前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

213.鉄チャン旅行の思い出15 デート編

鉄チャンは昔から女性にモテないと言われていました。さらに私は高校生までは部活は卓球をやっていたので、こちらも当時はどちらかと言うと「暗い」と言われていたスポーツでしたので(失礼)、中学生時代はもちろん、高校生になっても中々恋愛には恵まれずにいました。しかし私の高校は男子から見ると恵まれていて、男子より女子の人数が多い学校だったのです。なので、彼女とまでは行かないまでも結構男女混合グループが出来て、高1の秋辺りから少しずつ一緒に遊びに行ったりしていました。そのお陰でその時に少しお付き合いが出来た女性がいました。実はこの女性は後に私の妻になる女性なのですが、あまりにも2人のデートと言うか遊びに行く所が鉄チャンの場所だったので、一度愛想を尽かされているのです(笑)。恥ずかしながら、その愛想を尽かされたデートの内容を書いてみたいと思います。

まずは最初のデート。グループの中に気に入った子がいて、高校2年になる前の春休み、私は大胆にもその子に、今度は2人で遊びに行かないかと誘ったのです。すると思いがけないOKの返事。と言うか、妻にその時の事を聞くとOKした覚えは無いそうなのですが(😳)、ある日の日曜日に駅で待ち合わせする事になったのです。私はこの日の計画を立てました。もちろん天気は晴れる事しか考えていません。しかし当日は寒々としたシトシト雨。私は絶望的な気持ちになりながらも、待ち合わせ場所の駅へ行きました。そして合うなり「何処行こうか?」と聞くと、当たり前ですが「何処でもいい」と言う返事。慣れてる男子なら映画とか美術館とか考えるのでしょうが、私は何を考えたのか「この寒さと雨を凌げて楽しめるのは客車しかない」と思い、2人で上野駅へ向かったのでした😱。そして、宇都宮までの切符を2枚買い、11時19分発の一ノ関行きの客車列車に乗り込みました。今で言う「乗り鉄」に連れて行ったのです。確かに車内は暖かく、飲み物や食べ物もいつでも買えます。車窓は天気が悪いながらも流れる景色が見えます。しかし最初は彼女も珍しがりまあまあ会話も盛り上がっていたのですが、その後は少しずつ減って行き、帰りの列車は会話が弾まず針の筵状態。上野駅でお別れして、最後に何て言っていいか分からず「今日はごめんね」と言ってお別れしました。

そして名誉挽回にその一ヶ月後位に、今度は遊園地にデートに誘いました。すると渋々の様でしたがOKの返事。この時は西武園遊園地に遊びに行ったのです。そして事前情報を調べている時、初めて知った事がありました。何と、おとぎの列車という物が走っており、そこに実物のSLが走っているではありませんか。SLファンの私が今まで知らなかったのもビックリでしたが、当初は遊園地のSLという事でバカにしていて完璧に眼中に無い感じだったのです。しかし調べると小型ながらも結構歴史がありファンも多いSLです。私はこのSLも見てみたくなり、事もあろうに当日はまずこの列車に乗って遊園地入りする計画を立てたのです。さらに途中の駅で降りてそれを撮影する、「撮り鉄」までさせてしまいました。その後は遊園地で楽しく遊んだのですが、やはり帰りには気まずくなってしまい、「またね」と言ってお別れしました。

そして極め付けはその一ヶ月後位に、これは現在でもデートの定番場所、鎌倉から江ノ島ルートを参考にしてデートに誘いました。今度こそカッコいいデートにするぞと意気込み、色々な情報を集めて当日に挑みました。横須賀線に乗り北鎌倉駅で下車。円覚寺や鶴ヶ丘八幡宮等を巡り、お昼も鎌倉駅の喫茶店で済ませ、ここまでは順調、彼女もまんざらでも無さそうでした。この後は江ノ電に乗って江ノ島まで行って夕日を見て…、などと自分も気分は上々。午後も頑張ろうと張り切って喫茶店を出ました。しかし、この辺りから私の鉄チャンの虫が蠢き始めます。江ノ電を見た途端、それまではこれに乗って色々観光する予定が、ついついロケハンしてみたくなって江ノ電沿いに歩いてしまったのです。その辺りから彼女の態度が変化して行きます。急に不機嫌になりその原因が分からず、会話が全く弾まなくなって来ました。「どうしたんだろう?、計画は全て順調、彼女のご機嫌も上々だったのに」と段々と焦って来ました。すると突然彼女から「靴づれが出来ちゃったし、それにもう疲れちゃって歩けない」と言われて突然の打ち切り。考えてみれば、彼女も鎌倉と言う事でお洒落もして来ていました。その彼女を北鎌倉からずっと、寺など見物しながら稲村ヶ崎辺りまで、7〜8㎞位は歩かせていたと思います。マラソンじゃあるましい、疲れるのは無理もありません。この後は暗い雰囲気となり、このまま2人はフェードアウト。何となく合わなくなり、その寂しさを紛らわす為に(笑)、自分はまた鉄チャンの世界へのめり込んで行きました。

このブログの勿体無い記憶シリーズを書いていた時、高1の秋位から高2の初夏辺りまで、SL事故が関係していたとは言え、宿泊を伴う鉄チャン活動が極端に少ない時期がありましたが、こんな事をしていたのですね😅。この後、私に本当の春が訪れるのは大学に入ってからですが、運命とは分からない物です。その後にこの女性とまた出逢えて運命を共にして行くなんて、考えもしなかった事でした。あの頃の事を妻もよく話す事があります。当時の私は本当に女心が分からないと言うか、気が利いた所に連れてってくれないと言うか、妻は鉄チャンがモテない原因を身を持って体験したようです(笑)。しかし唯一、一生懸命計画してるんだ、私のために頑張ってるんだ、というのは感じられたとの事でした。それが後々出会った時に結構新鮮に思い出として残っていたとの事でした。

女性からこんな話を聞くと、鉄チャン達も頑張って欲しいと思います。相変わらず鉄チャンはモテないと言う事は良く聞かれます。しかし、最近は本当に鉄道の趣味はメジャーになってきており、女性のファンもたくさん増えています。鉄チャン連中というのは確かにいい奴ばかりです。少し理解しづらい部分もありますが、女性の方達はぜひ偏った目で見ないで、暖かい目で見てあげて欲しいと思います。そして恋愛は素晴らしい、鉄チャン達には「恋せよ鉄チャン」というエールを送りたいと思います。

上野駅で、思い出の11時19分発、一ノ関行きの案内看板を入れたショットです。f:id:x-japanese:20220326161418j:image