小さい頃から鉄チャンをやっていて、写真をたくさん撮って来ました。定年退職後にこの写真を整理する事が一つの目標だったのですが、何だかんだ言い訳をして中々進んでいないのが現状てす。しかしここに来てやっと時間を見つけては少しずつ整理をし出して昔を思い出したりしており、この時間は本当に楽しいひと時となっています。今はまずプリントされていた写真の整理をしている所です。整理していると、写真が割とボヤ〜ッと見えるのは気のせいか、それとも経年劣化なのか、もっとしっかり写っていたと思うのですが、まあ仕方が無い😵。それはネガプリントを整理する時に考えるとして、色々見て行くと何気ない写真が結構貴重と言うか今は見れないと言うか、凄い写真という事が多々あります。その写真を少し紹介しようと思います。
まずは1975年頃の赤羽駅、まだ高架になる前です。上野方面を写しています。新幹線の高架線も無く、機関車の右には、今では湘南新宿ラインとなっている貨物の専用線、その右の線は埼京線の前身の赤羽線です。踏切も見えます。それ以上にこの列車、何と各駅停車で福島まで行くのです。この時代、こんな列車があったのです。これは貴重な写真ですよね。鉄チャンじゃなくても誰もが興味深い写真と思います。
そして次は横須賀線です。昔の電車というだけで何気ない写真に見えますが、見えにくいですが駅名を確認すると「かわさき」と書いてあります。そう言えば昔は、横須賀線は東京駅を起点に発着しており東海道線と同じ線路を走っていました。これはその時の写真です。今は分離されて複々線となり、また横須賀線は総武線とドッキングして、武蔵小杉の方を遠回りする形で走っているので、川崎駅は通っていないのです。なのでこのような写真は二度とお目に掛かれないのです。また跨線橋が見えますが、川崎駅は今は立派な駅ビルになっているので、こんな橋の通路はありません。これらの写真は一般の人に話した所で、うちの妻や子供のように「それで?」で終わってしまうのですが、こと鉄チャンの間では、もう撮影する事は不可能という凄い記録写真になる物なのです。
鉄チャン向けはあまり受けない感じなので、次は一般的に受けそうな写真を紹介します。この写真は西武池袋線の旧型電車を撮影した写真ですが、もうお分かりの通り背景には建設中のサンシャイン60が映っています。この建物は1978年に完成となっているので、その前年頃の写真と思われます。なかなかこのような建設中の写真というのは珍しいと思います。
ここは以前は巣鴨プリズンと呼ばれる拘置所があり、戦争関連の犯罪者が多数留置、または処刑された場所です。池袋はまさにこの為に、何となく暗いと言うか怖いというかそんなイメージだったのですが、その跡地にこのサンシャイン60が建てられた訳です。完成当時は東洋1の高さと謳われ、特にエレベーターは世界1の速さを誇りました。池袋の町を再生した建物と呼ぶに相応しいこのサンシャイン60。今では周りにも随分と高い建物が建って、また海外や横浜などに更に高い建物が建ち、話題的にもそれ程目立たなくなっていますが、まだまだ健在する建物はまさに池袋のランドマークと言った感じです。西武線も昔はこんな色だったんですね😊。因みにこの看板の銀行は今は合併して行名が変わっています。黄桜酒造は現在も立派に経営されています。
次の写真は王子駅をバックに上野駅に向かう旧型客車の写真ですが、後ろに映る京浜東北線がまだ真っ青の塗装の電車が懐かしいです。そして、ここにも面白い画像が写り込んでいます。昔の三菱銀行の大きな看板が写っています。これは1976年頃の写真と思われますが、この頃の銀行はそれはそれは力があったと言うか、まさに「床の間を背にして座る」と言われていた時代。銀行に就職すれば一生安泰、地域の英雄扱いされる程の抜群の安定感と知名度を誇っていたのです。この頃はこの三菱銀行のような所謂都市銀行と言った物が13行もあり、それぞれが順調な経営をしていました。それがバブル期を境に変化して行きます。株式の下落、土地の下落により景気が悪化し、業況が悪化する企業が増えて行きます。それに追随するように経営が悪化する銀行も増え、金融自由化も相まって倒産する銀行が出始めます。そしてその後はご存知の通りこの荒波を乗り越える為に、金融機関は大合併時代を迎えます。
今は昔の都市銀行はわずが3つのメガバンクに統合され(4つという説もあります)、三菱銀行はまだ冠の名前が残っているから分かるものの、他はどうなったのかさっぱりわからなくなった銀行もあります。昔を知る私なんかは、この金融機関の変貌の仕方が一番ビックリしている事の一つです。まさかあれ程、隆盛を極めていた銀行がこんな荒波の中に投げ込まれるなんて思いもしませんでした。
今、同じ場所に行くと、鉄チャン的にはもう一つあって、それは後ろに新幹線の高架線が完成しており、このような景色では既に無くなっているのです。また後ろには北区のほくとピアという大きな建物が出来ています。本当に時代の流れを感じる物が凝縮している一枚です。それにしても昔の銀行の看板はゴツい文字ですよね😅。
最後は、これは妻と箱根に温泉旅行に行った時の小田急のロマンスカー写真です。この写真は5年位前の写真なのですが、ケータイで気軽に撮った写真です。この電車は当時はまだデビューして10年位だったんじゃないかと思います。この位では車体も内装もまだまだピカピカで、人間で言えば脂が乗って来る時期と思います。この時はこの電車はまだまだ走るのだろうと思っていたのに、今年2022年3月に定期運用から引退をしてしまいました。普通鉄道車両は30年以上は使う物なので、これには本当にびっくりしました。そんな訳でこの時は特に気にして撮影した訳では無く、何気無く撮影した物でした。
しかしその後コロナ禍が影響し、ロマンスカーの観光需要に大打撃となってしまいます。ロマンスカー需要は通勤へと移ってきて、また鉄道全体の利用客もその後も減少の一途となります。今年の各鉄道会社のダイヤ改正を見てみると、コロナ禍の影響で乗客数が減り、減便の方向で改正されています。小田急も観光需要から通勤需要にロマンスカーの運用を変える事により、余剰となる電車が出できます。するとこの電車の最大の特徴である「連接車体」という特殊さがクローズアップされるようになります。構造については詳しくはお調べいただければと思いますが、この電車はその通勤需要に対応出来るような構造では無かったと言えます。この電車の引退理由は色々な憶測があって、ハッキリした引退理由は分かりませんが、私はコロナ禍の一つの犠牲者な気がしてなりません。こんな写真1枚でもその時の世情が分かるのも、鉄道写真の記録の特徴でもあると思います。
今はこのロマンスカーの写真のように、ケータイで気軽に写真が撮れるので、いつでもどこでも記録写真が撮れる時代になりました。そしてデジタルなので好きなだけ撮って、後で気に入った物だけ残しあとは消す事も可能です。写真というのは思い出という反面、このように記録という側面もあります。皆さんもケータイで気軽に写真を撮り、数十年後、とても貴重な写真と思えるように、どんどん撮影する事をお勧めします。