前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

124.私のX-JAPAN奮闘記13

HIDEが死んでしまい、一縷の望みであった復活も無くなり、完璧にXは終わってしまいました。一度は立ち直れたのに、また暫くは無力感に苛まれました。そしてさらに衝撃的な出来事が続きました。何とファンが後追い自殺をしているとの報道が次々とされるようになりました。これを見た私は、自分だけでは無くXのファン全てが生きる糧を無くしているんだ、無力感に苛まれているんだと思いました。でも若い子達の自殺は食い止めなければいけない。YOSHIKIの緊急会見があり、後追い自殺はHIDEも悲しむとのメッセージを発信し続けました。この頃は、本当に空虚感、無力感、焦燥感、悲壮感とこのような感情がゴチャゴチャに混ざったような、本当に憔悴しきった精神状態でいました。

しかしこんな私を救ってくれたのが、やはり家族の存在でした。落ち込んでいる暇は無い、こうしている間にも子供達は成長している、しっかり生活して行かないとと、自らを奮い立たせ、頑張るようにしました。しかし、ふと気がつくとXの曲を聴いている自分がいました。そしてそれを聴きながら涙が溢れるという状態が暫く続きました。そんなある日、長女がピアノでXの曲を練習しているのを目にしました。幼少からの手習いで多少上手くなってきていましたが、長女がXのピアノ曲を弾いている姿は、何とも言えない感情になりました。長女に聞くとこのグループの曲が好きと言ってくれて、とても嬉しかったのを覚えています。妻も私のX熱に洗脳(この言い方は良く無いか)されたように、Xの曲のファンになっていました。特にバラード系の曲はお気に入り、歌詩については私よりも詳しい位になっていました。そんなこんなで、憔悴し切っていた私の精神は、こんな家族に囲まれながら、徐々に立ち直る事が出来ました。

ある日妻が、TOSHIがテレビに出ていたと言いました。私は別に出たっていいじゃないかと思いました。解散しただけで悪い事をした訳じゃないんだし、でも何か活動を開始するのかと思ったところ、妻が続けました。何やら宗教に入ったみたいだとの事でした。???の内容に理解が出来ませんでした。その宗教が何か如何わしい団体であるとの事。私は別にそれがどうしたって感じでした。その為にXを脱退したというなら、この団体許せないとは思いましたが、それ以上は特に何も感じませんでした。妻はこの頃、ワイドショーをよく見ていたので、この頃のXの解散からTOSHIの宗教騒動辺りはよく覚えていると言っています。

その後、Xの話題は芸能界から少しずつ消えて行く感じでした。自分が敢えて触れないようにしたからかもしれませんが、出ていたとしても敢えて関わろうともしませんでした。天皇陛下即位記念にYOSHIKIが演奏をする事になった時も、自然体で聴くだけでした。YOSHIKIはクラシックピアノからロックの道に入ったのだから、今後は元の鞘に収まりクラシックの世界で生きて行くのかと思いました。それだったらまた彼のコンサートでも見に行きたいとは思いました。YOSHIKIはこれをキッカケに活動再開をした様子でした。

その後は時代が変わり20世紀から21世紀へ。そして今世紀最初に驚いたのは自民党のCMにXの曲が流れた事でした。この総理大臣がXのファンだと聞いてビックリ。この「Forever Love」の曲は結構流れていたし、その数年後にも再度流された事で、巷では解散時よりも有名になっているように感じました。そしてその頃に急速に発達して来たネットの世界が、既に存在していないものを動画や写真で気軽に見る事聴く事が出来るようになって来ました。家庭にもパソコンがある時代となり、本当に気軽に昔の映像を見つけ楽しむ事が出来るようになりました。そんな時代だからこそ、この自民党のCMなどで曲が気になれば「X-JAPANってどんなバンドだったんだ?」って気軽に調べられるようになりました。そしてこのネット時代が、その後のXの復活にとても大きな影響を与えたのでした。

2016ビジュアルジャパンサミットでForever Loveを歌うToshIとピアノを弾くYOSHIKI、いつまでも続けて欲しいと思いますf:id:x-japanese:20210911205515j:image