前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

210.鉄チャン旅行の思い出12 カメラ編

私のような鉄チャンの撮り鉄にとっては、カメラはもちろん必要不可欠な物で思い入れもとても強い物でした。私が写真を撮り出した頃はまだ小学生の1970年辺りから。その頃はカメラというと高級な部類の装飾品に近いイメージであり、私の家にはコニカ製の古い型のカメラがありました。取扱説明書など既に無く、今ひとつどうやって使うか理解出来ませんでした。当時は当然デジタルでは無くフィルムです。まずはそのフィルムが上手くはめられない。上手くはまらないと滑ってフィルムが巻けずに写真が撮れなかったり、写真が二重になったりと私の使い始めの頃は失敗続きでした。そのうちに、家族の間でも使い勝手のいいカメラが欲しいという事で、当時流行していたリコーハーフカメラを買い、私もこれでやっと鉄道写真を撮りに行けるようになりました。

小学生程度ではこのクラスのカメラで十分でした。田端駅の貨物ヤードや尾久の操車場や、王子駅西日暮里駅上野駅にはよく写真を撮りに行っていました。しかし中学生にもなって来ると、いよいよ行動範囲も広がって来るに伴い、更にいい写真が撮りたくなって来ます。このハーフカメラは取り扱いは簡単なのですが、とにかく写りが荒くとても満足した写真は望めませんでした。友人もそろそろいいカメラを持っていたりします。しかし我が家には最新のカメラを買う財力は無く、仕方無しにまた古めかしいコニカを引っ張り出して来て、色々調べて使うようになりました。しかしやはり使いこなせずに、決まるとまずまずな写真が撮れるのですが、時には露出オーバーだったり、時にはブレていたりと、本当によく分からないカメラで苦労は続きました。そんなカメラで会津や北海道に行った物ですから、SLの写真は中々いい物が撮れずに歯痒い思いをした物でした。

そして高校入学の祝いについにカメラを買って貰う事になりました。初めて買って貰ったカメラは既に友人達が持っていた一眼レフカメラが絶対条件で、ペンタックスのSPⅡを買いました。この頃は一眼レフカメラは大きく分けてペンタックスニコン、キャノン、オリンパスの4種類があり、それぞれ自分のご贔屓のメーカーがありました。友人達はオリンパスとキャノンを持っていて、私は予算もありニコンは高かったので消去法でこのカメラになった感じでした。当時は交換レンズの繋ぎ目部分(マウント)がバヨネット方式(ワンタッチ式のような感じです)という新しい形態になる狭間であり、ペンタックスも前年にこの形態のKシリーズを発売していました。その為このSPシリーズはまだスクリュー方式(ネジ回し方式)で性能の割に価格が安かったのです。予算もあるので仕方無くこのカメラで我慢する事になったのです。このカメラはもちろん露出もピントも手動式。しかしこのカメラの基本をしっかり勉強して手動のカメラを使いこなす事によって、思い通りの撮影が可能となってきます。同時に三脚も購入、今まで自分も撮ってみたいとずっと思っていた夜間撮影にも挑戦。最初は上手く行きませんでしたが少しずつ上手く行くようになり、自分の腕が上達して行くようで撮影が本当に楽しかったのを覚えています。

高校1年以降はこのマイカメラでたくさんの写真を撮る事が出来ました。その後も望遠レンズ、広角レンズ、ストロボ(フラッシュです)、フィルター、レリーズ、カメラバック等々、アクセサリーも色々と買い揃えて行きました。

