前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

463.私の不思議な体験、2

今回も続けて、テレビなどでよく聞く不思議な出来事が、本当にあった話です。家族って不思議な世界で繋がっているんだなあという出来事。一つは小さい時、そして最近あった出来事を書こうと思います。

一つは私の小さい頃の話。我が家は商売をやっており、この頃は社員さんも結構いて、まあまあ活気のある会社だったのです。事務所兼自宅となっていて、その日は、我々兄弟達は夏休みで全員家にいました。事務所には、当時では珍しいクーラーなんかもあり、兄弟はよく涼みがてら、事務所と自宅を行ったり来たりしていたモノでした。その日はそれ程暑い日でも無く、私は事務所の来客用のテーブルで絵を書いて遊んでいました。すると突然電気が切れたのです。

当時は停電は良くありました。私は小さいながらも停電には慣れており、そのうち直ぐ付くだろうと思っていると、その後、直ぐに電気は付きました。しかしその後、父や社員さんが近所に確認すると、どうも停電はうちだけだったのです。それには会社内でちょっとした騒ぎになりました。その後、電気系統のチェックとかをしたそうですが、異常は無し。不思議な事もあるんだねと、その日はそれで終わりました。

その2〜3日後、突然父母が葬儀に出るので数日留守をする事を聞きます。そしてその時に母が衝撃的な話をしたのです。私も良く知っている父の実家のおじさんが、先日亡くなったとの話でした。そしてその時間が、正に家が停電した時間だったのでした。父母はそれにとても感傷的になっておりました。「きっと停電させて我々に教えてくれたんだ」と母はしみじみ言っておりました。私はその時は、この話がとても怖く感じて、子供ながらにとてもショックを感じたのを覚えています。こんな話は、よく心霊番組で聞く話ですが、その後はそんな事は起こらず、それこそ偶然停電が起きたんだと、自分に言い聞かせるようにしていました。

しかしこのような事が、暫くした最近、またあったのです。それは私の父母の話です。父母の晩年は寝たきりにはならなかったですが、入退院の繰り返し。兄夫婦が面倒を見ていましたが、ある日、母が手術の為に入院をします。そしてその入院中に、父の容体が悪化して亡くなってしまうのでした。父はその頃は体調は悪い感じでは無かったのですが、本当にあっという間に逝ってしまったのでした。しかし母は手術後で入院中。葬儀は母は参列する事が出来ない状態なので、仕方無く母欠席のまま行いました。その時はまだコロナ禍前、葬儀もしっかり行うので、その準備でてんやわんやな状態。母も術後であまりストレスを掛けるのもどうかと、事後報告をする事にしたのでした。

しかしその後です。これを母に知らせなければいけないのです。これはかなり兄弟間で話し合いました。父が死んでしまったなんて言えない。何で参列させてくれなかったのかと言うはずです。しかし現実的に参列は無理だったのです。結果的に妹がその話をする事になりました。告別式が終わり、葬儀が恙なく終了し、そしてその夜、妹が母の病院に訪れます。これは妹から聞いた話です。

何て切り出したらいいのか、母の顔をどうやって見たらいいのか、とても思い悩んで病院に向かったそうです。そして病室に入ると、そこには母がベットに寝ていました。そして妹が入って来ると、母はそれに気がつき起き上がりました。そして衝撃的な事を言ったと言うのです。

「お父さん、死んじゃったのね。何日か前にここに来て、笑ってそう言っていたよ」。この言葉を聞いたとたん、妹は号泣してしまったそうです。そして、「昨夜は、お父さん、おまえも早く来いって言ってた」と続けたそうです。そう言いながら、母もシクシク泣いていたとの事でした。

これも本当に不思議な話です。心霊現象などとは違う、何とも言えない話です。家族や親族という物は、きっと何かで繋がっているのだろうと思わずにはいられない出来事でした。

そして、最近、さらにこんな事があったのです。これはお孫ちゃんが3っ位の時の話です。この時は既に婿は単身赴任しており、娘のワンオペの時でした。コロナ禍でかなり緊張した日々を送っていた頃です。ある晩、妻の所に娘から連絡がありました。お孫ちゃんが熱性痙攣を起こし、病院に来ているとの事。私もその連絡を受け、2人ですぐさま、その病院へ向かったのでした。すると既に診察と治療が終わり、会計の所に娘がいました。お孫ちゃんはベビーカーですやすや寝ています。とりあえず一安心。その後は家まで送って、暫く様子を見ていましたが落ち着いた様子だったので、その後、我々は帰る事にしたのです。

娘と別れ、そのまま家に帰るつもりでした。夜も遅くなると、ここから我々の家に向かう電車は少なくなります。なので娘の家に来た時は、お腹とか空いても、まず地元まで帰ろうというのがいつものパターンでした。しかしなぜかその日は直ぐに帰らず、近くの食堂でご飯を食べて帰る事にしたのです。何でそんな事になったのか、私は妻に、「まあ心配だから少し娘の近くにいてあげよう」と言いながらご飯を食べていたのです。すると、妻のケータイが鳴りました。何とまたお孫ちゃんが痙攣を起こしていると言うのです。妻は直ぐに救急車を呼びました。その後は先程の病院まで駆けつけました。幸いこの痙攣も救急車の中で直ぐに収まり、病院でも様子を見てもらい、その後は帰って大丈夫との診断でした。娘はこれには、我々もいた事で凄く心強かったと言っていました。ワンオペの最中の夜のトラブルなんて、考えただけでも娘の不安さが分かります。

これには何か不思議な力が働いたと思いました。このトラブルを予想したような我々の行動には、どうやっても説明不可能なのです。これも家族の繋がりがそうさせるのでしょうか。本当に不思議な出来事でした。こんな出来事がもう少しあるので、続けて書いて行こうと思います。f:id:x-japanese:20231222173319j:image