前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

452.私の会社員時代、やってらんない記憶.103

名言集は続きますが、私は営業畑が長かったのでやはり琴線に触れるのは、営業に関係する言葉が多かったと思います。それも有名な人の言葉では無く、本当に一緒に働いていた上司や先輩の言っていた身近な言葉が、結構心にぐさりと響いたものでした。

私が新人の頃にいた店では、営業の先輩がよく格言じみた事を言っていた人がいました。そのうちの一人前シリーズが結構本当だなと思った事がありました。一つは「営業とは、顧客に断りに行って笑顔で収められたら一人前」。もう一つは「担当変更の時に顧客が泣いてくれたら一人前」です。後者については、それもあるかなと思ったのですが、前者についてはその先輩は、「断り」を「苦情処理」に変えて言っていた事もありました。私はこれが本当に信じられませんでした。お断りとか苦情処理で訪問して、顧客が笑ってくれるなんて絶対に有り得なかったからです。

しかし、これを現実に出来ていた人が数人はいたのです。一番鮮明に覚えているのは、330回目に出てきた営業のリーダーでした。この時の事案は本当に参った事案でした。VIP先の奥様を怒らせてしまい、私もなす術が無くただ狼狽えていた時に、救いの手を差し伸べてくれた人です。本来、こんな部下を救う事は当たり前と思いますが、この頃のこの会社は、こう言った人が本当に少なかったのです。

こう言った人はまずは現状把握をしっかりと行います。この時も、私が受けた案件の内容、経緯、何が出来ない原因なのか、顧客は何を怒っているのか、と詳細に聞かれました。その時の私は、VIP先を怒らせてしまった事で本当に憔悴していたので、すがる思いでリーダーに話していました。そして電話をして訪問です。玄関には鬼の形相の奥様が出て来ました。しかしその時はご主人である社長が帰って来ていたのです。これはラッキーでした。リーダーも後で、社長がいた事で楽になったと言っておりました。

そして応接室に通され、まずはこの度の失礼を謝罪。菓子折りも忘れません。そして奥様に敢えて苦情を言わせます。それに対してリーダーは共感。落ち度は弊社と担当にある事を認め、改めて謝罪します。そして奥様がある程度落ち着いた時を見計らって、今回の解決策を提案します。もちろん条件面も勉強した数字でです。そして何とかこの度の失礼を勘弁してもらえないかとお願いします。するとそこで社長が出て来ました。「こんなにお詫びもして、これだけやってくれると言うのだから、もういいじゃないか」。こうなったらリーダーのペースです。いつの間にか社長の会社の話にすり替え、社長から大口の受注をもらう事に成功。これを契機に更なるご贔屓を、などとリーダーも調子に乗り、社長夫妻は大爆笑。無事に解決出来たのでした。これはとても為になりました。私の316回目のブログの事案は、正にこの経験が役に立ったと思っています。

苦情については、まあ弊社が良い条件を提示すれば、結構解決する確率は高かったのですが、面倒なのがお断りです。これは、どこかの銀行の偉い人の言葉で「貸すも親切、貸さぬも親切」がありますが、断る事も親切なのかと感心した覚えがあります。しかし、この相手の事を思って考える事がお断りに繋がるのであれば、顧客も分かってくれると思います。これが、信用枠を超えたからとか、保証金や担保が足りないから、など、こちらの理由でのお断りは絶対に怒られるに決まっているのです。

断る事に長けてた先輩や上司というのは、私は殆ど見た事がありませんでした。なので、案件が否決となった時などは自分で考えてお断りをしていたものでした。しかし、殆どの場合は私がやりたい案件は通していたので、それ以外は私が止めた方がいいと思った案件だったのでした。なので、説得にも力が入るものです。その代表的な事案は、何と今お世話になっている会社の案件だったのでした。

その案件とは、ちょうど金融危機が叫ばれていた頃、世の中は金融機関の貸し剥がしが問題になっていた時でした。そんな時に、この会社から大口の受注の話を貰いました。その受注は、信用金額的にはそれ程問題が無く、自分や会社の業績を考えたら受けても良かった案件でした。あまり詳しく書くと良くないので書けませんが、とにかく新たな事業を立ち上げる計画を言われたのでした。しかしここで私は、この時期に新規事業を起こすのは慎重に行うべきと考えました。そして新規事業を計画している土地があったのですが、その土地は、金融機関が貸し剥がしに来た時の為にいつでもお金に変えられるように、暫くそのままにしておいた方がいいと提言したのでした。その話をした時、社長はもちろん烈火の如く怒りました。しかし私は、自分が考えた理論を丁寧に説明して、何とか分かってもらうように説明を続けたのです。しかし社長は中々許してくれませんでした。そんな交渉が数ヶ月続きました。そして、取引も解消にまでなりそうな雰囲気になったのです。

しかしその後、奥様から私宛に連絡がありました。暫く計画を凍結するという連絡でした。家族はもちろん、役員もこの新規事業には反対していたけど、社長は言う事を聞かず諦めていたのに、私が諦めさせてくれたとの電話でした。そしてその後、確かに金融機関が貸し剥がしにやって来て資金繰りが大変だったけど、最悪はあの土地を売ればいいと言う逃げ道があったので心理的に余裕があり、何とか乗り切れたのと事でした。

断って喜ばれるなんて言う事はそれ程場面は無いと思います。しかし、自分の顧客に対する思いが確実な物であれば、その思いは通じるものだと思います。やはり最後は顧客の事をどれくらい分かっているか、思っているか、考えているかに尽きると思います。

昔は味のある先輩が多かったですね。味があると言えば、こんな駅の文字もその一つ。段々と均一になって行く世の中、何か味気ないですね😵f:id:x-japanese:20230126180544j:image