前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

216.鉄チャン旅行の思い出18 設備編PART 1

写真を整理していると、色々と興味を持った設備や昔はこうだったなーという設備の写真が多々出て来ます。今回はこの写真を思い出と共に書きたいと思います。

まずはこの写真。八高線の貨物列車です。f:id:x-japanese:20220318100520j:image

ワッカのような物を運転士さんが投げています。最初はその意味が分からず、何を投げてるんだろうと写真を撮った時の物です。これはタブレットと呼ばれる通行手形のような物で、簡単に言うと単線区間の路線ではこのタブレットを持ってないと走れないといった物なのです。これが分かった時は本当にびっくりしました。何て原始的な方法で近代的な列車を動かしているんだと驚いたのを覚えています。その後は信号などの機械化や、そもそも単線を複線化する事が進み、これは殆ど見なくなりました。風情がある昔の光景ですし、これがなければ走れないというこのタブレットは確かに単純だけど安全確実。これでずーっと安全を確保していたんだと思うと、こんなワッカにも愛着を感じてくるから不思議です。それにしてもいちいちこれを受け渡していた訳ですから、中々スピードアップも難しかったのでしょうね。また、この機関車の運転士はこの後は次の区間タブレットを受け取る訳ですが、これを受け取るのが結構大変だったようです。時には落とす事もあったようで、その時は列車を停止させ取ってから出発していたそうです。何とものどかな時代だったんですね。因みにこの写真、まだ顔を隠す方法を知らなかった為、目の部分を何かで隠しているのが分かります。本当に最近まで全くのネット系難民だったのが分かります😅。

次はこの写真。紀勢本線の新鹿駅を出発する貨物列車です。f:id:x-japanese:20220318110914j:image

これに写っている柱のような物は、昔は駅の近辺には必ずあった物です。これも初めて見た時は、と言うかこれが鉄道の設備だなんて知りませんでした。これは昔の信号です。正式な名称は腕木式信号機と呼ばれていました。これも駅員さんが手動で動かしていた信号で、腕のような横棒が横になっていると赤信号が示され、斜めに下になっていると青信号が示されます。よってこの写真のように駅を出発して来る列車がいる場合は、対抗列車の信号となるこの信号は、当然に横になって赤信号となっています。これは当時は鉄道風景には欠かせない設備であり、これが信号機なんだと分かってからは随分と意識して撮影するようになりました。それにしても未だにびっくりなのは、これを手動で行っていたと言う事。先程のタブレットといい、鉄道の安全はかなりの部分、人間のアナログ的な作業によって成り立っていたと思うと、昔は非効率的だったんだと思います。今は当然自動化されて、見ることは無くなってしまいました。

次の写真は、これは最近撮った物ですが昔の駅の改札です。これは東武鉄道大師線の終点に未だに残っている改札です。f:id:x-japanese:20220316112156j:image

もちろん今は使われていませんが、昔はどんな大きな駅でも小さな駅でも、駅の出入口に形状こそ違いましたがこれが存在していました。中に人が入るスペースがあるのが見えると思いますが、この中に駅員さんが入り切符を切ったり、定期券を確認していたのです。それも両サイドに通路があるので、大きな駅では両方の通路にやって来る乗客を捌いていたのです。当然朝晩のラッシュ時にはこの辺りに人が溢れ、この部分が車と同じように車線が減るようなイメージとなり渋滞が発生します。昔は改札を抜けるのも押し合いへし合いして一苦労だった為、通勤が結構なストレスだったのです。今は自動改札となり切符を切る手間が減った事と、駅員さんのスペースが必要無くなった結果、通路が増えた事により捌ける量が増えて、改札で押し合いへし合いする事は無くなって来ています。これが無くなってからは随分と通勤が楽になったのは鮮明に覚えています。自分の人生の中でもこれはかなり画期的な出来事だったと思います。

次の写真は姥捨駅です。これも最近の写真ですが、ここはスイッチバックの駅で、全国でもかなり珍しくなって来た駅です。f:id:x-japanese:20220318112752j:image

これは勾配が続く山間部での駅に多く見られた設備で、信越本線奥羽本線磐越西線等で見た記憶があります(信越本線二本木駅にまだ残っています。また、中央線の勝沼ぶどう郷駅では昔のスイッチバックの駅の遺構が見物出来ます)。この写真は駅近くの踏切から本線の方に向けて撮った写真です。左下の方に下って行くように見えるのが長野方面に行く本線です。また、本線は右上に松本方面に向かって勾配を登って行くのが分かります。左に分岐している線路は待避線です。写真の後ろ側に駅がある感じです。昔の列車は、このような勾配では一旦止まると出発出来なかったり、止まっているうちに滑っていく事故を無くす為、待避線を作りそこを平坦にして駅を作っていました。関東近辺でも箱根登山鉄道スイッチバックがありますが、こことはちょっと違うシステムです。ここは上って来る列車は駅に入る為一旦待避線に入り方向転換して駅に入り、出発する時はそのまま登って行きます。また下って行く列車はそのまま駅に入り、出発する時は一旦待避線に入ってから方向転換して下って行くという、何とも旅情感たっぷりの動きをしてくれます。もちろん特急列車はすんなりと通過して行きます。この設備も、電車の高性能化が進み、坂道発進の技術や停車中のブレーキ性能が良くなった関係で、どんどん廃止になっています。確かに一旦待避線に入って止まって方向転換して駅に到着なんて、とても非効率で現代のスピーディーな社会では付いて行けない感じです。しかし何かそう言い切れないのはどうした物でしょうか。

これらの設備は本当に今となっては昔の産物、非効率極まりないです。しかし心のどこかに懐かしさや心がホンワカするような感覚になるのは、単なるノスタルジーなんでしょうか。写真を見ながら懐かしさと共に複雑な思いを感じてしまいます。