前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

478.私の会社員時代、やってらんない記憶111

この悲しかった話は、この国の仕事事情の話です。欧米の学生達は、公務員や会社員になるより、自分で会社を設立して仕事をしたいと思っている人が多いようです。しかし、私が就職活動をしていた頃は、会社を作るなんて考えは全く無く、実家の会社を継ぐか、いかにいい会社に入るか、または公務員になるかという選択肢しか無かったように思えました。また一旦就職となったら、退職までその会社に勤めるというのが常識でした。途中で会社を辞めて独立するなど、何か悪い事でもしたのかと疑われる勢いだったので、転職だって当然、マイナスなイメージでした。

しかし最近は随分とそのイメージが変わって来ているようです。学生の時から会社を起こすなんて話はかなりメジャーになりました。そして転職は既に一般的になっていると思います。若い世代にはかなり仕事についてはフレキシブルになって来ている一方、私のような定年を迎えた世代では、中々こう言った会社を起こす事や、転職は厳しい状況が続いていると思います。これから書く話は、私がそろそろ退職後の事を意識し始めた時の話です。

ある年私は、私の住む町の町会の役員をやった時がありました。そしてその活動の中で、その時の町会長さんが、パソコンやプロジェクター等を活用して、町会の色々な運営をやっていたのでした。その会長は70歳位の方で、私は、「それにしてはパソコンなんかも使い、大したもんだな〜」と思っていたのです。そしてある日、何でそんなにパソコンを使いこなせるのか聞いてみたのです。すると会長は以前、大手のスーパーに勤めていたのと事だったのでした。そしてその時の事を話してくれたのでした。

会長は、やり手の管理者だったそうで、所謂エリアマネージャー的な存在で、何店舗かを任されていたそうです。そして各店舗の店長に売上促進のアドバイス等をやっていたそうなのです。そしてそれなりにいい業績だったそうなのです。自分なりに売上アップのノウハウなんかも蓄積でき、また様々なメーカーや他業態のバイヤー等、人的なネットワークも持っていたそうなのです。業界の売上アップのセミナー講師を頼まれた事もあったそうです。そんな訳で、そのスーパーの定年後は、自分は独立して会社を起こし、小売業者への売上アップのアドバイザーをする仕事を始める計画を立てたとの事でした。

そして定年を迎え独立。会社を起こし、今までのツテや人的ネットワークを使い、営業に回り始めたそうです。その頃は金融危機リーマンショックの後の頃で、日本全体が景気の悪い時でした。そんな時代だったので、この商売は絶対に当たると思ったそうなのです。しかし現実は違ったとの事でした。全くと言っていい程、仕事が取れなかったと言うのです。現役時代にあんなに活躍出来た実績があるのに、それには全く目も向けてくれず、個人の会社に頼む事は無いと言った感じで、殆どが断られたそうなのです。

そしてある日、会長は気がついたとの事でした。自分は大手スーパーの人間だったから、相手も自分を信用してくれていたんだ、と言う事を。今は単なるその大手スーパーを定年退職した、ただの一個人。信用なんて無いのだと言う事を。信用が無ければ確かに仕事など取れないと言う事を。それに気が付いた時は、大きなショックで、暫く寝込んでしまったとの事でした。このパソコンやプロジェクター等はその時に揃えた物だったそうです。高い授業料になったと言っていました。

私もその頃は、既に本部に在籍しており、何と無く出世も望めそうも無いようなので、自分の取った資格とそれまでの営業のスキルで、独立でもしようか考えていた時期でもあったのでした。この会長とは内容は違いますが、コンサルティング会社をやりたいと思っていたのです。そして、その会長の話を聞いた後、私は会長に、「私もこういった会社に勤めていて、将来独立を考えているのだけど、会長、どう思います?」と、聞いてみたのでした。すると会長は間髪入れずに、「止めておきなさい。独立は甘いものじゃない。あなたの今のポジションも、今の会社があってこそ。その後ろ盾が無くなったら、あたなは只の人なんだよ。独立した途端、後ろ盾が無くなって、信用もゼロになるんだよ。」と、言われたのでした。

これには私はとてもショックで、とても悲しくなったのでした。これが30年以上、会社で頑張って来た現実なのかと思うと、それは空しく、それは悲しかったのでした。確かに自分も営業をしていた時は、相手の信用度合いを探っていました。大手がバックについているような顧客には、積極的に応援したりしていました。また独立した会社から受注の話を受けても、それはそれは慎重に対処していました。

これを聞いてからは、私の独立熱は一気に冷めたのでした。そしてその後、独立している人の話なんかも聞く事があったのですが、まさか今の会社と競合するような業種は避けたいですし、私の描いていたコンサルティング会社をやるにしても、当初は相当厳しい新規営業が必要と思われたでした。またそれに対する資金だって潤沢とは言えない状況でした。家族の意見だってあります。

その後も暫くの間は、色々と燻って考えていたのですが、そんな時に、私は肺炎を患い、長期入院する事になってしまいました。そして、それに呼応するように、独立は夢は消えて行ったのでした。そして病院のベッドで、またまた自分の人生のツキの無さを感じて、悲しい思いをしていたのでした。そしてこの肺炎が回復した後も、少しはまだ独立の夢は追いかけていたのですが、追い討ちを掛けるように、このテーマでもある前立腺癌が見つかったのです。これで完璧に独立の夢は絶たれたのでした。

しかし、ここでも367回目のブログのToshIの言葉では無いですが、今起こっているこの病気が続いた事で、独立を止めろと言う、何かの知らせなのだろうと思って、完全に諦める事にしたのでした。

今は、こんな考えを持っている同世代の人は、たくさんいるのでは、と思っています。しかしこの国は、良くなったとはいえ、まだまだ独立や創業をしずらい環境です。色んな知識やスキルやノウハウやネットワークを持っていて、それが社会に役立つような人達はたくさんいると思います。そんな経験を活かせないこの国の在り方って、何なのかと考えると悲しくなって来ます。自分達にそれだけの勇気と根性が無いのが原因なのは、悲しいかな分かっていますが、もう少し独立や創業のし易い環境にこの国がなってくれれば、と思ってしまいます。

独立して何か商売をやりたかったけど、やっぱり勇気が無かったのかな、と思います😅f:id:x-japanese:20230126074304j:image