前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

186.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.9

この旅行は1977年夏、友人から誘われて行った兵庫県播但線の旅です。やはり廃止となってしまうディーゼル機関車を撮影する為に6泊7日で行って来ました。東海道線を使って行くので、いつもの大垣夜行で出発。そしてその後3泊は何と駅構内での野宿生活でした。当時は夜行列車が多数走っていた関係で、列車が停車する主要駅では、駅は閉めずにずっと開いていました。もちろん当時は冷房設備とかは無く、窓も開けっ放しの待合室のベンチでごろ寝という感じです。途中からは私は別行動となり、最後の1泊は当時大阪に赴任していた兄のアパートに寄る計画を立てました。そして帰りは大阪の鉄道や街を少し見て回って、また夜行で帰る予定でした。

まずは京都で間もなく廃止となる市電の撮影、その後、再度梅小路蒸気機関車館を見学。前回じっくり見る時間が無かった為、ゆっくり見学。そして今晩の野宿先の和田山駅へ向かいました(誰が調べたのだか、寝やすい待合室がありました、笑)。京都から乗った急行列車は当時はグリーン車と指定席車しか冷房が無く、暑い京都の町を走る自由席はまさに地獄。時折通り抜けるフリをしてグリーン車内に入ったりして涼んでいました。この頃はアルバイトも積極的に行っており、小遣いは出来たのですが、カメラが良くなった分、望遠レンズや色々なアクセサリーが欲しくなり、そちらの方にお金を使うようになったので、相変わらずな貧乏旅行でした。

この旅行の私の目的はどちらかと言うと旧型客車でした。まだまだ都市部でも見られましたが、数自体は随分と少なくなって来ており、廃止になる事は目に見えていました。幼い頃から父の田舎に行く時に乗った旧型客車が大好きで、その後も旅情を誘うこのビジュアルがたまらなく、小学生の高学年位からはよく上野駅に行って見たり乗ったりしてました。この地方線区のように全ての列車が旧型客車で運用されているのは私に取ってはたまらなく、SL無き今、ここは天国のような所でした。友人が撮影している間も私は旧型客車に乗って行ったり来たりしている時もありました。夏の真っ盛り、出入口の扉は開けっ放しで、ふと先頭を見ると通路の間から友人の好きなディーゼル機関車が見えます。

連結部のドアも開けっ放しの客車列車の光景です。f:id:x-japanese:20220314211551j:image

夜になると車内は蛍光灯では無く白熱灯の薄暗い灯りがまた何ともいい風情を醸し出してくれます。ガラガラの車内で全開の窓から見る、山間に家の灯りがポツポツしか見えない光景も本当に映画を見ているよう。まるでフーテンの寅さんを地で行っているような気分は最高で、ずっと乗っていたい感情に駆られる瞬間です。

夜になると友人が和田山駅の待合室に集まって来ます。そして今日の晩餐会が始まります。まだ高校生なのでお酒を飲む訳では無いですが、近所のお店で買って来た弁当やおかずを肴に、今日の収穫を言い合います。そして夜がふけて、朝は機関車かディーゼルカーの汽笛で目が覚めます。今日も夏の真っ盛りのいい天気。洗面所で顔を洗い、撮影開始。この夢のような時間、まさに青春も真っ盛りといった感じでした。時が過ぎていくのが本当に勿体無かった。いつまでもこんな時間を友人と過ごしていたいと思っていました。そしてあっという間に私は兄のアパートに行く日になりました。友人達はその日はお風呂屋を探すと言って、私と別れた後、町の中に消えて行きました。私は後ろ髪を引かれる思いで和田山駅を後にしました。

そして兄の待つ大阪へ向かいました。夕方に兄と予定通り待ち合わせ、兄は私の汚れ具合を見て驚き、その足ですぐに今でいうスーパー銭湯に行きました。4日分の汚れを落とすには十分、スッキリしてその晩は美味しいご飯をお腹一杯に食べ、ぐっすり布団で寝る事が出来ました。その時も兄は相変わらず、和田山の方まで行ったのなら、天橋立は近いとか城崎温泉が近いとか、勿体無い攻撃をして来ましたが、私は十分満足した旅行だったので何とも感じませんでした。それにしても、さすが大阪の街。スーパー銭湯などの施設はたくさんあるし、煌びやかだし食い倒れの街だし。田舎の旧型客車もいいけど、やはりこういった近代都市もいいなあなどと、勝手な事を思いながら、翌日兄と別れ、大阪の街をぶらぶらしてから帰路につきました。

播但線ディーゼル機関車。本当に青春真っ只中の旅行でしたf:id:x-japanese:20211023163549p:image

帰りに大阪界隈をぶらぶらして撮影したディーゼル特急ですf:id:x-japanese:20220314211649j:image