前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

330.私の会社員時代、やってらんない記憶.61

この回は、この国の取引形態が徐々に変化して行った、所謂過渡期の時の話しです。昭和の時代は契約書なんて物は本当に少なく、殆どが口約束のような感じで、我々の販売や卸の会社は本当に騙される事も多かったのです。特に多かったのは「パクリ屋」と言われる詐欺でした。初めは小口の販売を依頼され数ヶ月はしっかり支払いをするのです。そして半年〜一年程そんな事を繰り返すのです。そしてある時、大口の取引が入ったので協力して欲しいと依頼があります。どんな所に販売をするのか確認したい所ですが、契約書など無いといいます。これが当たり前だったのです。そして今までの取引振りを信じて多額の販売を信用で行います。そしてまんまと騙される訳です。

弊社もこのパターンには随分と騙され、その教訓として決算書を貰うようになり、稟議制度や信用枠等を構築して来たのです。このパクリ屋は、今となっては大体のパターンが似ているので騙される事はまず無いと思います。しかし、この後遺症は随分と会社には残ったのです。これはそんな時の話です。

ある顧客でイベント関連の仕事をしている会社がありました。その販売先はアニメ系が多く、このアニメ業界は契約書等の習慣は中々構築されず、受注を貰った時には、その疎明資料(今で言うエビデンスです)が無いのでよくこのパクリ屋では無いかと疑われたのです。

しかしこの顧客は歴史はあり、今の社長は二代目でした。私と同じ歳位でありながら真摯な態度は好感が持てて、私は応援していた先だったのです。しかし唯一弱点があり、先代が購入した自社ビルの銀行からの借金が重くのしかかっており、資金繰りは中々厳しい物があったのです。しかしそんな中でも二代目は新しい販売先の開拓に尽力しており、このアニメ業界もこの二代目が取引を拡充して来たのです。そして段々とこのアニメ業界との取引が膨らんで来ます。アニメブームが始まった頃でもあり、販売は順調、利益率も良く、このまま行けばかなり財務内容も好転するだろうと期待していました。

しかし売上が増えるという事は、こちらの販売額も膨らみます。信用枠を超える販売月もしばしば発生しており、本部からも要注意としてチェックされるようになりました。そんな中、このアニメ会社から大口の受注が入ったという相談があったのです。

私は担当者と共に訪問。内容を聞くとかなりの大口の受注でした。これは中々厳しい、私でも一瞬たじろぐ程の金額でした。そして当然のように契約書等の資料はありません。しかしこのアニメ会社の名前はマニアの間ではかなり有名なのだそうです。そしてその内容の詳細をヒアリングしました。社長は私の質問に直ぐに答えられる程、アニメ業界を初め、その会社の調査をしていました。イベントについても色々と調査をしており、これは問題無いと私は感じたのです。しかしこの直感を書類にする必要があるのです。何も無い所から、店の事務、店長、そして本部の審査を納得させる資料を作るのは並大抵の事ではありません。私は出来る限り、今社長が持っている資料を預かり、作戦を立てました。しかし小手先の対応では乗り切れる案件ではありませんでした。試行錯誤を繰り返しますが、中々良い案が浮かびません。

こうなると、正面突破しか無くなります。このヒアリングした全ての事を貰った資料と共に、そのまま稟議書を作るのです。そして信用根拠は将来性と人間性我が闘争の始まりです。この案件は揉めに揉めました。事務は始めから大口過ぎて無理と腰が引けています。そしてパクリ屋の手法では無いかと疑いを掛けて来ます。リーダーや店長は、やはり信用額が大き過ぎると難色を示します。私はこの事案では決まり文句のように、「人間性と将来性に賭けたい」と言い続けました。周りからは投資じゃないんだからそんな事は出来ないとか、回収出来なかったらどうするのかとか、さまざまな後ろ向きな意見が出されました。しかし、私はこの2点に絞り、絶対にあの社長ならやってくれると言い続けました。この時は絶対にケンカはしないと決めていました。ひたすらこの2点を言い続けました。

そしてついに、店長が本部に掛け合って来ると言ってくれたのです。そして、何度か本部からも私に質問がありましたが、その2点を言い続けました。そして、無事決裁が下りたのでした。これには割と拍子抜けをしてしまいました。もっと揉める事を覚悟していのですが、この時の店長や本部の担当が前向きな人達だったからかも知れません。意外な程呆気なく決裁が取れた物ですから、今度は私が心配になってしまいました。こんな自分に、初めてやってらんね〜と、思ったものでした。

しかし決裁の話を社長にしに行くと本当に喜んでくれて、この恩は本当に忘れないと言ってくれました。この会社にはその後、私が本部に移った後に、店の応援で一度訪問した事がありました。そして久しぶりに社長に会うと私の事を覚えていてくれて、あの時はお世話になったと改めてお礼を言われました。この時ほど嬉しかった時はありませんでした。そして会社は立派に成長しており、既にビルの借金もかなり減って来ているとの事でした。

これこそ営業冥利に尽きるという事でしょう。営業の皆んなには、こんな思いをぜひ味わって欲しいといつも思っていました。

業界によって、色々な慣習が残っていたものでしたf:id:x-japanese:20220826104809j:image