前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

224.鉄チャン旅行の思い出26 EF57編、PART1

本当に最後に私の大好きな電気機関車を書いて、鉄チャン系シリーズの話題を終了したいと思います。皆さんもすでにお気づきかもしれませんが、このブログでは殆どの場合で敢えて列車や機関車の型式を書いていません(列車名とかは書いてあります)。これは今までの家族の女性達のリアクションを見ていて思ったのです。女性と言うか、男性でも興味ない物については適当に流す物です。なので特定の型式を書かずマニアではない人も読み易いようにと、私なりに気を使ったつもりなのです😅。しかし、このEF57という形式の電気機関車が、私を決定的に鉄チャンの世界へと導いたので、やはり最後にこの機関車との思い出を語って終わりにしたいと思います。

私の鉄チャンの幼い頃の記憶では、幼稚園児の頃、祖母とよく近所の西武線を見に行っていた事は覚えています。ある日1人で見に行って迷子になり、警察に保護されパトカーに乗った事も覚えています。その後、母が血相を変えて警察まで来たのでしょう。扉をバタンと開けて母が部屋に入って来たのも覚えています😵。その後は私も成長し小学生になり迷子になる事もなくなり、少しずつ遠出をして行って山手線や山手貨物線を見に行くようになり、その後は電車にも乗り田端や王子、尾久あたりにも遠征するようになっていました。また、父の田舎や群馬の従兄弟の家に行く時に利用した上野駅にも良く行き、特に地平ホームの旅情感が好きで、飽きもせず一日中いたものでした。

特に尾久の操車場には本当に良く行きました。そこには沢山の客車や電車、それに機関車が停まっています。それも西武線や山手線のような通勤電車では無く、色鮮やかな特急列車や長距離用の寝台列車が停まっており、またその寝台列車用の機関車も沢山停まっていました。そしてそれらを見ながら、いつも遠くに行く妄想のような物を描いてたものでした。

最初の頃は目立つ物に目が行っていました。赤とクリーム色の特急電車や青と白のブルートレイン、その牽引機関車である薄いピンク色の機関車はよく目立ち、まだヘッドマークも付いていて、カッコいいなあと見惚れていたのを覚えています。しかしある日、その中に混ざっている茶色い機関車が目に入りました。この頃は尾久の操車場にいつも数台は停まっていて、遠くからでも良く見えました。

f:id:x-japanese:20220504092627j:image尾久の操車場にて。

その時は山手線でよく見る貨物列車の機関車だと思っていたので、全く興味はありませんでした。しかしある日、上野駅でその機関車を確認する事が出来ました。この茶色の機関車は貨物だけでは無く旅客にも使われているのかと思った瞬間、何かビビッと来るモノがありました。それは山手線でよく見る電気機関車とは違い、長いデッキ、突き出したパンダグラフ、車両に埋め込まれていないテールランプ、沢山の通風フィルター、そして余計な装飾が無い無骨なそのスタイルのインパクトは強烈でした。

f:id:x-japanese:20220504093028j:image上野駅の16番線ホームにて。

私は一編にこの機関車の虜になりました。この感覚は恋愛と同じ感覚なのだと思います😅。まさに一目惚れ状態。理由なんて無いのです。それからという物、上野駅赤羽駅、大宮駅にはよく行き、まだ小学生の私は駅撮りが中心でしたが、まるで好きな人に会いに行く感覚で出掛けて行ったものでした。そして走っている姿もカッコいいし、また車輪のジョイント音(ガタンガタンという音です)も機関銃のような音がして凄い迫力。ますます取り憑かれる感じでした。実際にこの時にはクラスに好きな女の子がいて、初恋という物を初めて感じていた時期でもありました(随分ませていた鉄チャンでした😅)。しかしこのEF57は他の機関車との共通で使われていた為、会いに行っても会えない日も結構あったのです。それが益々見に行きたい欲求になって追いかけに拍車が掛かったのだと思います。

f:id:x-japanese:20220504094507j:image大宮駅にて。

f:id:x-japanese:20240302233901j:image赤羽駅にて。

f:id:x-japanese:20240211161005j:image尾久の踏切にて。

f:id:x-japanese:20240211165206j:image王子駅にて。

f:id:x-japanese:20240211165227j:image飛鳥山公園の鉄橋にて。

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f:id:x-japanese:20240302001757j:image尾久の車庫にて。当時はよくストライキをやっていて、そのような時は列車は動かないので、入っていいと言ってくれました。いい時代だったなあ😊。

その後は中学生になり多少遠出をするようになって来ました。しかしせいぜい駅から降りて近隣での撮影程度。カメラも大したカメラでは無かった為、走行中の機関車ではそれ程いい写真は撮れず、駅撮りが中心となっていました。そのうちにSLの撮影旅行の方に力が入り、また高校受験も重なりこの機関車の撮影は一時中断。再開したのは高校に入学して新しいカメラを手にしてからでした。また高校で出来た鉄チャンの友人もこの機関車のファンがいた為、一気に気合が入ります。行動範囲も格段に広がりました。その後も、自分で情報収集したり、友人から様々な情報を得たりと精力的に撮影に出掛けて行きました。

f:id:x-japanese:20220504105929j:image赤羽駅近隣にて。

f:id:x-japanese:20220504110045j:image東十条駅にて。

しかしその期間は短く、この機関車には終焉が迫っていたのです。もともと14両しかなく(製造は15両でしたが、12号機は早々と事故で廃車となっていました)、そして既にかなりの数の車両が廃車となっていて、さらにこの機関車に会える機会が減っていたのです。しかし、このブログの218回目の鉄チャン旅行の思い出20にも書いてある、運用表の情報を得た事により効率的に撮影が可能となり、やっと満足のいく写真が撮れるようになったのでした。

f:id:x-japanese:20220504095743j:image久喜〜白岡間にて。

またこの機関車には面白い特徴がありました。この写真はEF57の1号機なのですが、他の写真と明らかに違うのが分かると思います。パンタグラフが前に突き出ていません。全く違う機関車だと思っていましたが、これもEF57だと聞いて本当にビックリ。同じ形式なのに全く違う外観。その理由を調べると、電気系統や暖房装置等、走行に関連する機器が同じという事で同じ形式になったという事が分かり、その不思議感もこの機関車の魅力でした。またこれを機会に、この機関車自体の歴史も調べたりして益々熱を上げるようになりました。特に、なぜこのようなパンタグラフが突き出た形になったのかはとても興味深く面白かったのを覚えています。

f:id:x-japanese:20220504100449j:image白岡駅にて。

長くなってしまったので、PART2へと続きます。