前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

393.私の会社員時代、やってらんない記憶.75

このように何とか暗黒の世界に引き込まれる事無く、第三の覚醒により仕事にも会社にも上司にも潰させる事無く、前を向いて頑張れるようになったのでした。その後、私生活では結婚も出来、益々前を向いて、将来に向かって頑張る事が出来ました。しかし、そこにまたまた現れたのは喘息でした。無理が祟ったのかストレスからか、はたまた会社の営業室内での受動喫煙が悪かったのか、この時は急激な発作では無く、何となく息苦しい感じが続いていました。この時はタバコ全盛時代で、営業室のあまりのタバコの煙たさに、別の部屋で仕事させてもらった時もあった位でした(今なら訴訟モノだと思います😅)。そして夜になると呼吸が苦しくなり、吸入器を多用する毎日が続きました。実は喘息のこの吸入は、一日の使用制限があり、それを超えると心臓に負担が掛かったり、効きが悪くなったりするそうなのです。私の場合は連日のように使っている状態だったので、効きが段々悪くなっている感じがしていました。

そしてある日、帰って来た時からゼーゼーヒューヒューいった感じで息苦しく、吸入を多用していました。そしてその晩の事です。また苦しくなり吸入をしましたが、全く治らなくなってしまいました。更に呼吸は苦しくなり、思わず妻に「救急車を!」、と言ったのです。妻は大慌てで救急車を呼び、一緒に病院まで来てくれました。病院では夜中の救急なので何事かと、看護士さんが待機していました。急いで治療室まで連れていかれますが、苦しいので中々歩けません。するとそれを見ていた夜勤の医師が、「全く喘息位で夜中に来るなんて」と言ったのです。私は何も言えずただ処置を受けるだけ。確かに処置は簡単。点滴で、肺の気管支を拡張する薬剤を落とせば一気に楽になるのです。息苦しさも嘘のように消え、肺が楽になると同時に、筋肉痛のような痛みが残ります。こんな事が数ヶ月位続き、10回位、夜間に病院へ行きました。

発作というのは大体が夜に起きる物です。その後は発作が起きると、大体は自分で掛かりつけの病院へ車を運転して行っていたのですが、それが無理な時は救急車のお世話になったのです。そしてその都度、医師からは冷たい扱いをされ、「たかが喘息位で」という対応をされるのでした。そしてこの対応が、結構精神的に参るのです。すると段々と病院に行きたくなくなります。しかし息苦しさには敵いません。ある時の夜は限界まで息苦しさを我慢した結果、本当に息が出来ない感覚になり、気を失うような感覚になり、慌てて妻が救急車を呼んだ事もありました。その時は苦しさで家から出る事も出来ず、初めて酸素吸入なるものを施され、本当にここで死んでしまうのかと思った位でした。

救急車の場合は決まった病院では無く、受け入れてくれる病院に行くので、都度、病院も違うし医師も違うはずなのですが、喘息というと対応は同じでした。どこへ連れて行かれても「たかが喘息」と冷たい対応をされたのでした。そして点滴を受け、苦しさが治まって来ると、安堵と同時に「やってらんね〜」という気持ちが交錯するのです。本当にこの時は精神的にも体力的にもかなり辛い時期でした。

そんな事が続いたある夜の事です。また息苦しくなり、ひどくなる前に車で自分の通っている病院へ行った時の事です。病院に着いて夜間受付を済まし、いつものように椅子に座って待っていました。ひどくなる前とはいえ苦しい事は苦しいので、壁に寄り掛かっていました。するとその日は結構な人がおり、確かに私より重篤そうな患者がいます。また救急で搬送されて来る患者なんかは、ストレッチャーで治療室へ運ばれて、病院内はバタバタします。確かにここは大学病院です。他の病院もそうなのでしょう。私みたいに喘息で苦しい位で病院に来て欲しく無いと思うのは当たり前かな、と思っていたその時です。

「どうした〜?、喘息の発作か〜?」と言う声が聞こえたのです。続けて「苦しかったろう?。早く楽にしてあげるからな。さあ、こっちに来れるか?」という声が聞こえたのです。私が振り返ると、初老の医師が私に近づいて来る所でした。「さあ、大丈夫か?」とまた声を掛けてくれ、処置室まで連れていってくれました。私はこの夜間の病院では、初めてこのような声を掛けて貰ったのでした。この時、初めて自分の苦しさを理解して貰った事に、何とも言えない嬉しさを感じたのでした。この、「苦しかったろう?」の言葉が、どれくらい心に突き刺さった事か。やっと分かってくれる人に出会えたと思うと、目が潤んでくるくらいに感動したのでした。

これは心理学でいう「共感」です。共感されると心に余裕ができて来て、前向きな考えに繋がって行くと言うのです。心理学の事は第六の覚醒の時に話しますが、この時の病院の先生の言葉に私はとても感動し、その一言でどんなに癒された事か。この「分かってくれる」という気持ちがどんなに大切なのかを実感したのでした。

しかし、喘息はその後も良くはならず、結局無理が祟ったのでしょう、喘息から肺炎となり、私は入院する事になったのです。何とか会社を休まずに身体が回復しないものかと頑張ったのですが、精神的にも肉体的にも限界だったと思います。この時の気持ちがまた絶望的と言うか、もう会社人生は終わりだという感覚になったのでした。よく女性がお産の為に産休に入ると、自分は社会から取り残されていまうといった焦燥感に苛まれると聞いた事がありましたが、まさにこの時の自分はそんな感じでした。しかし、その入院が返って今までの社会人生活を見直す形となったのです。そしてここで、私の第四の覚醒が起こるのでした。

入院している病院から夕暮れを見ていると、物凄く心細くなるのは何故でしょうか。f:id:x-japanese:20221005143511j:image