前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

214.鉄チャン旅行の思い出16 行先板編

私は夜行列車や客車列車が大好きですが、その要因の一つにあの行先や種別の表示版があります。これは鉄道用語で「サボ」と呼ばれ、「サイドボード」または「サインボード」の略と言われています。昔は特急電車や普通の電車にも車両の上にサボが入れられる枠があって、上野駅なんかでは駅員さんが素早い手捌きでサボを交換している作業が見れました。私が好きだった客車にも、真ん中辺りには行き先を、端の方には列車の種別と愛称を現す小さなサボがありました。白地に黒や赤で記載されている形が多く、ローマ字でも書かれてあり、今でも博物館で飾られていたり、イベント等で即売会をしてたりしますし、ヤフオクやフリマでも時折見られたりしています。何かこれを見ると旅情を感じて、ついつい乗ってどこかへ行ってみたくなる衝動に駆られてしまうのです😅。

これは上野駅での常磐線の各駅停車のサボです。客車の真ん中に引っ掛けられるタイプでした。下半分は薄い青色で白抜き文字でした。

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こちらも上野駅にて。東北本線の各駅停車のサボです。本当にここまで行くのかとよく思ってました。

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これは寝台急行のサボです。号車のサボも見えます。枠に落とし込むタイプでした。f:id:x-japanese:20220326160458j:image

こちらは急行八甲田の愛称のサボです。
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これは両毛線の旧型電車のサボです。f:id:x-japanese:20220326221155j:image

この「サボ」も効率化省力化の一環で、方向幕と言った物に変わって行き、その後はそれが電動に変わり、今では電光掲示板が主流となっています。そして、私はこの「サボ」から労働争議という物に興味を持ったのです。私が鉄チャンの頃はJRはまだ国鉄と言われ、国が経営している公務員みたいな組織で、所謂「親方日の丸」。その頃から大赤字を抱えていたにも拘らず、会社は潰れないというダラダラに緩んでいた組織だと言われていました。その意味から民営化が考えれたのでしょう。確かに当時の駅員や運転士、車掌の態度は、もちろん良い人もいましたが、お世辞にも良いとは言えませんでした。

ある日駅で写真を撮っていた時、真新しい電車が到着しました。車両の端の上にはサボの代わりの、電動の方向幕が付いています。しかし使われている形跡がありません。そのうちに懐かしいサボを変える金属音が聞こえて来ます。見ると今までと同じようにサボを交換している駅員さんがいました。この時はまだ、電動方向幕は調整中か何かでまだ使えないのだと思っていました。しかし結構長い間そんな感じでした。また他の私鉄でも、このような光景が見られました。何でだろうと思っていましたが、それ以上は特に思いませんでした。

しかしある日、小学校の社会の勉強だったか、ストライキ、所謂、労働争議という物を初めて聞きます。当時は鉄道がこの影響で運行が止まるという事が良くあったのです。これはどういった物なのかを初めて勉強し、とても驚いたのを覚えています。経営陣と労働者側の代表の労働組合が、色々な労働条件について話し合うのが毎年のように行われているとの事で、この条件が折り合わないと労働組合ストライキを指示するとの事。なるほどと思いましたが、何か解せない感情を抱いたのを覚えています。ストライキで電車が動かなくなり苦労するのは利用している乗客です。鉄道が好きだったこの頃には、結構ショックな内容の勉強でした。その後も結構、このストライキはありました。その都度、学校から帰ると友人と集まり近くの線路まで見に行って見ますが、本当に電車が走っていない事にビックリした物でした。

そんなある日、家族と上野駅で列車を待っていた時の事、以前自分が経験した状況が起こります。新しい電車が相変わらずサボを交換しているのです。あの時と同様に相変わらず電動方向幕は使われていません。これに父が、「こんな非効率な事をやってるから国鉄はダメになるんだ」と怒っていたのを覚えています。要するに父は、労働組合は効率化反対と称して、新しい技術やシステムを受け入れない交渉をしていると言うのです。会社を経営していた父からすると、そんな労働組合の言い分は受け入れられなかったんだと思います。新しい技術で効率化や省力化が図られば本当には楽になるのに、労働組合はその分人が減らされる=首を切られる人が出る、仕事が忙しくなる、という図式なのでしょう。

この時に私はピンと来ました。「だから電車の方向幕を使えずに、未だにサボを使っているのか」。これが本当だったのかどうかは定かではありませんが、この時に私は初めて「効率化」と言う言葉を認識しました。単純な作業はどんどん機械化され、人はその分余って違う仕事をしなければならない事を学びました。経営が厳しくなれば、色々な所を節約する、効率化するのは当たり前な事です。増して大赤字、そんな余計な人件費まで負担は出来ません。それを拒むなどという事は、まだ小さかった私としては考えられませんでした。これには社会とは、働くという事は厳しいんだと実感したのを覚えています。自分も世の中や会社に必要な人間にならなければ、いつか切られてしまうと思ったものでした。

最初は単に大好きで、よく写真を撮ったりしていた「サボ」。その後、私に労働という物を考えるキッカケを教えてくれた「サボ」。本当に鉄道からは色々な事を勉強させて貰ったと思っています。日本は失われた30年と言われ続け、その時よりも増して、ひたすら効率化や省力化をして人を削る事に力を注いでいます。私が何とか会社を定年まで勤め上げられたのは、まさにこの「サボ」のお陰だと思っています。少しオーバーかな😅。