前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

195.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.18

その翌年の春、1980年3月、久しぶりに友人から誘われて二度目の身延線に行く事になりました。この頃になると鉄道より楽しい事が多くなっていて、鉄チャン活動も殆どしなくなっていました。この時は、前年の冬に運転免許を取ったばかりの私が運転したくてたまらなかった事もあり、家の車を借りちょっと行ってみるかと、友人4人と出発する事になりました。静岡まで行くと言うと親はかなり心配そうでしたが、そんな事も気にせず出掛けて行きました。この旅行も貧乏旅行で、夜に出発して延々と一般道を走り、静岡の富士の町まで辿り着きました。途中、暴走族と出会ったり眠気でたまらなくなったりと、運転している私だけが苦労するという往路となりました。

到着して、まずは富士山がよく見える場所で撮影。しかし自分は寝不足と運転の疲れで車で寝ていました。その後は駅間が長く歩くと大変な山間部へ移動、適当な空き地に車を止めては撮影するという事をしていました。初めての車での撮影は、行動範囲が格段と広がりました。今までは比較的駅近くや徒歩圏内での撮影でしたから、例えば山の上の道路からの俯瞰撮影とか、川の対岸からの撮影とかが可能となります。また電車の時刻を気にしなくて済みますし、長時間停車している貨物列車などは追い抜き撮影も可能で、撮影効率も格段に上がります。この事は、これからまた鉄チャン活動を、車を使う事で復活させようかという気持ちになりました。交通費も4人で割ればかなりの節約になりました。しかし、車の関係で運転は全て自分がする事になっていたので、まだ慣れない私は結構疲れてしまい、車で横になって待っている事も多かったのです。また帰りの事を考え始めるととても気分が重くなりました。他の友人達はただ寝てればいいけど、私はまた東京まで運転していかなければならないのです。

そんな事を考えて車の中で休憩していると、昨年、友人と日鉄羽鶴鉱業という所へSLを撮影に行った事を思い出しました。この時はこのSLが久しぶりに動き、おそらくこれが最終運転となるだろうと、かなりのファンが駆けつけていました。我々は東武電車で葛生という駅まで行き、そこで友人と、そのまた友人が車で待っていてくれて、初めて車を使った撮影をする事になりました。駅から撮影地まで車で一っ飛び。これは楽ちんです。その時は車って便利だよなーと思いました。

しかしその後が恐ろしかった。この友人の友人は我々より少し年上で、車の運転も慣れていました。この友人の友人はやって来たSLを撮影すると、我々にすぐに車に乗れとの指示。暫く走り去ったSLを見ていようと思っていた私は驚いてすぐにカメラを片付け車に乗りました。すると車を爆進させました。どうもSLを追いかけて抜かし、更に撮影しようという目的があるようでした。そのスピードたるや、今思い返しても恐ろしい程でした。辺りは町中ではないので道には人影が少ないにしろ大きい車も通り、見通しも悪い所もありました。それをかっ飛ばしていく物ですから、我々は生きた心地がしなかったのを覚えています。前や後ろには、似たような車が数台、やはり同じ道をかっ飛ばしてました。その結果ワンカット余計に撮影が出来、良かったと言えば良かったのですが、これでは事故のリスクが格段に上がってしまいます。私はこの時には車での撮影は危ないと思ったのです。

日鉄羽鶴鉱業のSLです。後ろにファンがたくさん見えます。f:id:x-japanese:20220317205428j:image

ふと現実に戻り、今回の旅行といいその時のSLの撮影といい、あれやこれやと考えると車での鉄チャン旅行は、自分が運転する時は労力が自分に集中し、それに対する撮影などの結果が伴わず、何か勿体無い気分になってしまいました。また他人の運転だと相手に同じ思いをさせてしまうし、またあのSLの時のように事故のリスクを考えると危ないとも思いました。この時もあのSLの時とまでとは言わないですが、お目当ての旧型電車の追っかけをしたい気分になり、実際してしまいました。また時間に縛られない事が返って帰る時間を遅らせたりして、この旅行も結局帰りは真夜中に帰って来る事になってしまい実際、連続の徹夜運転のようなものでした。鉄道なら寝て帰って来れますが、私はクタクタ、暫く運転はたくさんという心境になってしまいました。

そんなこんなで、車という物の便利さと怖さの両面を経験する事が出来たこの旅行。その後の車の運転や家族の旅行でもこの経験は十分活かされて、無理な計画をしないようになっていました。その結果、未だに旅行先での事故は無く、安全運転を続けられています。車に乗ると性格が変わる人も多いですが、やはり運転は余裕のある計画と冷静沈着が基本。これも鉄チャン旅行が教えてくれた物でした。

身延線の旧型電車と富士川です。こんな所でも車だと楽ちんでしたf:id:x-japanese:20211023164007p:image