前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

225.鉄チャン旅行の思い出27 EF57編、PART2

私の高校1年の時がこの機関車の最後の活躍時期であり、SLは満足した写真が撮れなかった分、この機関車の撮影には随分と通ったものでした。朝の山手線の始発に乗り上野駅へ。5時半の郡山行きの下り各駅停車に始まり、その後、次々やって来る上りの夜行列車は、本当に初恋の人がやって来るのを待つ感じで、新しくなったカメラを持って待っていたものでした。そして、東大宮や白岡付近にもよく出掛けて行きました。特に夏や冬の時期の臨時列車はEF57がよく充当されていて、東北本線ダイヤグラムや時刻表を隅から隅まで見て、1人で、または友人と撮影に出掛けたものでした。そしてEF57がやって来ると思わず小躍りする感じになり、夢中になってシャッターを切ったものでした。

f:id:x-japanese:20220504163303j:image東大宮〜蓮田間にて。

f:id:x-japanese:20240312164254j:image大宮駅にて。

f:id:x-japanese:20220504163317j:image蓮田〜東大宮間にて。

f:id:x-japanese:20220504163330j:image早朝の尾久操車場にて。

f:id:x-japanese:20240302232218j:image尾久〜王子間にて。

f:id:x-japanese:20240211083913j:image東十条駅付近にて

f:id:x-japanese:20220504163347j:image上野駅13番線ホームにて。この日は重連でした。

そして。1976年も初秋になってくると、明らかに見る機会が減って行きました。また機関車の老朽化も進んでいたのでしょう。運用表通りに撮影に行ってみても、違う機関車が走って来た事もありました。しかし、そこで信じられない事が起こります。それはまさに、この機関車への国鉄からのプレゼントなのかと思った位でした。この年の秋の時刻改正で、今までの夜行急行列車の客車が、それまで特急で使われていた車両に変わったのです。また臨時急行列車にも、特急仕様の客車が使われるようになったのです。これは本来牽引するはずの無かった東北本線の特急列車を、EF57が牽引する事と同様のシチュエーションとなるのです。その後は、本当に臨時列車でしたが、特急を牽引した事もあったのです。これは本当に最後の花道に相応しい、国鉄からの粋な計らいのようでした。

f:id:x-japanese:20220504163411j:image上野駅にて、昔の特急車両を使った急行新星の前に立つEF57です。

f:id:x-japanese:20220504163419j:image見えずらいですが、臨時特急はくつるを牽引するEF57です。この時は三脚を忘れ、必死で撮影したものです。痛恨の極みでした。

そして、その年の年末年始の臨時列車を中心に活躍したのを最後に、めっきりと出番は少なくなりました。その後も様々な情報が入って来ましたが、どれも不確実な情報でした。そして今、ネットの記事で調べるとEF57の最後の運用は、1977年1月の初詣の臨時列車だという記事がありますが、私の記憶ではその後にもう一度運用に入り、途中で不具合の為交代となった事があったと思いますが、何ぶん45年も前の記憶なので定かではありません。

このように、EF57は突然に私の前から姿を見せなくなってしまったのです。これも初恋の女の子が突然転校してしまい、急に会えなくなってしまった自分の経験と同じでした。前から余命幾許もないと分かっていましたが、このEF57の突然の引退は本当にショックでした。さらにこの頃は特にサヨナラ運転も無く、本当にある日を最後に突然見れなくなったのでした。

このように、出会いも別れも私の初恋の人のようだったEF57。その後も色々な列車や機関車を追いかけましたが、この機関車を越えるようなトキメキには出会えず、SLが復活して来たとは言え、鉄チャン熱は冷めて行ったのでした。今思い返して見ても、このEF57を自分の初恋の人のように擬人化して、追いかけていたと思います。そして、この機関車と共に鉄チャン熱も少しずつ冷めて行ったと思います。

その後、この機関車は宇都宮の公園に保存されたという情報が入ります。しかし、それを見に行く気持ちにはなれずに、初めて見に行ったのは何と、この機関車の引退から43年も経った、私が定年を迎えた60歳の時でした。見に行かなかった理由はもちろん「初恋の人が歳をとった所なんか見たくない」という感じと同じ感情でしたが、還暦を迎えてお互い歳をとった姿を見せ合うのもいいかもと思い、定年した3日後に行ってみたのです。そこには意外に綺麗な状態で保存されているEF57がありました。よく撮影していた7号機でした。

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本当に久しぶりに会う初恋の人、綺麗にしていたんだなあと思いながら、自分はそれに比べてどうなんだろうか、そんな気持ちで暫く見入ってしまいました。この機関車を追いかけていたあの頃と、突然居なくなった初恋の人が走馬灯のように思い出され、感慨深かったのを覚えています。

今思っている事は、古いSLでも動かせるのだから、EF57も復活させて動かせないものだろうかということです。この機関車を走らせるクラウドファウンディングでも出来れば、是非協力したいと思っています。SLと同じような、あの感動をもう一度味わいたいと思っています。初恋の人の代わりと言うにはゴツ過ぎるEF57ですが、本当にいい思い出をくれた機関車でした。いつかSLのように復活して動いてくれないかなあと、本気で思っているのです。そして、この機関車の事を綴っていると、初恋の人にもちょっと会ってみたい気分になりました。両方とも叶わぬ夢と思いますが、この2つもこれからの人生の夢に加えて、生きて行こうと思っています😅。

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