペラな切符が、幼いながらも「昔の切符は貫禄があったな〜、なんか味気無くなったな〜」と思ったものでした。その後はどんどんと自動券売機も進化して行き、私が中学生になる頃には東京近郊の切符は全て自動券売機で買えるようになっていました。

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次の写真は秩父鉄道の切符で、入場券ではないのですが最近でも地方の鉄道では、切符もこんな具合に硬券で売っている所もあり、私は良く買ったりしています。券売機では無く窓口がある駅では是非この硬券を買ってみてはとお勧めします。この乗車券で乗って普通に降りてしまうと、改札口でこの切符は回収されてしまいますが、降りる駅の駅員さんに記念に欲しい旨の説明をすれば、この写真の切符のように「無効」という版を押してくれ、返してくれます。これも入場券と同じようにいい思い出となると思います。やはり自動券売機の切符より存在感がありますよね〜。

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それでは入場券の思い出を書きたいと思います。まずは私の入場券集めのキッカケとなった「愛国から幸福行き」の切符からです。お正月の日付となっていますが、その時は記念の切符なので日付をお願い出来たと記憶しています。この時は特に私には記念日などは無かったので、その年のお正月の日付にしてもらいました。f:id:x-japanese:20220502115546j:image

この硬券が懐かしく貫禄がありカッコいいなあと思い、その後集めるようになったのです。そしてその後、早速この北海道旅行で降りた駅で集める事にして、一番安く買える入場券を買う事にしたのです。この入場券は、199回目の鉄チャン旅行の時に三笠駅に向かった時の物です。まだ30円なのですね。入場券は初乗り運賃と同様なので、この頃の初乗りも30円だったのです。2022年4月現在で初乗りは140円ですから随分と高くなったものです。その三笠駅は既に廃止となってしまっているので、何か寂しい思いがします。

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その後は国鉄の経営が本当に大変になって来た関係で運賃の値上げが本格的に始まったのです。いきなり30円の初乗りが60円になった事は今でも覚えています。なんと倍、この衝撃は相当な物でした。その後もこの東京駅の入場券を見ると、わずか一年程度にさらに100円になっています。4年程度で3倍強の値上げは、その後の日本のデフレを考えると信じられない出来事ですよね。よく見るとこの東京駅だけ何故だか赤い文字ですね。確か新幹線用だったような記憶がありますが定かではありません。
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入場券はこのように自分の思い出の記念品になる反面、お土産としてとても便利なモノでもあったのです。次の入場券は、当時のアルバイト先に新井さんという社長がいたのですが、たまたま旅行した場所にこの駅があったのです。「にい」という駅なのですが漢字であれば関係ありません。私は何気なくこの入場券を社長にお土産で買っていったのです。すると想定外の社長の喜びように自分がビックリ。こんな物が喜ばれるんだと思い、それからは近しい人には同じ駅名の入場券があったら買って行ったものでした。
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次の変わり種のこの入場券は、初乗りと入場券のどちらでも使える切符です。おそらく需要の関係で効率的に双方使えるような切符なのだと思います。この国鉄線というのが歴史を物語っていると思いませんか。そして、この紅葉山という駅は現在は新夕張と駅名が変更になっています。紅葉山と聞くと本当に懐かしく、202回目の鉄チャン旅行の思い出に書いてありますが、この切符と共に命を終えていたかも知れないと未だに思い出すのです。ある意味この切符は私のお守りのような物です。また、旭川駅の切符を見ると、計画していたSL列車がディーゼル機関車に代わってしまい、絶望感に苛まれた記憶が生々しく残っています。こんな硬券から、本当に色んな事が思い出されます。

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次は私鉄の入場券です。私鉄にも当然ですが窓口があり、このような硬券を売っていました。柴又の入場券なんて、寅さんの雰囲気そのままですよね。また、葛生駅は、日鉄羽鶴鉱業のSLを撮りに行った時に買った物で、SLを撮影した後にこんな硬券の切符を買えた時には、北海道位に遠くの駅にやって来たような錯覚に陥ったものでした。

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最後は入場券では無いですが、小田急特急券です。この硬券も重厚感のある切符ですよね。今では「はこね28号」と表記される物が、「第28はこね」と表記されています。また敢えて特別急行券と記載されています。何か貫禄あるなあと思いますし、よく見ると時間まで印刷されており、この特急の為だけに作られた特急券なのです。昔の特急は本当に特別な急行だったんだと実感する切符です。
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このように現在の薄いペーパーでは無く、重厚な硬券の魅力を分かって貰えたでしょうか。今では更に、SuicaPASMO、ケータイ等で、ペーパーレスになって来て、さらに味気ないモノになってしまっています。これも時代の流れなのか、ちょっと寂しく感じてしまいます。