前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

326.私の会社員時代、やってらんない記憶.58

顧客の販売の件では、本当によく事務とは闘争になりました。特に優良な会社ほど他社の攻勢が多くなるので、かなりシビアな論争も多くありました。

ある時、顧客から大口の受注があった時です。この顧客は弊社はまだサブ的な位置付けで、この話をゲット出来た時はメインになれるチャンスと、かなり気合が入っていました。早速、稟議書を書いてもらう為に資料を作成。事務に書類を提出しました。ある程度揉める事は覚悟していたので、時間もたっぷり取ってあったのです。

案の定、事務からは否決の報告がありました。信用額があまりにも大き過ぎるとの見解です。私はある程度その反論を用意していました。しかし事務も中々引きません。そして店長とリーダーを含めて結構大きな案件会議を開催する事になったのです。私としてな絶対に引けない案件です。稟議書に付けた資料以外にも、さまざまな補足の資料を準備、説明したのです。それについて事務は反論するだけでした。そしてその終わりには、必ず信用額が大き過ぎると言うのです。結局、信用でこの顧客には販売出来ないというのです。担保か保証金が必要と言い切りました。

これには私は違和感を感じていました。以前から感じていたのですが、なぜ営業サイドだけが資料を準備して他の連中に説明しなければならないのか、と。極論を言えば、別に自分個人の為にやっている事では無く、会社の利益になる事をやっているのです。これがこの連中の給料の元になるかも知れないのです。本来なら事務や他の連中だって、店として、どうしたら決裁を取れるかを考えるべきなのです。そして我が闘争を開始しました。否決するならその納得出来る資料を作ってくれ、と。

事務としてはそんな事はした事が無く、今までは単に信用額が大きいか少ないか、程度の判断しかしていなかったのです。当然この時も、そんな必要は無いと突っぱねられました。しかし私も引けません。営業サイドがこれ程詳細な資料を作って取組みたいと言っているのに、事務サイドはただ口頭で無理と言うだけでは不公平では無いのか、しっかり否決する根拠を資料にまとめて出してくれと言いました。会議は騒然となりました。

この案件は、この後少し時間を置く事になりました。事務方で再度吟味するとの事でした。そして改めて案件会議が行われ、結論は変わらず否決だったのです。これには店長も賛成していました。こうなれば仕方ありません。稟議の結果、会社の総意となるのは逆らえません。しかし、何とも諦めがつかない私。最後にこう言ったのです。

「否決については受け入れます。顧客にもその結果を報告します。否決の理由は、もし回収が出来なかった場合の損失が大き過ぎるという事ですね。そしてその場合、私が責任を負う事になるのというのも理解しました。それでは敢えて言わせてもらいますが、もし、この顧客が私の予想通り業績が上がり、いい会社になった場合、その頃は弊社とは取引はしてくれないでしょう。その時の私が予想した利益は、この否決により飛んでしまうのです。この損失分は一体誰が責任を負うのでしょうか?、そして否決にした責任は誰が問われるのでしょうか?。これがハッキリしないと営業としてはこれからもやってられません」。

これには会議は凍りつき、私も言い過ぎたかと少し思いましたが、これは以前から感じていた事なので敢えて言ったのでした。大体この案件の合否のシステムが不公平過ぎるのです。もし損失を出すと営業に責任を被せるなら、否決した事務にも逸失利益の責任を負わせるのが公平という物です。損失はハッキリ見えるから責任も見え易いですが、この逸失利益は見えないから良いという訳ではありません、これこそ、私はもっと真剣に議論するべきと考えていました。例えば否決した場合、その会社を3年から5年リサーチを行い、もしその間その会社が倒産とかしていなかったら、否決した事務に責任を負わせる。こうなればさらに事務方も必死に調査や審査をすると思いました。これは全社で行うべきでは無いかと提案もしたのです。

結局この私の意見は採用されずに、会社全体の合否判断も特に変更は無く、そのままでした。当然その会社とは取引解消。そしてその会社はと言うと、その後発展し今でも立派に営業を続けています。しかし私は否決の話になった時には、その後必ずこの話をしていました。その背景には、やはり実家の商売の事があったのだと思います。こんないい加減な話し合いで否決がまかり通る事が許せなかったのです。やはり、審査する方も真剣に対峙して欲しいといつも思っていました。

真剣なピーンと張り詰めた緊張感だからこそ、良い音楽が聴けるのだと思いますf:id:x-japanese:20220825231500j:image