前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

310.私の会社員時代、やってらんない記憶.49

このスリル満点シリーズの最後は、詐欺事件に合いそうになった件です。私は自慢じゃないですが、代金の回収で取りっぱぐれた事は殆ど無かったのですが、この一件は危うく千万単位で回収不能となる所だったのです。

それはある日の新規開拓から始まります。私が中堅の頃、ある会社に飛び込み営業を掛けていました。まだ小さな事務所でしたが数回訪問の末、社長に面会が出来、案件を貰ったのです。しかしその時は信用金額がそれ程大きく無かったにも関わらず、本部で否決となってしまったのです。後日、残念な結果を伝えると、仕方が無いと文句は言っていましたが納得してもらいました。

そして5年近くが経過、同僚の担当者が、顧客から紹介をして貰った会社がある、と言って私の所にやって来ました。それはその断った会社だったのです。そしてビックリした事に、当時の売上がその時の数十倍になっていたのです。事務所も移転、駅近くの立派なビルに移っていました。上司と挨拶に行くと広いフロアに従業員が大勢。社長が出て来くると、私の事を覚えていました。私は本心から、「立派になりましたねー」と言うと社長はまんざらでも無さそうで、「君は見る目が無かったね」と言ったのです。しかし紹介と言う事で、小ロットながら取引をくれたのでした。それからは毎月少しではありましたが、注文をくれていました。競合も多く、事務所では何社もの営業と顔を合わせました。私は、他社の営業同士でも時折情報交換とかはしていました。すると結構な条件で取引している事が分かりました。弊社はそれ程条件も良く無かったので、小ロットのお付き合い程度で、その後も推移していました。

しかし私はある時、何となく違和感を感じました。新規顧客には当初は決算書を貰ったり、試算表を貰ったり、弊社は色々と固い所があったにも拘らず、経理担当がホイホイと書類をくれるのです。普通、新規の取引会社は、この対応に不快感を示す事が多いのです。このようないい会社になればなるほど、それは顕著に現れていました。当時は特にバブル経済が終わったとは言え、まだまだ景気は良かったのです。また弊社のような販売会社は幾らでもありました。社長や経理担当からは、「面倒だな〜、他社に頼むからもういいよ!」などと言われるのはザラで、その都度苦労していたのでした。

そんなある日、経理担当から連絡がありました。今月は大口の依頼があるのでお願い出来るかとの電話でした。その金額は稟議が必要だっ為、必要な資料を事務に確認して、訪問した時にその内容を告げました。そして、前述のように少し引っ掛かる所があった為、本来不要な書類も試しに頼んでみたのです。すると、経理担当から、既に弊社からの依頼が分かっていたように、まさにホイホイと資料が出て来ました。私が試しに言った資料は後から届ける事になりましたが、ほぼ完璧に書類がその場で揃いました。今までの取引振りや、貰った資料の数字を見ると、このまま受けて稟議を上げれば恐らく否決になる事は無いと思われました。しかし、何か解せない感情が消えないのです。前から感じていた物が段々と大きくなって来るのでした。

そして頼んでいた資料も、その後郵送で届きました。書類は完璧です。しかし私は稟議を上げる気になりませんでした。ここに来てなぜ急に弊社なんだろうと言う疑問が消えませんでした。他社の営業は、今後も幾らでも販売すると言っていたのに、条件の悪い弊社にわざわざ頼む意味って何なんだろう。そしてなぜこんなにポンポンと資料が出て来るのだろう。特に私の依頼した資料は面倒だと思うのですが、それでも用意してくれると言うのは何なんだろう。最後に決め手となったのは、急激な会社の拡大でした。こんなに急激に会社を大きくして資金繰りは大丈夫なのかと、取引の時に感じていた事もここに来て再び気になり、どうにも納得出来ず、私はついに断る事にしたのです。断るなら早い方がいいと、理由は在庫が無い事にして翌日、今月の販売が出来ない事を説明に行きました。弊社の落ち度ですと、経理担当には平謝りしました。経理担当は「そう」の一言。特に叱責とかはありませんでした。この辺りも本当に怪しかったのです。

そして翌月、先月はそんな事があり売上はゼロでしたが、先々月の集金に訪問した時です。何やらその会社が入るビルの前に大勢の人がいました。何だろうと思いながら、私はその会社のフロアに向かいました。すると信じられない光景が広がっていました。受付のドアは空いたままで人がたくさん押し寄せていました。中のフロアまで丸見えでそこにも人が大勢。何事かと思い、そのうちの1人に尋ねました。するとその人は銀行員の人で、「今日、不渡を出しそうとの情報を聞いてここに来た」と言っていました。不渡?と聞きなれない言葉に一瞬躊躇しましたが、そのまま経理の所まで人を掻き分けて進みました。

するとそこには経理担当の下で働いていた初老の男性が、大勢の対応に追われていました。この人は全く知らないらしく、今朝来たら、社長も経理担当も来ていなかったとの事でした。そして間もなく電話がありました。それは銀行からで、資金不足で3時までに入金が無ければ不渡との連絡でした。その額は億単位でした。この男性は何も分からないとの事で、印鑑も当然持っておらず、時を待たずして不渡は決定的でした。それが知れた途端、罵声の嵐が響きました。私も数十万円と小口ではありましたが、回収不能が発生してしまいました。急いで店に報告。そして帰りました。

その後、この会社の詐欺事件が新聞沙汰になりました。沢山の販売会社を初め、銀行に至るまで回収不能となったようでした。そんな中でも弊社は数十万円で済んだ事には、本部からもその程度で収まって良かったとお褒めの言葉を貰えました。店でもその話でに持ち切りになったのですが、私がその時に、幻となった大口受注の件を初めて話したのです。本当はもっと大きな金額を回収不能となっていたかも知れない、私がこの損失を出さないようにしたのだと、少々天狗になって話しました。当然に褒められると思ったのです。それを知ると確かに店の連中は更なる賞賛の声を上げました。私はちょっと有頂天になり、どんなもんだいといった態度を取っていました。

するとその後、店長から別室に呼ばれました。私は何か特別表彰でもくれるのかと思い、別室に入りました。店長はまずは私に損失を出さなかった感謝と御礼の言葉をくれました。しかしその後は叱責されたのです。勝手に断った事についてでした。仕事は1人でする物では無い、会社の代表として営業をしているのだから、今後は、自分の一存では無く会社の総意で判断して欲しいとの事でした。私はこの言葉にはかなりのインパクトがありました。また中堅にもなり業績も良く、少し肩で風を切っている状態でもあったので、この注意は結構心に響いたのです。

店長はその時、ある顧客に飾ってある訓示を見せてくれました。自分の好きな訓示だから、君にもあげようとくれたのです。そのには「焦るな、腐るな、逃げるな、威張るな、怠るな」と書いてありました。元の訓示を自分なりに変えた物らしいのですが、この言葉が私の心にジーンと響きました。こういった店長にはついて行きたくなる物です。この店長は282回目の店長と同じ人で、数少ない尊敬出来る店長でした。

この頃はいい上司に恵まれていました。伸び伸びと気持ちよく仕事も出来ていましたf:id:x-japanese:20221110072838j:image