前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

118.私のX-JAPAN奮闘記7

開けて1996年、相変わらず私のXのコレクションは初めに買ったCD数枚と貰ったビデオのまま。情報もほぼその頃と変わらず来ていました。しかし、そんな自分とは正反対に、Xは快進撃を続けていました。テレビはもちろんCMにまで流れるようになりました。何かどんどん出世して自分の届かない所に行ってしまうようで、少し寂しくなって来たのを覚えています。しかし、この年は画期的な出来事があったのです。そうです、年末のライブのチケットをゲット出来たのです。

会社では私のX好きは既に有名になっており、カラオケに行けば最後はXジャンプが定番という位でした。そんなある日、私は会社で、Xのライブに行きたいけど行けない、今年もどうやったらチケット取れるのだろうかと嘆いていました。若い後輩達は、私のアナログ的なやり方を哀れむような感じで見てたのでしょう。色々アドバイスしてくれましたが、受付時間と同時に電話とか、リダイアル機能を使うだかと、とてもそんな面倒な事は出来ないと思っていました。するのある日後輩が、友人に頼んでみましょうかと言って来てくれました。聞くと、後輩の友人は有名なチケット会社に勤務しているとの事。私は期待せずにお願いをしました。するとその後日、その後輩は友人に頼んでくれたとの事。そしてその時の条件をこう言われたと言って来ました。東京ドームで2日ライブをやるので、指定しない事、複数人であれば並びは取れない事、どんな席でもいい事の3つで異論がなければトライしてくれるとの事でした。自分としては全てOK。どうせ無理だろうと思っていました。

この頃、待ちに待ったアルバムが出るとの情報を掴み、発売日を心待ちにしていました。まさに今回のツアー名そのもの、DAHLIAというアルバムでした。当日は会社帰りに買いに行き、その日からそのCDを聴きまくりライブに行ける事を夢見ておりました。このアルバムは、事前に言われていた通りベストアルバムのようでした。既にシングル版で発売されている曲が多く、私もダブって持っているシングルCDがありましたが、そんな事はどうでも良く、毎日のように聞いていました。

するとある日、朝、後輩が私の出勤を待っていたかのように駆け寄って来て、「先輩、取れたみたいですよ」といい、年末の方のライブで一階のそんないい席ではないけど一枚取れたと報告してくれました。これには大感激。ライブに行きたいた思ってから苦節3年、やっと行けるんだと思うと腹の底から嬉しさが込み上げて来ました。後輩には本当に感謝しかありませんでした。その後、後輩からしっかりと一枚のチケットを貰いました。1996ダリアツアーファイナル無謀な夜。確かにXのライブチケットでした。無謀な夜って何だ? 少し気になりましたがそんな事はどうでもよく、とにかくこのプラチナチケットを後生大事に持っていました。

そしてチケットが取れた日から妻には絶対に行くと押し通し、年末の昼過ぎに子供も含めた家族の冷たい視線を浴びながら半ば強引に家を出発、後楽園の東京ドームを目指しました。私の当日の出立ちは普通にジーパンにセーター、ジャンパーというプチおじさんの典型なものでした。全く着ていく物についてはノーマークでした。というより、ライブに行くのに特別な格好をして行く思考回路は全く持ち合わせていませんでした。

そして、池袋で丸の内線に乗るべく駅構内を歩いている時です。何か派手な、何処かで見たような赤い髪、赤いドレスの人が丸の内線の方に歩いて行くのが分かりました。その時は特に気に掛けなかったのですが、丸の内線の中にもそのような人がチラホラいました。この時も「今日は年末だし何処かで何かあるのかな?」程度で、特に何も思いませんでした。そして後楽園駅に着き、私は腹ごしらえをする為に、マクドナルドに向かいました。そして、そこに着いた時です。列に並んでいる人達が先程の赤い髪赤い服、青い服、他にも金髪、逆立て、色々いました。そうです、この人達、Xのファンの人達だったのです。

2015テレビ朝日ドリームフェスタにてf:id:x-japanese:20210911171242j:image