この写真は望遠レンズの練習で撮った貨物列車です。f:id:x-japanese:20220315221324j:image

この写真は広角レンズの練習で特急を捉えた写真です。今は新幹線のつばさ号です。f:id:x-japanese:20220315224650j:image

この写真はクロスフィルターで夜間撮影した写真です。f:id:x-japanese:20220312180439j:image

写真の出来栄えは以前のコニカやハーフカメラとは雲泥の差。本当に満足のいく写真に、SPⅡは私の片腕という感じで文字通り肌身離さずいつも持っている感じでした。

しかし、井上陽水の歌に「限りない欲望」という歌がありますが、カメラに対しては全くその歌詞通りになって行きます。友人のカメラがバヨネット方式で、レンズ交換が簡単に出来ます。また高校に入り出来た友人のカメラは、自動露出やモータードライブ(所謂連写ですね)等、高機能な性能をこれでもかと見せつけて来るような物もありました。また撮影に行くと他のファンが持っているカメラが凄く良く見えて来たりしました。また三脚に2台3台とカメラを取り付けで撮影しているファンもいたりして、あんなに満足していたSPⅡが何だか古めかしく感じるようになりました。それらを見ながら自分も2台目を考え、高2の夏休みに新たに同じペンタックスのKXを買う事にしました。かなり奮発したKXはブラックボディにして、それはそれは格好良く満足がいった物で、周りの友人達にも十分対向出来るカメラでした。この時は全自動露出のK2という機種もありどちらにしようか迷ったのですが、何か全自動という所に魅力を感じず、それに対してKXは半自動露出というか、マニアックな構造がとても気に入り、こちらの方を買ったのでした。

しかし2台のマウントが違うので使い勝手が悪く、暫くの間は悪戦苦闘していました。そしていいカメラが手に入ると今まで救世主のようだったSPⅡが更に古臭く見えるようになりました。そして直ぐ後にSPⅡの後継機として、あれだけ肌身離さず持っていたSPⅡをあっさりと下取りに出し、同じKシリーズのKMを購入、本格的に2台を使いこなすようになり、この頃からモノクロ写真にも懲り出しました。マウントも同じバヨネット方式となったので、レンズも望遠、広角、ズームと新しく揃え直して、十分と他の友人達にも対抗出来るようになったのです。カメラバックも新たに購入、気がつくと完璧な鉄チャンとして武装されていました。こんな事ばかりしていたので、鉄チャン旅行はいつまでも貧乏旅行でした。

暫くはこの2台で様々な列車を撮影しました。しかし大学生の時のある旅行で、これは鉄チャン旅行では無かったのですが、転んでKXを落としてしまったのです。そして一眼レフの心臓部とも言えるプリズム部分を損傷してしまったのです。暫くは呆然とした私。直ぐに帰って修理に出しましたが完璧には治らず、これにはとてもショックを受けました。写真が撮れるようには回復したのですが、この一件から何となく撮影から一歩引くような感じになってきたのです。もちろん興味のある車両が無くなって来た事もありますし、年頃にもなり興味が他にも出てきた事もあるのでしょうが、これがキッカケになったのは事実だと思っています。

その後は友人に誘われて撮影に出掛ける時も、KMのみで行くようになりました。そして社会人となると益々カメラも小型化高性能化。私も新たにMEsuperを購入。しかし鉄チャンに戻る事はありませんでした。その後は色々と友人にも誘われたり、SLも復活したりして触手も動く事もありましたが、このカメラ達はもう暫くすると私の家族や子供を撮影する機材となってしまいました。そしてその後はご存知の通りビデオの世界に変貌して行きます。そして益々変わって行き、既に携帯電話の時代。数年前にデジタルカメラを買いSLの撮影を本格的に始めようと思ったのですが、携帯電話の性能が格段に上がって行き、最近は殆どケータイで済ませている状態です。このケータイ一つでビデオも撮れ写真も撮れ、そしてその画像の加工も簡単に出来るので、益々カメラは、そしてビデオの出番まで無くなって来ました。

この写真は、我が家に飾ってある、アサヒペンタックスKMとMEsuperです。私が小さい頃カメラは宝飾品のようだとこのブログの始めの部分で書きましたが、まさに今そのような感じで居間のサイドボードに飾られています。このブログを書いていて、しみじみ時の流れを感じています。時代は繰り返す、まさにその言葉を感じています。

f:id:x-japanese:20220313210752j:image