前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

390.私の会社員時代、やってらんない記憶.73

失敗の事を書いていると、何だか心が沈んで来ました。やっぱり後ろ向きの話ばかりでは、人間元気が無くなってくる気持ちになってしまいますよね。言霊とはよく言った物で、そんな事ばかり書いたり言ったりしていると、本当にそのようになっていまうというのは、私の経験からも感じる所です。やはり前向き人は魅力的ですし仕事もデキる人も多く、人も付いてくるものです。とにかくまずは前を向く事が重要なのです。

業界のコンサルタントの、私の好きな先生が言っていた言葉に、こんな事がありました。「研修で質問を受付けると、必ず失敗事例を聞く人がいるが、何の意味があるのか不明である。失敗談を聞いてどうするつもりなのか。そんな暇があるなら成功談をたくさん聞いて、もっと勉強するべきだ」、と言うのです。「また、失敗事例を聞くと、そうしないようにしよう、という後ろ向きの考えになる。成功事例を聞いていると、そうしようという前向きな考えになる。しないようにする、と、しようとする、この正反対の考えになる事が大きな違いである」、と言うのです。私はまさにその通りだと思いました。

因みにこの方、その後、テレビにも出たりするようになり、結構色んな所で活躍していたのでした。しかし、暫くすると自分の退職も関係してか、その方の名前を聞く事はなくなりました。その後は特に気にもしていませんでしたが、後日何と、その方がコンプライアンスの餌食となっていたのが分かったのです。内容は、役所への書類申請の手順が違うという事が問題という(この方法もコロコロと変わるので現場の人からすると、いちいち覚えてられないといったモノでした)、下らないコンプラ事案でした。手順が違うリスクとこの方の業界に対する影響力を考えた場合、明らかに業界の損失だと思います。しかし手順が違う=法令違反、コンプラ違反となり、格好の突っ込む材料になります。手順と言ったって、本当に下らない「写真が先か、書類が先か、レベルのそれが何か?」と、誰もが思う事案なのです。

おそらくこの方も、少し目立ち過ぎてしまい回りの男達の嫉妬にやられたんだ思います。コンプラとは今や、気に入らない相手を引きずり落とす手段のような気がしてなりません。人間、誰だって叩けば埃が出るものです。また、長い間生きていれば、清廉潔白な人間なんて居ないのでは無いかと、私は思っています。気に入らない人間がいたら、何かしら埃を見つけてコンプラ違反だと騒げば、その相手は失脚する。最近この国ではこんな事案が多いと感じるのは私だけでしょうか。こんな事ばかりに頭が行っているから、少しでも出た杭はすぐに打たれてしまい、優秀な人間が追い落とされて、その結果が、我が国の失われた30年になっていると思います。

極論かもしれませんが、埃の出ないような連中(私から言わせると、何もしない連中という事です)がコンプライアンスの世界では生き残り、結果そういった連中が偉くなって行くのでしょう。しかしそんな連中に組織の運営が出来るのでしょうか。人を動かすという事は知識もそうですが、人間の器が必要です。それには経験が必要です。器とは経験が多ければ多いほど大きくなる物ですし、比例して失敗や間違いも多くなります。そんな経験の無いコンプラ人間が偉くなった所で、人は付いて行くのでしょうか?。これには色々異議はあるとは思いますが、この時私は久しぶりに、やってらんね〜と思ったのでした。

またまたコンプライアンスの話になってしまいましたが話を元に戻して、私も若い頃は恥ずかしながら失敗談を聞いていた部類でした。そして当時はこの方の言う通り、考え方が後ろ向きになり仕事は上手く行っていませんでした。「どうしたら失敗しないのだろう」「失敗したらどうしよう」「どうせうまく行かないに決まっている」とか、とにかくマイナス思考の人間でした。こう言った思考では仕事していても楽しいはずがありません。反対に前向きな話は、気持ちも前向きにします。これから少しの間、そんな私が、如何にして前向きな考えを持つようになって行ったのかを書きたいと思います。

まずは私の幼少の頃の話です。私は小さい頃からの持病がありました。小児喘息です。しかしそれ程重篤という訳では無く、今で言う気象病のようなもので、季節の変わり目や気圧の変動や気温の変動により、特に夜に発作が起き、吸入をしたり病院へ行ったりする日々が続きました。その都度、父や母は心配して、私にはあまり無理をさせないように心掛けていたそうです。何をやるにしても「無理するな」「また喘息が出る」とかよく言われていました。また当時の医学界も喘息についての研究はまだまだ進んでおらず、毎月の注射や投薬には通っていましたが、いつも無理をしない事や身体を冷やさない事を言われ、何とプールは禁止と言われていたのです。なので未だに私は泳げません😵。今では逆にプールは推奨されてますよね😳。運動もそんな感じで無理をしなかったので、運動神経も良い方ではありませんでした。

そんな環境で育って行くと、自分は何も出来ないんだとか、頑張っても喘息が邪魔をするんだとか、被害者意識と言うか、どうせ自分なんか、といった思考が産まれて来るものです。そんな中でも幸い友人や担任の先生には恵まれて、大したイジメにも合わず平穏な学生生活を送る事が出来ました。特に小学生高学年の時の担任の先生が、私を随分と気に掛けてくれて、自信を付けてくれたのでした(はやり先生の影響って大きいと思います)。まあ、その時は小児喘息も随分と影を潜め、発作が出る事もかなり少なくなって来た時期と重なったのもありました。しかし幼い頃から植え付けられた、何というか、劣等感のような物は中々消えず、それ以降も肝心な時にもうひと頑張りが効かず、いつも後悔する日々が続いたのでした。

そんな時にこのブログの179回目の出来事が起きたのでした。この事件こそ、それまで燻っていた自分への情けなさを認識させ、後悔の無いようにしなければという信念のような物が湧いて来たのです。これが第一段階の私の覚醒でした。それ以降は「後悔先に立たず」を座右の銘にして、中学、高校と、今までの遅れを取り戻すかのような生活をするようになりました。しかし喘息はそんな私に再びやって来たのでした。

SLを見に行く度に「後悔先に立たず」という言葉が浮かんできますf:id:x-japanese:20230114162444j:image