前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

191.鉄チャン旅行の勿体無い記憶.14

今回は高校3年になった1978年の5月のGW、第二弾飯田線の旅です。この旅行は昨年の播但線の旅行が忘れらず、これから受験期に向かう前に(周りはとっくに向かっていたのですが😅)、もう一度あの時のような鉄チャン旅行をしようと企画したものです。前回は切符の精算でトラブルを起こし、いい写真も撮れなかった為のリベンジの意味合いもありました。ゴールデンウィークの狭間、当時は長くても三連休程度で飛び石連休が多くまとまった休みは中々無く、この時は木曜日と土曜日をズル休みをして五連休とし、その前後夜行で移動するという、親にも黙って5泊6日の旅行を計画しました。泊まる駅は無人駅、これも誰が調べたのか鳥居という駅に3泊する事を決めました。そしてこの時はまだ寒いのでそれぞれ寝袋を持ち(これも兄から借りました)、東京駅の大垣夜行で集合、豊橋駅へ向かいました。

豊橋駅に着くと、あの時の事を思い出しました。一瞬嫌な思いになりましたが、その時の友人も一緒でしたからもう誤ちは犯しませんでした。一旦駅を出て腹ごしらえをし、少し駅で撮影してその後機関区へ。今回は計画的に行動しました。機関区ではしっかり撮影の許可を取った後、この休み中の貨物の運用状況を聞きました。これも今までの鉄チャン連中との情報交換の賜物、撮影を空振りしないように事前に情報を仕入れて、いざ出発です。あの頃より季節も良くなって、沿線は新緑が眩しく、花が咲いていたり、鯉のぼりが上がっていたりと、テンションが上がります。まだまだ旧型電車も元気。貨物列車も情報通りに走って来ます。撮影地も事前に仕入れている情報の中から選び、満足のいく写真が次々と撮れて行きました。途中、今晩の宿である鳥居駅の確認も怠らず、しっかりと無人の駅と待合室がありました。初日はとにかく門限が無いのをいい事に、夜遅くまで撮影を続けていました。そしてクタクタになり最終電車で駅に向かい、その場でダウンという状況で初日は寝てしまいました。

翌朝は駅の直ぐ近くの踏切の音で目を覚ましました。この日からそれぞれ自由行動、夜にこの駅に集合として、皆散って行きました。私はまたまた旧型電車のあのモーター音を聴きながら、のんびりしながらロケハン。良さそうな撮影地があると降りて撮ったりしていました。去年の夏のあの時を思い出しました。まさにあの時が甦り幸せな時間でした。途中、気に入った撮影地なんかでは友人と再会したりして、また一緒に撮影したりしてました。その時は結構撮影に来ている鉄チャンも多く、こちらから声を掛けたり掛けられたり、お互い情報交換などして、そんな事も楽しかったです。その会話の中である2人組の鉄チャンから、どこに宿を取っているのかと聞かれました。すると我々は野宿と答えました。相手は一瞬???の顔になりましたが、すかさず聞き返して来ました。鳥居という駅がいい野宿が出来る待合室があり、そこで野宿していると言うと、その鉄チャン達もそこに行っていいかとのお願い。お願いされる物でもないので、どうぞと言うと、その晩は我々プラスその鉄チャンの5人で泊まる事になりました。この晩はお互いの鉄道の話題でかなり盛り上がり、遅い時間まで話していました。

そして翌朝、また踏切の音で目を覚まし、それぞれの行動を開始します。他の2人はどうするか不明でしたが、また来るかもと言って列車に乗って行ってしまいました。我々はその日は豊川駅で夕方集合し、風呂屋を探し入ってから鳥居駅に向かう予定を立てました。ここまで行ったのなら豊川稲荷に行けばいいものを素通りでまた勿体無い事をしました。そして風呂屋を見つけて入ると直ぐに鳥居駅に向かいました。すると何やら待合室に人がいます。昨日の2人プラス2人、それに我々の7人になっていました。昨日の鉄チャンが新たな鉄チャンを連れてきたのです。これにも大盛り上がり。楽しい夜を過ごしました。そして就寝。

おそらくぐっすり寝ていたと思います。すると誰かが肩をたたき「もしもし」と声を掛けます。夢か?と思い目を開けると、なんと警察の人でした。びっくりして目を覚まし皆を起こしました。我々は怒られると思い、身構えました。すると警官は恐縮したような態度で、通報があり見に来たとの事。しかしそれは苦情では無く、近隣で強盗事件があったので、あの駅で野宿している若者がいるから教えてあげろと言われてやって来たとの事でした。「そんな訳だから気をつけてね」と言って警官は帰って行きました。その後はまた眠れる訳がありません。強盗がやって来るかも知れないと思うと皆一睡も出来ず、そのうちに目覚ましの踏切が鳴りました。その日は殆ど眠れず、しかし予定通り皆、今日の行動に出発して行くのでした。我々は今晩の夜行で帰る事を伝えると、他の鉄チャン達はとても残念がってくれました。

この別れは結構寂しかった。昨年のあの和田山駅よりも、仲間が増えて行くという楽しい経験。そして何より地元の人が、野宿する我々を心配して警察を呼んでくれる、そんな人間の暖かさ、人間の優しさを感じ、この場を離れるのが勿体無くなりました。またその鉄チャン達の連絡先も聞かずに別れてしまったのも勿体無かったと思っています。人って元は皆いい人なんだ、皆暖かいんだという北海道の時に感じた事を思い出し、改めてとてもいい経験をした旅行となりました。今でも仕事等でGoogleなどを見るとつい飯田線の方に移動してみて、鳥居駅周辺を見たりしてます。あの時、警察に連絡してくれたのはどこの家の人なんだろうと思いを馳せ、もうあんな経験は出来ないんだろうなと思うと、最近は少し寂しさを感じます。

飯田線の旧型電車、本当に色々な電車が走っていましたf:id:x-japanese:20211023162719p:image