前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

394.私の会社員時代、やってらんない記憶.76

入院をした時は3日間位はぐっすり眠っていました。おそらく相当に身体にダメージがあったのでしょう。点滴の効果は4日目位から出始め、かなり身体は楽になって来ました。回復して来ると、この辺りのから考える余裕が出て来ました。とにかく病院ではやる事が無く、本を読むかテレビを見るか程度。この頃はまだケータイも無く、暇な時間は必然的に、何でこんな事になってしまったんだろうと考えてしまうのです。そして今までの会社員生活を思い出し、見直す必要があるのではないかと、思うようになって来たのです。

まず最初に思ったのは「自分が居なくても会社は回る」という事でした。今までは自分が居ないと会社は回らない位に思っていて、絶対に休めない(有休は別です😅)と思っていたのです。この切迫感が肺炎まで悪化させてしまったと思いました。しかし既に数日休んでも会社は何の変わりも無く回っている事に初めて気付いたのです。まずはもう少し身体の力を抜いて働くべきではないかと、思うようになったのです。また当時セブンイレブンと言われた会社の働き方も、考えるようになりました。既に身体が悲鳴を上げて肺炎という最悪の結果まで出たのです。またあの営業のタバコ部屋です。何とかこの環境を改善するべきと思いました。

そして、あの夜勤の先生の「共感」の言葉。これがいつまでも心に残り、あの安堵感、安心感、心が満たされる感覚を忘れる事が出来ず、これを営業に取り入れる事が出来ないだろうかと考えるようになったのです。自分の対応が顧客にとって安堵感や安心感に繋がるようになれば、自分の信者を作れる位のインパクトがあるのではと思ったのです。これはこのブログの286回目に出ている店長が言っていた事に繋がるので、この「共感」を自分なりに手を加えてオリジナルにする事により、自分の営業スタイルを確立させる事が出来ないか考えるようになりました。これが第四の覚醒です。

その後、無事退院が出来、会社に復帰しました。幸運な事に働く環境については、255回目のブログのように病み上がりの間は暫く早く帰らせて貰ったので、入院中に考えた色々な施策を試してみたのです。するとそれが案外と上手く行き、前述の通り、早く帰っても業績は落とさずに営業活動が出来たのでした。そして同時に「共感」をどう営業活動に取り入れて行くか、これは中々具体的な方法が見つからず、また一言で言い表せる言葉も見つからず、暗中模索する日々が続いたのでした。顧客を実家に見立てて、どうしたら実家が安心して商売出来るのか、どうしたら実家が担当者に安心して仕事を頼めるのか、どうしたら実家の業績が上がるのか。こんな事を毎日のように考えていると、そのうちに、顧客の健康状態や日々の様子、家族の様子等も気になって来ました。特に自分が肺炎を患った事もあり、訪問した時の顧客の顔色や雰囲気については敏感になりました。

すると、家族間で毎日見ていると気が付かない事が、時折見ると気が付くという事は多々ありますが、そのような事で話題が増えて来たのです。例えば一番気が付くのは奥さんの美容院です。特に行ったばかりの時に訪問するとすぐに分かる物です。「あれ?美容院行かれました?」などと聞くと大抵の女性は嬉しいようで、その後の会話も弾みます。また顧客の痩せた太ったなどの変化は、かなり気が付く物です。「太りました?」とは中々聞けないので、「最近痩せました?」とかは良く聞くようになりました。すると、それが病気だったりした事もよくありました。

そんな中で意外と思ったのが、声でした。声の張りと言うか何と言うか、明らかにいつもの声と違う事があると、大体が体調が悪くなる兆候だったのです。自分の五感を研ぎ澄ますと、顧客の些細な変化にも気が付いて来るものでした。その後も人間観察では無いですが、顧客のちょっとした変化を見つけて尋ねてみる事をやっていました。それは身体的な事だけでは無く、外見、会社内、従業員、商品、設備、その他諸々にも及び、気が付いた事を話題にするようになって行きました。これは201回目の鉄チャンの時に経験した人間ウォッチングが基本となりました。

これを続けて行くと、私の中で一言が見つかったのです。それは月並みな言葉でしたが、顧客を「気にする」または「気に掛ける」と表しました。これが第四の覚醒でした。こんな事をやるようになると、後ろ向きな考えなど全く無くなって来ました。そして会社でのイジメなども、全く気にならなくなりました。しかし、後ろ向きになりたくなるような出来事は相変わらず多くありました。それはそれで正面から受け入れて、努力した結果であれば仕方ないと諦め、反省すべき事は反省し、前向きに考えるようになって来たのです。

そして会社内でも自分の活動は変化して行きました。顧客を自分の実家に見立てて、自分がその顧客の跡を継ぐようにイメージして、顧客を気に掛けて活動するようになると、会社内で適当な仕事をしている連中が許せなくなって来たのです。顧客は真剣なのです。特に案件については、遠慮なく意見を言ったり、事務や本部の審査と対峙する事も多くなりました。特に相手がサポタージュ的な対応をしている時には、より毅然とした態度で立ち向かって行きました。

その後、世間では何やら外資ブームと言うか、ディズニーランドとかリッツカールトンホテルとかの顧客対応が脚光を浴びて来るようになりました。顧客をゲストと呼び、感動を与えるとか、非日常とか、差別化とか、色々と言われるようになって来ました。この頃の私は、この流れに今更感を抱いていました。その後も関連した言葉はたくさん出て来ました。弊社でもそのような研修もありました。しかしこんな物は人から言われて出来る物では無いと、自分は思っていました。現に、このような事を高らかに宣言している会社でも、そこで信じられない対応を受けた経験も私はあったのです。うわべだけ繕っても、従業員の心にそれが届いて無ければ何の意味も無いのです。そして、この国は相変わらず外国からの圧力や情報に弱いと思ったのと同時に、日本にも昔から「おもてなし」という立派な文化があるのに、本当にやってらんね〜と思ったのでした。

外国ばかりでは無く、日本の良さを改めて考える必要があると思います。
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