前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

116.私のX-JAPAN奮闘記5

この頃はまだまだバブル期、24時間戦えますか、などというキャッチコピーの中我々の世代は生きており、休暇というと本当に寝ているという生活をしてました。たまに元気な時は子供と遊びに行く感じで、自分の趣味などにとても時間を掛けられる訳もなく、X時代のCDと貰ったビデオが私のX-JAPAN(以後はXとします)の世界でした。情報を仕入れたくてもどうしていいか分からない。テレビではたまに音楽番組に出たりしていたようですが、事前に分かる事も無く、たまに見れた時にはラッキーといった感じでした。

しかしその後1993年位から、紅白の影響かだんだんとXの曲が流れるようになって来ました。紅白で歌った「Tears」は音楽番組でもベスト10に入り流れている事も多くありました。その次の「Rusty Nail」では確か一位を取った事もあったと思います。ますます活躍してどんどん露出して、情報がたくさん上がるようになるといいなと思っていました。しかし、今考えると私が情報収集出来ていなかっただけで、既に随分とメジャーになっており色々な情報はたくさん出回っていたようでした。私はこの辺りでやっとベーシストがTAIJIからHEATHに変わっている事に気がつくという、私はファンの風上にも置けない、今で言うネット難民のような人間でした。

こんな状況の中、相変わらず普段生活はCDが基本、Xが段々と露出が増えて来る事により、少しづつですが家族も認知をしてくれ、特に車のドライブ中にかけられるようになって来ました。特にスキーなど遠出をすると帰り道が眠くなります。そんな時は決まって眠くならないようにXのCDを聴きながら運転していました。時にライブの音源が流れると、あの乱暴な話し方でコール&レスポンスがあったりします。まだ小さい女の子2人もそれを聴く事になるので、妻は子供の言葉遣いが悪くならないか心配しながら聴いていました。

そしてこの頃から、Xのライブを生で見たくなって来ました。CDは擦り切れる程聴き(本当にCDが聴けなくなったのです😳)、カラオケではXの歌しか歌わなくなり、益々X熱は高まるばかり。何故か聴いていると元気になり、ファイトが湧いて来る、そんな日々を過ごして行けました。ある日、色々なコンサートを扱っている当時プレイガイドと呼ばれている店に行き、Xのライブの情報を聞きに行きました。すると既に超人気バンドなので、中々チケットは取れないとの回答でした。そんなに人気なんだと改めて驚いていると、普段はライブは地方が多く、東京だと東京ドームで年末に必ずやるから、その時申し込んでみてと言われました。でも本当すぐにソールドアウトになるとの事でした。そして師走の声を聞いた辺りに、またふらりとチケット店に入って聞いてみたところ、係の女性に「は〜?」みたいな顔をされ、とっくに終了してますの回答でした。相変わらず情報難民の私は途方に暮れ、どうしたらいいのか見当もつかず、その年も紅白を見て、来年こそはと思っておりました。

2016ビジュアルジャパンサミットにて、トリは当然X-JAPANf:id:x-japanese:20210911170612j:image