前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

291.私の会社員時代、やってらんない記憶.38

さて、このシリーズの続きです。この他にも、お付き合いのゴマスリ社員もたくさんいました。特に多かったのは日頃のお酒や麻雀の付き合いはもちろん、その他にも土日のゴルフ、夏休み等の旅行もありました。まさに、プライベートな時間を削ってまで上司に尽くす姿は、私に取って驚愕ものでした。私もゴルフは無理矢理付き合わされてはいましたが、夏休み等を削ってまで会社の連中と旅行というのは考えられませんでした。私は結婚をし子供が産まれてからという物は、なるべくプライベートは邪魔されたく無いと思っていたので、本当に付き合いの悪い奴だと思われていました。そしてそんな中でも、超極め付けのゴマスリ営業マンの事を書こうと思います。

それは何と私の会社の社員では無く、ある会社の社長なのです。ゴマスリがここまで徹底されると、それは正に感動ものでした。この社長は不動産屋さんの社長でした。我々とは直接は関係無いのですが、ある年に資産家が集まる忘年会があり、私の顧客がその年の幹事になったので、付き合いで参加する事になったのです。その忘年会はスポンサーがおり、その資産家達の所有するマンションやアパートを管理している不動産屋さんの社長が、司会進行も兼ねてやるという物でした。この社長が超ゴマスリと言うか、人たらしと言うか、ヨイショの達人と言うか、とにかく凄いのです。

この社長はその昔、農協に勤めていたようで、所謂、金融機関上がりの人だったのです。その時に、担当していた資産家の管理をする会社を立ち上げ、脱サラして今日に至るようなのです。その日、初めて見たこの社長、見てくれはとても怖い感じの方で、我々はとても話しかけられない感じの人でした。しかし忘年会が始まるとその表情は一変。まるで関西の漫才師かと言った話し方。場は大盛り上がり。全ての参加者の名前、趣味趣向はもちろん、最近のエピソードまでしっかり暗記。参加者一人一人にヨイショをして回ります。ビンゴ大会、クイズ大会では所狭しと動き回り、お酒のお酌は必ずして回ります。その時は歯の浮くようなお世辞の数々。そしてカラオケではプロ級の歌声。参加者の機嫌が悪くなるようなら、すかさず飛んで行ってご機嫌取り。それでも収まらなければ笑いを取りながら土下座のパフォーマンス。若い参加者にはバカだチョンだと言われ笑われ、それでもニコニコして相手をしていました。そして必ず離れ際に「〇〇不動産をよろしく」と言っています。そして関係の無い私の処にまで来て、感謝の言葉を言って行きました。

私は終始この社長の一挙手一投足を見ていました。それはまさに感動ものでした。さすがに金融機関出身だけの事はある、本当に凄いと思いました。我々の先輩達はこの社長の足元にも及ばないと思ってしまったのです。ここまで来ると営業の神様に見えて来たのです。この社長、農協の社員の時もこんな感じで営業をしていたのだろう、さぞ業績を伸ばしたのだろうと思いました。どうせゴマスリをやるなら、ここまでやるべきなんだろうと思ったのでした。

この時以来、会社の先輩達が色々やっているゴマスリがとても貧弱に見えて、本当に格好悪く見えてしまい、哀れに見えてしょうがありませんでした。そして、驚いた事にこの社長、その後のある日、私が交差点で信号待ちをしていた時に車が目の前に止まりました。窓が開くと「先日はどうも」と言って走り去って行ったのです。一回しか合っておらず、資産家でも無い私にまで挨拶をするなんて、なんという人ったらし。この社長は私の営業スタイルにとても大きな影響を与えたのです。私は敢えてこの社長のスーパーサラリーマンぶりを、ゴマスリっぽく無く真似る事は出来ないか考えるようになったのです。その後、あの時の社長のやっていた事を思い出し、私仕様にアップグレードさせて、したくない物は取り除き、これがまた私の営業の武器になったのです。

世の中にはもっともっと凄い人がいると、この一件から何事においても思うようになったのでした。

何事も、あの人のようになりたい、と言うお手本の人がいると人は育つものですf:id:x-japanese:20220811130215j:image