前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

185.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.8

この年はそんなやるせない事件があり、SLは大井川鉄道で復活はしましたが、私はその後は空虚な時間を過ごしていました。暫くは新しく買ったカメラと共に、東京近辺の無くなりそうな機関車や旧型電車の撮影ばかりに繰り出しており遠出はしませんでした。そして久しぶりの遠出は翌年3月、再度東北旅行でした。これは友人に付き合った撮影旅行で、目的は東北地区を走る赤い電気機関車でした。どうせ東北に行くならと前年行った宮古のSLを調べましたが、まだ廃車にはなっていませんでしたが、既に定期運行が停止となっており撮影出来る可能性は低く、宮古入りは諦めたのでした。

友人の目的は、当時から廃止の噂があった3段式の寝台列車に乗ってみたいという旅行でした。この旅行は不思議な旅行で、上野から急行列車に乗り途中下車して赤い電気機関車を撮影の後、仙台入り。そこで保存してあるSLを見た後、松島の観光をしてそこのYHで一泊。翌日、仙山線に乗りお目当ての機関車を撮影、そして山形近辺で再度お目当ての機関車を撮影、その後天童に寄り、さらに秋田まで行き男鹿半島まで行って、夜行の寝台列車で帰るという変則的な旅行でした。東北周遊券という切符を買って行ったのでもっと長い期間行けたし、資金的にもそれ程大変でも無かったし、赤い機関車を撮るにはここを外せないという肝心の撮影名所である板谷峠近辺には寄っておらず、未だに理解不能な自分でも勿体無い旅行でした。

しかし、この旅行ではしっかり観光が入っていました。と言うか、今思えばこの旅行自体が観光の位置づけだったのかも知れません。赤い機関車はまだまだ現役でしたし当面廃止になる事も無かったし、また来れると思っていたからです。行った先は日本三景の松島と、仙山線では撮影の傍ら松尾芭蕉で有名な山寺に登っていますし、天童では将棋の土産まで買っています。男鹿半島まで行ったのは日本海の海に沈む夕陽が見事との噂を聞き、それを見に行く為にわざわざ行きました。これは全て他人から聞いた話や歴史の勉強から得た知識から、場所を確認して訪問した所でした。考えてみれば当時の旅行雑誌は「旅」や「ブルーガイド」程度しか無かったように思います。それも細かい記事となればいつでもお目当ての場所の情報が見られる訳では無く、だから当時は旅行業者の組んだ団体旅行で連れて行ってもらい観光するのが効率的だったのでしょう。それは食事についても同様であり、当時の食事の名物などは殆ど知りませんでした。因みにこの頃の私の情報と言うと、宮城県は松島と青葉城鳴子峡の紅葉位、山形県は山寺、蔵王米沢牛と天童の将棋、出羽三山位、秋田県はナマハゲとキリタンポ位と、情報難民状態だったのがよく分かります。

その観光のお粗末さも特筆モノです。松島観光はただ駅を降りて海岸沿いを歩いて、五大堂を見ただけで、これが日本三景か、松尾芭蕉も大した事無いなと思っていました。西行戻しの松にも行かず、遊覧船にも乗らず、瑞巌寺にも寄らずにいました。もちろんまだ寒い時期であったにも拘らずカキも食べていません。また男鹿半島の終点男鹿駅まで出向いたにも拘らず、どこが夕陽の名所なのかも分からず、近くの港まで行って見ましたが夕陽は全然違う方向に落ちていき、場所を変える暇も無く沈んで行きました。情報が無かった時代とは言え、特に男鹿半島まで行っていながら夕陽が拝めなかったのは勿体無いと言うか、お粗末と言うか、残念と言うか。食事も相変わらず駅蕎麦とか、菓子パンとか、駅前の中華料理店とかで済ませ、本当に勿体無い旅行だったと思います。

しかし最後にとても面白い出来事がありました。それは秋田駅で帰りの寝台列車を待っていると、初老の男の人が声を掛けて来ました。多分、どこからきた?のような話をして来たと思うのですが、我々は彼が何を言っているのが分からず、最後まで所謂秋田訛りの会話を理解で出来なかったのです。これにはカルチャーショックを受けました。同じ日本人同士なのに会話が通じない、これは本当に驚きました。その方は途中で諦めてその場を去って行きましたが、帰りの寝台列車の中は友人達とその会話の内容で盛り上がり、せっかく寝台列車だったのにいつまで経っても眠らなかったのもいい思い出です。

そして家に帰って、日本三景の松島は大した事無かったと話をしたら、案の定家族から、遊覧船乗ったか瑞巌寺行ったかカキ食べたか等色々聞かれ、また家族から「あ〜あ勿体無い〜」の嵐を浴びました。しかし、父は将棋好きであった為、天童のお土産はとても喜んでくれました。この時、初めて自分の買ってきたお土産を喜んでもらえたのが結構嬉しく、やはり鉄チャン旅行と言えども、行く時はもう少し色々と調べて行くようにしようと、少し心境の変化があった旅行でした。

東北本線の下り貨物列車。運良く重連でやって来ましたf:id:x-japanese:20211023161248p:image