前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

194.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.17

大学生にもなると多少色気付いて来て、私にも春がやって来るようになりました😅。するとなんとなく興味は鉄道から離れて行きました。SLも復活しているといえ観光目当てであり、やはり本物を見ている私にはもの足りません。また好きな旧型の機関車や電車も次々と廃止されて行っており、中々興味をひく被写体も無くなって行きました。同時にノスタルジーにばかり浸っていないで、自分の将来もそろそろ真剣に考えなきゃと思ったのもこの頃です。次第に興味は車とかお洒落とか、そちらの方に行っていました。そんな中、GWに入る直前、鉄チャンの友人から誘いがありました。碓氷峠の機関車を、それも夜行を撮りに行かないかとの話しでした。

この碓氷峠峠の釜飯でも有名です。麓にあたる横川駅ではどの列車もこの急な坂を登る為に、頂上に当たる軽井沢駅では急な坂のブレーキ役として補助の機関車を連結します。鉄チャンじゃなくても横川駅や軽井沢駅で行われるこの連結作業は何かのイベントみたいに人だかりとなります。私は幼い頃から父の田舎に行く時にこの路線に乗ってこの機関車を見ていましたで、ここは大好きな場所でした。既に数回、日帰りで撮影には来ていたので少し躊躇しましたが、夜行と聞くと何故だかウキウキして来て、行く事にしました。この頃は客車列車も随分と少なくなっていましたが、まだ上野から高崎線信越線経由で遥か遠くまで行く、隠れ長距離列車が残っており、碓氷峠に行く時はいつもこの列車を利用してました。

横川に着くと、早速駅で連結風景を撮影。そして、まずは丸山変電所の所で準備運動がてら撮影、その後碓氷峠のハイライトを撮る為に、煉瓦作りの通称めがね橋の所まで、約5㎞程を歩きます。私はこの途中にある旧街道の坂本宿という宿場町の雰囲気がとても好きで、この時も横川駅からこの通りを歩き、撮影地を目指しました。今ではシェルパ君というトロッコ列車で途中の丸山変電所近くの峠の湯という温泉まで行けますが、そこから近いのでこの宿場町にもぜひ行って欲しいと思います。

この宿場町からめがね橋の道は旧国道18号で、その時は既に碓氷バイパスが出来ていて随分と寂れた道になっていました。なのであまり車も通らずウォーキングするにはいい道でした。途中、野生の猿も見る事も出来、初めて見た時は動物園以外でも生きている事に本当にびっくりしたものでした。そして目的地に到着。めがね橋は昔の路線の遺構でありそのまま残されている煉瓦作りの橋です。それをくぐり、トンネルの間に挟まれた新線の橋梁へ向かいます。

このめがね橋は、今ではウォーキングコースのアプトの道となり観光客で賑わっていますが、当時はそんな物はまだ出来て無くて、鉄チャン以外は誰も来ない静かな山奥にありました。道を歩いていると突然現れる巨大な煉瓦作りの遺構が、その頃はちょっと不気味で少し怖い位だったのを覚えています。そんな中にトンネルから出て来る機関車の轟音が山中に響き渡って来ます。この迫力はここしか味わえない、轟音と共に橋梁をゆっくり上がってくる列車や、さらにゆっくりと降りてくる列車を見ていると、何度来ても興奮してしまいます。

そしてひとしきり撮影を終えて、一旦横川へ戻り、夜に備えて小休憩。友人とタラタラ国道を下っていると、突然トラックが止まりました。すると駅まで戻るなら乗せてくれるとの事。我々は大感激。道すがらそのお爺さんの話では、よく我々のような鉄チャンを乗せてあげるのと事。このお爺さんも鉄道は大好きで、横川の街に当たり前のように響き渡る機関車の汽笛がいつまでも聞けるように、走り続けて欲しいと言ってました。

ここでは機関車の汽笛が生活の一部になっている事を私は初めて知りました。こういった目に見える物では無く、音という物も無くなって行くものなんだと思うと、何か凄く勿体無いと思いました。先程聞いたあの山の中の轟音もこの駅の汽笛もそう、確かに廃止になれば二度と聞く事は出来ません。SLもそう言った意味では同様で、よく保存されている物もあり見てホッとする部分もありますが、音とか熱はありません。改めて鉄道は生活に密着しているんだなと再発見したのを覚えています。この後の夜行列車の撮影では、写真だけでは無く、汽笛、連結音、排気音など、改めて意識しながら撮影をしたのを覚えています。そして軽井沢駅では恒例となった野宿、こんなお洒落な町で野宿するのは、今考えると相変わらず勿体無い行動をしてたと思います。そして夜行列車を撮影、翌日は朝の列車で帰りました。今ではビデオが簡単に撮れる時代になっています。特に写真もビデオも撮れる携帯電話は本当に素晴らしいと思います。私の中学生の旅行の時にもこのビデオがあったらと思うと、本当に勿体無いと思いました。

その後随分経ちましたが、新幹線の開業と共にこの機関車も廃止となりました。それどころかこの区間の路線まで廃止となってしまい、それにはかなりのショックを受けました。そして廃止となる前に一度撮影しに訪れましたが、その時にあのお爺さんの話を思い出しました。この情景と共にこの汽笛や排気音も無くなってしまうんだと思うと、とても切なくなって来たのを覚えています。しかしこの時は既にホームビデオがあったので、しっかりと音も残っているので、今でもあの場所あの頃に戻れる事が出来ます。その後、同じような事を感じる人がいたのでしょう。この機関車は保存され、さらに運転ができる動態保存という形態を取る事により、この街では今でも汽笛や排気音が聞けるのです。先日も私のお孫ちゃんと一緒に横川にある鉄道公園に遊びに行って来ました。街には時折、保存されている電気機関車の汽笛や排気音が響き渡っていました。あのお爺さんはどうしているのかと思い出し、元気ならさぞ喜んでいるだろうと思いました。

碓氷峠のハイライト、新碓氷川橋梁にて。f:id:x-japanese:20211023180916p:imagef:id:x-japanese:20220328085046j:image