前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

294.私の会社員時代、やってらんない記憶.41

まだまだこのブログは続きますが、この会社にはこんなやってらんない連中ばかりでは無く、イカした先輩や部下ももちろんおりました。しかし私が「こいつ凄いな」と思ったその数はごく少数。ここではそのうちのイカした2人を書こうと思います。題してイカしたシリーズです😊。

1人は、私が新入社員で配属となった店の営業の先輩でした。この先輩はとにかく一匹狼的な存在で、やる事は早く仕事もデキる人でした。また中々ハンサムな男前で、女子社員にも人気がありました。業績表彰にも度々入っていて、男性社員からも人気があったのです。当時から合理的、効率的で割合と早く帰っており、それでも業績が良いものですから、上司も中々文句を言えません。またハッキリと意見を言う人でした。歯に衣着せぬ物言いは、回りから見ていてスカッとする事が多く、しかしそれでも喧嘩とかにはならないのです。良く勉強もしており、ある日、新人の私に一冊の本をくれた事もありました。それには本当に嬉しかったのを覚えています。新人の頃から、この人カッコいいなあと思っておりました。私が入社当初から結構言いたい事を言っていたのは、この先輩みたいになりたい、と思ったのもあったかも知れません。

その後私が営業部へ異動して、その行動が更に見えるようになると以前にも増して、この人凄いと思うようになったのです。一番感じたのが、会議の時でした。営業会議は月に一度、店長と営業全員と店のそれぞれのリーダーが出席するのですが、ある月、業績が上がっていない時の会議で、他のリーダーから叱責が入りました。この業績は情けないような話をしたのです。自分の若い頃の事を言い始め、とにかくだらしがないと言ったのです。するとその先輩は、「だったら見本を見せてもらいましょうよ」と突然言い出したのです。全員が口がポカーンと空き、先輩に視線が集まりました。続けて「なあ、皆んな、リーダーの営業を見て手本にしたいよなー」と、あっけらかんと言ったのです。

しかし、場の雰囲気は悪くならず、この辺りが絶妙な話し方なのです。私がこんな事を言ったら、完璧に怒らせていまうシチュエーションです。その後は営業のリーダーが、「そう言われないように頑張ろう」と会議が進んだのです。この光景を目の当たりにし、私は益々この先輩のファンになったのでした。こんな事は多々あり、その都度、カッコいいなあ、自分もあの先輩のようになりたいと思い、この先輩を真似て、モノを言うようになったと言ってもいいと思います。また後輩思いでもあり、私が初めて業績表彰に入った時にもいち早く教えてくれて、「苦労したけど良かったなあ」と言ってくれ、改めて入賞者の連絡を見てジーンとしてしまったのを覚えています。

しかしこの先輩はそれ程出世はしませんでした。この辺りは私と同じ、一匹狼的で派閥に属して居なかったからだと思っています。こういった人を出世させないでどうするんだと、その後も会社で、やってらんない事態が発生する度に思うのでした。

もう1人は、私が本部にいた時の後輩でした。私はその時は店の支援のような部署にいました。そこにその後輩はいたのです。以前からその名前と噂は知っていました。中々のアイデアマンであり、よく勉強もしている事は知っていました。そして初めて会った時の歓迎会で飲みに行った時、その後輩は自分の理想を延々と語っていたのです。その内容が、今では当たり前の「ビジネスマッチング」でした。本業だけではもはや顧客の気を引くのは無理。ビジネスの元を提供して、その見返りに受注をいただく、今こそ「ギブアンドテイク」をしっかり認識すべきだと熱く語っていたのです。

その後もその後輩は、本部の中でさまざな提案をしていました。その中でも私が驚いたのは「フィービジネス」と言う言葉でした。顧客が喜ぶ情報はお金を取ってもいいという思考でした。こちらがどんどんと情報提供をしてその見返りに手数料を貰うというのです。この担当は、これからは本業だけでは食べて行けない時代が来る、2本目の柱としてフィービジネスを取り入れるべきだと、その後社長に提案。フィービジネスを新規業務として開始させたのです。これには私は「こんな凄い奴がいたのか」と驚いたのを覚えています。

しかしこの後輩はやはりそれ程出世しませんでした。おそらく目立ち過ぎたのです。その後、このフィービジネスは一定の効果と利益を上げていました。これは業績表彰よりも私は凄い事だと思いましたし、論功行賞もので昇進させて当然と思いました。さらにこの後輩は、続けてもう一つの新規業務を考えていたのです。この後輩は既に経営者の考え方で、やはり実家は商売をやっていたのです。昔、顧客が「商売人の息子は商売をやるべきだ」と言っていたのを思い出しました。

この後輩も、その後は出世は出来ず、何とその後、店へ転勤させられてしまいました。この時、この後輩の気持ちを察すると、何にも言えませんでした。そして転勤する当日、その後輩は私に一言、「これって左遷ですかね!」と言い残し、去って行きました。そしてその後、その後輩は直ぐに退職をしてしまいました。これには私は、会社は大きな人材を失ったと思いました。

サラリーマンの世界って何なんでしょうか。以前に聞いた顧客のアドバイスの通りになった事に(278回目をご覧下さい)、自分の事も含め結構ショックだったのです。退職して2年、その後も特にこの会社の事は聞きませんし、コロナ禍もあるので、後輩達との飲み会等も無く、この会社が現在どうなっているのかは分かりません。それでも会社は回っているのでしょう。何か、やってられない感情を抱くのは私だけでしょうか。

イデアが雲のように湧き上がる感覚、これはやはり普通のサラリーマンでは無理、経営者の感覚だと思いますf:id:x-japanese:20220820095855j:image