前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

427.私の会社員時代、やってらんない記憶.90

また余計なテーマが入りましたが、またこのテーマに戻ります。このテーマ、まだまだ続きます。本当によく書く事あるなあと自分でも思っています😅。

ここでは、「運」について書こうと思います。サラリーマン生活を長くやっていると、自分を含めて、本当に「あの事さえなければ」「あいつさえ居なければ」と言った事がたくさんありました。逆に運が良くてどんどん出世していく人達も多く見ていました。私も営業、その後リーダーをやっている時に先輩や後輩から、「あの店長の下じゃ可哀想だ」「君は上司に恵まれなかったね」等と何度も言われていました。それは例のバカ店長とコンプラ店長の事です。そしてこの事については、退職した時に私の大先輩が、個人的に私の慰労会をやってくれた時に、当時の上層部の話をしてくたのです。

それはある程度は分かっていましたが、改めて聞くと本当に腑が煮えくり帰る感覚でした。特にバカ店長は学閥によって当時の事務の役員と強固なコネがあった為、私がバカ店長と闘争すればするほど、私は目をつけられていたそうなのです。またコンプラ店長は、当時の業務推進の役員の旅行やゴルフ仲間でした。その役員からも私は睨まれていたと言うのです。これには怒りを通り越えて、笑いしか出て来ませんでした。これでは出世など出来る訳が無い、何かやってらんないですね。

また、私の痛恨の出来事と言えば、このブログの273回目の事案でしょう。この事案は本当に運が悪く、その後に本部検査がやって来たのです。例年なら既に本部検査は終了していた時期だったので、言い方は悪いですが、例年通り本部検査が来ていれば見つからなかった事案だったのです。しかしそもそもは、コンプラ店長により事務全員がビビッていて、面倒な事務をやって間違えたら大変と、やりたがらなかった事に他なりません。

まあ私はこんな事があっても定年まで勤め上げられたので、それでもそれ程運が悪く無かったかな、と思っています。しかし、私の長いサラリーマン生活の中では、それは気の毒な事案がたくさんあったのです。そしてそれが原因で出世が閉ざされたり、退職して行った人もたくさんおりました。それさえ起こらなければ、この人達はどんなサラリーマン人生が待っていたのだろうと思うと、それはそれは気の毒で仕方ありませんでした。そんな事案をいくつか書こうと思います。

まず私が一番気の毒に思った先輩の話です。これは私がまだ30代前半位だったある日、関連会社の社長が店に挨拶にやって来た時の話です。大体、関連会社の社長と言うのは、本体の役員クラスの人が天下りでなっているパターンが多く、この社長も昨年まで専務をやっていた人でした。そしてもちろんその後は、店長やリーダー達で、終業後におもてなしがありました。我々は関係無いと思っていたのですが、しかしこの社長、何を言い出すかと思ったら、当時は既に若い子達には大人気だったカラオケボックスに行ってみたいと言うのです。

どうもこの社長はカラオケが大好き。行きつけのカラオケスナックはあるが、一度カラオケボックスという物に行ってみたいと言うのです。店長やリーダー達はカラオケボックスなんか知らないと大慌てです。そこで白羽の矢が立ったのが私でした。こうなると仕事など二の次です。夕方5時になるや否や、早速リーダーとある先輩と私の4人で、近隣の居酒屋で一杯引っかけ、その後、カラオケボックスに繰り出しました。店長やその他のリーダー達はその後3次会で合流する予定でした。そしてそのカラオケボックスで事件が起きたのでした。

時間もまだまだ早く、少しほろ酔い加減でカラオケボックスに入った4人、ここでもお酒とおつまみを注文して、早速カラオケの開始です。その後の3次会は店長達がセットしているので、正味1時間程、我々のおもてなしの開始です。最初は我々から適当な演歌などを歌っていました。すると社長はどうも歌いたいのではなく操作を覚えたいようでした。仕切りにやり方を聞いて来ます。当時は色々なメーカーのカラオケボックスが出始め、確かにメーカーによって操作の仕方が違い、分かりづらい部分もありました。私は社長に何度かやり方を説明、社長もやり方を覚えて、また酔いも回って来た事でご機嫌になり、歌を歌い始めました。

社長は結構最近の歌を歌っていました。私は、社長は現役の頃も新しい事にはとても熱心な人だと聞いていたので、その通りの人なんだと感心していました。社長はカラオケの操作も覚え、この他人が居ない空間でカラオケが歌える事がとても気に入ったらしく、その後もご機嫌で歌っていました。それにリーダーは一安心。そしてもう1人の先輩は、社長を盛り上げようとおおはしゃぎ。私はこの先輩が少し気になり出しました。「はしゃぎ過ぎて何かやらかさなきゃいいが、、、」。そして、、、。

リーダーがトイレに立ち、我々3人になった時、少し動きやすくなった事で、先輩は何やら機械を操作し出しました。ボリュームはどうかとか、エコーはどうかとか、社長が歌い出しているのに色々といじり出したのです。そしてその時、カラオケがプッツリと切れたのでした。それまでご機嫌で歌っていた社長は、何が起きたのかと呆然としました。そしてカラオケボックスの中はシーンとした空間に様変わり。先輩が電源を切ってしまったのが分かると、我々はまさに顔面蒼白。先輩は自分がした事が原因と分かると、申し訳ございませんと、正に土下座状態。私はただ立ちすくんでいました。そこにリーダーがトイレから帰って来ました。この場の空気が一転していた事に、リーダーは何が起こったのか理解出来ず、私と同じ、ただ立ち尽くしていました。そして社長は、「大体分かったからこれでいい。今日はありがとう」と言って帰ってしまったのでした。

これに慌てたのはリーダーです。3次会で店長や他のリーダー達が既に集まっている時間です。そして社長を追いかけて行きました。その後、我々はどうしていいかわからず、当時は連絡を取るケータイも無く、3次会の場所がどこなのかも分からず、仕方なく帰る事にしました。そして翌日、その先輩は店長やリーダーに呼び出されて、暫く別室から出て来ませんでした。その後、その先輩はすっかり元気が無くなり、周りから見てても気の毒な位、沈んでいました。

その後は私も転勤したりして時が流れ、ある時に会社の社内報でその時の先輩が定年退職した事を知りました。そして驚く事に、その時の職位があの時のままだったのでした。おそらくあのカラオケの一件が、あの先輩の人生を変えてしまったのです。あの時、たまたま私の隣にいて、店長が「おまえも一緒に行け」と言わなければ、カラオケには来ていなかったはずなのです。そうすればこんな汚点は作らずに済み、きっと、もっと出世していたに違いありません。本当に気の毒な先輩でした。

YOSHIKIは奇跡は起こすモノだと言っていますが、運もそうなんでしょうかf:id:x-japanese:20221111175232j:image