前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

122.私のX-JAPAN奮闘記11

この年も仕事もプライベートもXのお陰で充実した日々を送っていました。そんなある日の朝、通勤途中で後輩に会いました。すると突然「X、解散するんですか?」の質問が。一瞬何を聞いたんだって思い、朝からふざけるなと怒りました。しかしその後輩は、週刊誌に載っていたと説明してくれました。その日は仕事どころでは無くなり、朝営業に行くと言って本屋に立ち寄り、その写真週刊誌を買いました。写真にはTOSHIが映っていました。昨年頃から囁かれ始めたYOSHIKIとの不仲説が本当なのか、でもこの週刊誌には解散は憶測のように書いてありました。こういった出まかせで週刊誌を売っているのは昔からよくありました。Xは今が絶頂期、だからこんな記事を書いて販売促進か、と、逆にこの出版社に腹が立ったのを覚えています。しかしこの時、既にTOSHIが脱退していたというのを、この年の後半で知る事になりました。

ひとまず解散という決定的な言葉は無かったので、一安心。しかし、その後もなんとなくそのような芸能ニュースや噂が出回り初めました。火の無い所に煙は立たないという事か、そのニュースは段々と大きくなっているように感じていました。

そして、夏が終わる頃、衝撃のニュースが飛び込んで来ました。噂通り、Xが解散するというニュースです。そしてあの運命の9月22日、記者会見という形でXの解散が報じられました。先日の後輩から解散の話を聞いた時には、既にTOSHIは脱退していた事を初めて知りました。私はこれを夜のニュースで見て、涙が止まりませんでした。そしてその後は放心状態。あまりのショックでXに関する話題には殆ど反応出来なくなってしまったようでした。いい歳をした叔父さんが、本当このようになってしまったのです。この後、どうして行けばいいのだろう。絶望的な気持ちになりました。しかし、私には家族がいました。まだ幼い2人の子供がいます。自分がこんな事じゃ駄目だと思い、何とか正常な気持ちに戻せました。もし、私が一人だったら、あの後どうなったんだろうと思うと、未だにちょっと恐ろしくなります。思えば、私が見たライブは、最後のXのライブだったのかと思うと、只々泣けてきたのを覚えています。

その後はXの話題はほぼ封印。もちろんラストライブは取れる訳無かったでしょうが、申し込まず。最後に紅白歌合戦に出るというので、その「Forever Love」を聞きました。さすがにこの時は家族の連中もしんみりと聞いてくれました。しかし私は最後のこの曲は、本当に酷いと思いました。確かにあのライブの後、それもラストライブですから、精も魂も尽き果てているとは思いますが、長い間Xのファンとしての立場で言わせてもらうと、紅白で歌うのですし解散という注目度が違います。それは酷いの一言でした。それを見たら、少し心が落ち着きました。そうです、絶頂期から急転直下とはこの事か、Xはもうこれで終わりと決心が付きました。自分はこのバンドに助けられて癒され頑張って来たけど、これからは子供の為に自分が頑張って行かないとと思いました。自分が頼られるようになって行かないと、と思い、新しい年を向かえるにあたり、そうなるように決意する事に決めました。

ライブになると色んなバンドや芸能人からお花が届きますf:id:x-japanese:20210911204915j:image