前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

193.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.16

撮影をもう一日延長する事を決めて名古屋に着き、本来乗るべきだった上りの大垣夜行の時間をやり過ごし、暫く名古屋駅にいて、中央線の旧型電車などを撮影していました。しかしこの後どうするか中々決まりません。いっそ違う線区に移動しようかと考えましたが、既にそんな電車が無い時間です。仕方無しに改札を出て町へ出ました。しかし駅前はビル街で、繁華街らしき物が見当たりません。既に深夜に近く、カメラバックなどを抱えウロウロして変な連中に絡まれたりすると厄介です。すると深夜営業のゲームセンターが目につき、とりあえずそこに入ってみる事にしました。当時はインベーダーゲーム絶頂期、私も受験生でありながら多少ハマっていた部類であり、そこから解放された今、早速インベーダーゲームの機械を探すと、ありました。

既に深夜、東京ではいつも混んでて中々出来ないのですが、ゲームセンターの中には人影もまばら、お目当ての機械は数台空いており、私はそこに座りました。時間はたっぷり、ゆったりとゲームを楽しむ事にしました。本当に当時のゲームセンターはインベーダーゲーム一色。待ってても中々開かないし、仕込んだノウハウを試したくても試せないという事が多く、フラストレーションが溜まっていました。ここでしっかりと溜め込んだノウハウを試してみてマスターすれば、帰ったら英雄になれるなどと考え(😵)、早速始めました。そしてそれからはあっという間。まさに竜宮城の世界。一体いくらつぎ込んだのでしょう。気がつくと財布の中はほぼカラで小銭だけの状態。カメラバックの中に予備のお金があるとは言え、雀の涙程度。当時はクレジットカードを持ってる身分でも無く、またキャッシュカードも持っておらず、貯金は多少あったものの地方では下ろす事も不可能でした。本当にこれではどこか駅前のビジネスホテルに泊まった方が良かったという位、使ってしまいました。これは勿体無い事をしました。確かに色々試して色々な技をマスターしました。それと引き換えに使ったお金と時間を考えると、ゲームセンターを出てみてから痛切に勿体無さを感じました。こういった情熱を勉強に向けていたらもっと違う世界が開けていただろうにと、何か無力感に苛まれ白々と開けた空を見ながら途方に暮れ、名古屋駅に向かいました。

交通費は周遊券があったので心配無かったので、とりあえずまた亀山へ向かいました。暫くその辺りで撮影していましたが、急に、もうすぐ無くなる近鉄の二階建て電車とのツーショットを撮れればと思い、松坂に向かい撮影をする事にしました。まあまあな写真が撮れ、その後松坂駅に戻るのですが、その道すがら美味しそうなお店がたくさんあり食指が動きます。初日に見た松坂牛のお店も、あのゲームに使ったお金で十分食べる事が出来ました。なんて勿体無い事をしたのだろうと、本当に後悔しました。会津旅行の時に心に決めた「後悔先に立たず」は大学受験でもこの旅行の松坂牛でも全く活かされておらず、こんな事だから受験も上手く行かなかったんだと自己嫌悪に陥ってしまいました。せめてお松坂牛弁当でもと思ったのですが、そんなお金も無く、そんな心理状態では食欲も無くなり、またパンと牛乳を買って、今度こそ帰る事とし客車に乗り名古屋へ向かいました。

名古屋に着くと、あのゲームセンターが思い出されました。この旅行では、元気付けられたり自己嫌悪に陥ったり、水平線に登る朝日を見て自然の雄大さとちっぽけな自分に気づいたり、新宮の朝市では働くという事を実感したり、YHでは人同士の交流に暖かさを再発見したり、またお金をケチるとろくな事にならないという事を学び、そしてさらなる後悔先に立たずという事を心に刻む事が出来ました。ある意味、今のこの自分の人生を受け入れ、改めて頑張って行こうという覚悟が出来た旅行でした。少し気づくのが遅かったですが「始めるには遅すぎる事は無い」という新たな座右の銘を持つ事ができ、少し大人になれた旅行になったのでした。

近鉄特急とディーゼル機関車、二階建てとのツーショットは叶いませんでしたが、運良く並びが撮れましたf:id:x-japanese:20211023161737p:image