前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

252.私の会社員時代、やってらんない記憶.7

その後、私は彼女と結婚。当時としてもまあ早い方だったと思います。それがまたイジメられる原因となりました。有給についてもそんな感じで、今まで以上にうるさく感じました。

結婚後のある年、円高が進んだ事により随分と海外旅行が安くなった事に気が付きました。夏休みの前のハワイ旅行なんかは、平均的な6日間のパックなら6万円代で行ける位でした。これは沖縄や北海道に行くより安い。私は妻とその年の夏はハワイに行こうと計画を立てました。しかし、これだけ安ければ競争率も高くなるのは必須です。早い旅行会社は、GW商戦が終わる5月初旬から予約が始まりました。例年、この会社は夏休みはあるのですが特にお盆は関係無い為、7月から8月の間でそれぞれが決められた日数を休むという方式でした。そしてその夏休み管理表がある訳ですが、それが回って来るのが大体6月の中旬頃でした。こんな頃では予約もままならないと思い、私はGWが明けた翌週に、上司に夏休み管理表を回して欲しいと直訴しました。するとまたまた案の定、烈火の如く怒られました。「GWが終わったばかりでもう夏休みか!」、と言った具合でした。私が「既に夏の長期旅行の予約は始まっているので」と言うと、問題外とばかりに無視されてしまいました。

仕方無しに旅行会社で予約だけ入れ、キャンセル料が発生する頃に再度、夏休み管理表の話をしたところ、今度は渋々回してくれました。そしてまだ私は下っ端の営業であったので、先輩達に確認してから管理表に一番に印をつけました。この時、一体この会社の人達は夏休み、何をやっているのだろうと思いました。この数年間、私はまだ会社にも慣れず、精神的にもキツい状態でしたから、中々長期の旅行に行くような気力になれず気がつきませんでしたが、既に6月の下旬になると言うのに、この管理表に印を付けていたのは私だけでした。これに「なんか寂しい人達が多くてやってらんね〜」と思いました。

そして、この頃は営業になって3年が経過しようかと言う頃でした。私へのイジメはどうなっていたかと言うと、意外にも環境が良くなって来ていたのでした。私の会社は歴史は古く、社員もかなり大勢います。また営業所も都心中心ですが結構あり、それなりに新規採用や転勤があったのです。見回すと、後輩が増えています。そして嫌味な先輩達の数人は転勤で居なくなっていました。私も営業中堅となり、数字もまあまあ取れるようになって来ました。お堅いリーダーや上司は残っていましたが、随分と私の勢力が増して来た感じになりました。この時気がつきました。イジメられていても環境は変わっていく物なんだと。石の上にも3年とは良く言ったものだと思いました。この頃は既に会社を辞めたいとか思わなくなり、少しずつですが仕事の面白さも分かるようになっていました。

そして翌年の夏休みです。また同じようにハワイに行く計画を立てた私達。今度は月曜日から金曜日まで一気に取って、土日と合わせ9日間の予約をしました。労務規定では連続休暇は認められており、特に違反では無い事を確認していました。しかし驚く事に、連続で取っている人は誰一人おらず、おそらく私がこの店で初めて連続休暇の取得申請を出したと思います。夏休みは6日間取れるのですが、皆さん、ご丁寧に7月に2日から3日、8月に4日から3日という取り方をしていたのです。

そしてこの年も6月半ば頃に夏休み管理表が回って来ました。私は躊躇せず印を押しました。すると暫くしたある日、また上司から別室へ呼ばれました。もちろん夏休みの連続休暇の事でした。これは認められないという上司に私は、規定では認められていると反論しました。しかし、君が休んでいる間に何かあった場合に対応する期間が長過ぎると言う見解で、いくらお願いしても却下されてしまったのです。

こうなったら強行手段しかありません。旅行は計画通りに実行する事にし、お客様にもその週はいない事を伝えて旅行に行ったのでした。途中、出勤予定だった日には現地から国際電話で、旅行会社の手違いで航空券が手配されて無かったと会社に連絡しました。翌週の月曜日、とりあえず迷惑を掛けたフリをして平身低頭で出社し店長や上司にお詫びに行きました。すると本当に心配していた様子で、返って悪い事をしてしまったと反省してしまった位でした。

この時、この人達は本当はいい人達なんだと思いました。ただ会社人間だけで、そこは私と相入れないだけなんだと思うようになったのです。その店長や上司はその後はやはり転勤して行きました。そして、その後は私も段々と中堅の域になって行き、いつのまにかイジメに会う事も無くなっていました。しかしこの休暇や旅行絡みでは、この後も嫉妬の混ざったようなイヤミと言うか嫌がらせと言うか、そう言った物は続くのでした。

結婚して2人になった事で、何とかキツい時代を乗り越える事が出来ました。f:id:x-japanese:20220831080935j:image