前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

268.私の会社員時代、やってらんない記憶.20

困った奴は本当に多く、書き始めたらキリが無くなって来ました。あと3っ程書いで終わろうと思います。

何かあると逃げる上司も困ったものでした。気がつくと、本当にその現場から居なくなってしまうのです。そして、この逃げるタイミングが絶妙なのが感心する所なのです。それは一種の特技のようでした。何か起こりそう予感がするのでしょう。その野生的な勘でそれを感じ取ると、どこかに居なくなってしまうのです。その逃げる瞬間を見た同僚が言ってましたが、まるで水槽を泳ぐ海老のようだったと言ってました。こちらの方を向きながら、背中を丸めてバックして我々から遠ざかっていく姿は、まさに海老が泳いで危険から逃げていく様にそっくりだったとの事。その後、その上司は、我々から影でエビと言われていました。こういった、エビ社員は結構いました。

また決断力の無い上司も困ったものでした。ある日、比較的大きな顧客から、急な受注が入りました。その受注額が信用の枠を超えており、更に用意する日が僅か1週間程度しかありません。これは厳しいという状況となってしまいました。信用枠とは、受注を繰り返しくれる顧客はいちいち稟議書を作るのが面倒な為、予め信用枠という上限額を設けて、それ以内の販売額ならスルーして行えるものです。そう言った顧客はただでさえ信用額が大きいので、それを超えるとなると確かに難しい案件にはなってしまうのです。しかし理由を聞くと、テレビ局から思わぬイベントが飛び込んで来てこれに対応すれば、その後の安定受注に繋がるとの話しでした。これは協力しない訳にはいかない。弊社をメインとして貰えるチャンスでもあったのです。そして大急ぎで稟議書を作成、事務方にも協力してもらい、直ぐに本部へ送る手筈が整いました。しかし予想しなかった事が。

この時の店長は転勤当時からお堅そうな人で、暫くは幸運な事に難しい案件はありませんでした。しかしこの時、その本性が現れました。決断が出来ないのです。しかし時間は確実に経って行きます。本部だって審査する時間があるので、早く送ってくれと言っています。しかし一向に稟議書に印鑑を押しません。私は業を煮やし店長に、どうするつもりなのか尋ねました。このままにしておいても事は進みません。否決ならそれこそ早く顧客に知らせなければなりません。しかし、まだ悩んでいます。そして私は、これ以上遅れたら本部決裁に間に合わないと判断して、店長に直談判したのです。「店長が判断付かないのなら、私が本部へ直接説明に行きます」。当時ラッキーな事に本部の審査部に、私の仲の良い同期がいたのです。その同期には既に相談してあったので、その方が早いと思ったのです。そしてすぐに同期に連絡を取り、明日の朝一番で本部に行くアポイントを取りました。

しかし、またまた予想しなかった事が。翌朝会社に行って早速本部に行く準備をしていると、店長がやって来ました。すると本部へ行くなとの指示です。続けて、今朝電話して断っておいたとの言葉。これには唖然として、空いた口が塞がらないとはこの事かと思いました。それならば稟議はどうするのか、印鑑を押してくれるのかと聞いても、その判断はまだ出来ていないとの回答。さすがに私も声を荒げ、「このままでは間に合わないではないですか!、やるのかやらないのか、ハッキリしないと大変な事になりますよ!」と言いましたが、店長はその場を後にしました。その後も暫くは稟議書は店長の机の上に置きっぱなしでした。そして、ついにタイムアップ。今日中に本部に書類を送らないと、希望日の決裁、そして出荷は間に合いません。

私は急いで顧客に訪問。出荷日を遅らせる事は出来ないか、交渉に行きました。すると余裕を持って一日早くお願いしていたとの事。急いで店に戻り、店長に再度直訴。やっとの事で印鑑を押し本部へ送りました。本部では私の同期が素早く動いてくれて、ギリギリの決裁となったのです。その後もこの店長はこんな感じで日々の業務に当たっていました。この一件から店の営業の雰囲気は格段に悪くなり士気も下がり、業績はどんどんと落ちて行きました。

本当にやってられない、何でこんな奴が店長になるのかが不思議でしたが、その後、こいつはある役員の旅行仲間だという事が分かりました。そしてこの頃から、私は誰の派閥にも入っていなかったので、この会社での出世は無理だなと思うようになったのです。

この社会にはアトムのような正義の味方はいないのでしょうかf:id:x-japanese:20220808115502j:image