前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

188.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.11

今回は身延線です。前回の旅行では資金的に散財してしまった為、旅行を続ける事が出来ずに仕方無しに帰る事にしました。暫くは撮影に行く気にもなれないと思っていましたが、そんな事もすぐに忘れて、あの飯田線の旧型電車をあまり撮影出来なかった事を思い出すと居ても立っても居られず、その後すぐに行く事にしたのがこの路線です。ここも飯田線ほどでは無いですが結構旧型電車が走っており、また都心から比較的近く日帰りは十分可能だったので行く事にしました。また、この路線はトンネルの断面が小さい為、電車のパンタグラフがそのままだとトンネルに当たってしまうので、車両の屋根の部分を低くして対応している珍しい路線でした。その形態にもとても興味があり見てみたいと思っていたのでちょうど良かったのです。今回は首都圏を出る遠出としては初の単独旅行でした。

この時は夜行で行くと早く着き過ぎてしまう為、朝一番の静岡行きの各駅停車に乗り、身延線に向かいました。駅に着くと、端のホームに旧型電車が止まっていましたが、飯田線の時のような驚きは無く、反対に思っていた以上の駅の都会っぽさに(失礼)に旧型電車が似合わず、ミスマッチのように感じました。とりあえずロケハン(ロケーションハンティングの事です。運転席の後ろにかぶりつき、いい撮影地は無いか探す事です)の為に運転室の後ろを陣取りました。程なく発車すると、これまた旧型電車っぽくない高架の上を複線で走ります。止まる駅も高架駅で東京と差が無い感じで、完全に興醒め状態でした。こりゃ絵にならないなと、一通り撮影したら早々と帰るようかなと思ったその後です、前方に見事な富士山が現れました。それと同時に高架が終了、旧型電車に相応しいビジュアルになって来ました。この日は快晴だった事もあり、冬の雪を頂いた富士山はとても綺麗で見事、東京からでも快晴の日には富士山は見れましたが、裾野までしっかり見えるのには大感激しました。こんな富士山は見た事が無く、これで一気にテンションが上がり、富士山をバックに走る旧型電車を追いかけて、一日中沿線を駆け回りました。

その後、少し山に入り雰囲気のいい駅で夕刻の撮影などもして、この後どうするかを考えながら歩いていると、道路の脇に小さな食堂がありました。「ヤキソバ」の旗が掲げてあり飲み屋風にも見えましたが、昔懐かしい感じのお店でした。まだお酒を飲む訳では無かったので一瞬躊躇しましたが、そんな遅く無い時間だし面白そうだから入ってみる事にしました。ちょっと前だったら絶対にこんな事出来なかったのですが、地元の食も旅の醍醐味、余裕がある時はこんな事もして行こうと、少しずつ思うようになっていました。

扉を開けて入るといきなり「いらっしゃい」の威勢のいい声、初老の女性が出迎えてくれました。カメラバックを肩に下げた私を見て一瞬ビックリしたようでした。昼を食べて無かったのですぐに食べられる物を聞いたら、オバサンはすかさずヤキソバを勧めました。そして席に座り一息付いていると、地元の人と話すと決まって聞かれる「お兄さんどこから来たの?何しに来たの?」が飛び出しました。「東京から電車撮りに来た」と言うと、「は〜😳」の返事。そのお店はカウンターの鉄板焼き屋のようになっていて、オバサンはそこで手際良くヤキソバを焼いてくれました。それを食べているとそのオバサンは色々と話し始めました。最初は私への質問攻め、その後はオバサンの昔話し、その会話が楽しかった。お酒でも飲めればさぞ楽しかったろうと思う位、色んな話をされ、あっという間に時間が過ぎ、常連の客が入って来るまで楽しい時間を過ごせました。

店を出ると外は真っ暗、そして駅に着くと、今日中に東京へ向かう電車には間に合わない時間になっていました。途方に暮れていると、何と運休だと思っていた貨物列車が停車していました。素早く三脚を立て撮影を終え、これからどうしようかと考えながら、ホームのベンチに座り暫くその機関車を見てました。すると運転士が顔を出して私に話しかけて来ました。また「どこから来たの?」から始まり、思ってもみなかった会話が始まりました。そして電車が来るまで、楽しい時間を過ごせました。結局この時は、逆の大垣夜行に乗り東京まで帰りました。翌日は始業式だったので、そのまま学校に行ったのもいい思い出です(私の学校は都立で当時制服が無かったのが幸いでした、笑)。

今まで、旅先でこんなに人と話した事はありませんでした。そして地元の人や知らない人との会話がこんなにも面白い物だなんて初めて気が付きました。今までは友人と複数人で旅しており、その必要が無かった言えばそうですが、それでも色々な所で色々な人と会話をする機会はあったはずです。今までも今日のような楽しい時間が過ごせたかもと思うと、何と勿体無い事をしていたんだろうと思いました。これからは出来る限り会話という物を意識して旅行して行こうと思いました。

しかし最近は世知辛い世の中になってしまい、知らない人との会話も難しくなって来ましたね。またあの頃のような無垢な気持ちで会話が弾むような時代が来るといいと思っている今日この頃です。追伸ですが、数年前にB級グルメ大会で、この富士宮焼きそばを食べましたが、まさにあのオバサンのお店のビジュアルでした。当時はこの界隈では焼きそばがご当地の食べ物として広がっていたようですが、あの時食べた物がこの焼きそばの原型なんだと思うと急に懐かしくなり、また行きたいと思いましたが既に場所なども覚えおらず、改めて勿体無い気分になりました。

身延線の旧型電車です。本当に綺麗な富士山をバックに走っていましたf:id:x-japanese:20211023164724p:image