前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

123.私のX-JAPAN奮闘記12

翌年、X-JAPANの軌跡というラストライブのテレビを放映するのを知りました。私はこれはビデオに録画し、少し時をおいてある休日、じっくりと見る事にしました。このビデオはどこかに紛失してしまったので一回しか見てないのですが、これを見てXのファンを完全にやめようと思っていました。内容はラストライブの映像とともにメンバーのインタビューが入るという形式だったと思います。とにかく、ラストライブの最後の曲、「THE LAST SONG」のエンディングでYOSHIKIのピアノに合わせるように、メンバーがひとりずつ去っていく光景は涙無しには見れませんでした。その番組でYOSHIKIの自分に対する自信の凄さや、ファンに対する想い、ロックなのにテレビに出ようとした理由、海外進出を考えていた事など、またこの5人の出会い等を初めて知りました。やっぱり凄い連中だったんだと改めて思ったのを覚えています。そして、更に悲しい事に、このラストライブはHIDEの最後のステージでもあったのです。

そしてこのビデオだったかは定かでは無いのですが、HIDEがやたらに、Xの後はおれがやらなきゃ的な、Xのファンはおれが面倒みなきゃみたいな、ファンの事を凄く心配している映像があり、その言葉を凄く印象的に覚えています。そしてその後は、このHIDEだけが目立った活動を続けていて「ROCKET DIVE」がヒット、続けて「ピンク スパイダー」を出して行くという非常にアグレッシブな行動をしていました。このHIDEだってXの解散は相当ストレスなんだろう、あまり無理しないで欲しいなあと、本気で思っていました。

自分はと言うと、もうファンは止めたと思っていましたが、いつのまにかまた曲を聴いている事が多く、その後は別に無理して止める事は無いか、HIDEも頑張っているんだし、自然体で行こうという風に対応を変えて行きました。そしてある日事件が起こりました。

その時はゴールデンウィークの真っ最中。子供達と近所に遊びに行き、早々とお風呂に入れていた時です。いきなり妻がバタバタと脱衣所に飛び込んで来ました。そして風呂の扉を開けると「XのHIDEが死んじゃったって、今テレビでやってるよ」と叫びました。一瞬何が起きたか理解出来ず、とりあえず風呂に備え付けてあったラジオを付けました。するとちょうど夕方のニュースが始まりました。その第一報がそれでした。それを聞いて身体が固っていくような緊張が走りました。そして風呂から上がり、テレビ番組を片っ端から代えて行きました。そして、その続報をやっている番組を見つけて、じっと見ていました。自殺か?との見出しが出ていました。まだ詳細は不明との事でそれ以上は分からなかったのですが「これで本当に終わってしまった」と思いました。そして、あの時感じたHIDEへの違和感が現実になった事に、やはり無理していたんだろうと思いました。Xの解散の悲しみをファンに感じさせない為に、自分が頑張って行くという重責を一手に引き受けていたんだろうと思いました。

その後、HIDEの葬儀の映像がテレビで流れていました。とても見れないと思い敢えて見ませんでした。しかしその葬儀の列が延々と数㎞続く様子は、こんな葬儀は史上稀であるとのコメントが多く、今更ながらXの凄さに気がつくのでした。その時のYOSHIKIのコメントも見ていられず、この辺りの映像を見たのは遥か後、Xが復活して特番などの番組の中で初めて見ました。

舞台で終了の挨拶をするメンバー。手を繋いでバンザイをするのが恒例ですf:id:x-japanese:20210911205851j:image