前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

497.私の愛車遍歴の思い出、10

突然やって来たカリーナとの別れ。それは兄と共有という所が原因でした。兄はこのカリーナには満足していなかったようで、確かに休日でもあまり乗っていませんでした。そしてカリーナが来てからも、ずっと他の車に買い替えようと思っていたそうなのでした。そしてある日突然、カリーナを下取りに出し新しい車に買い替えると言い出したのです。それがローレルでした。ある日それを乗って来たのです。やはり中古で4年落ち程度でしたが、金色っぽい車体でお洒落な感じ。グレードは1.800ccのGL。4ドアのハードトップでエアコン装備。車体はかなり大きく感じ、一気にジャンプアップしたような感じでした。そしてこの車のウリはオートマティック車でした。兄は社会人でもあり、少し落ち着いた車が欲しかったようです。それは普段の趣味のレースでガンガンと走っているという事もあったようでした。

兄は私に「今よりいい車になるんだからいいだろう!」と言って、あっという間にカリーナを下取りに出し、このローレルを買ってしまったのでした。金銭的な事は兄が全て負担しました。そして、その後も平日は私、土日は兄のような配分で車を運転していましたが、この車になってからはその配分がかなり変わって来ました。このローレルは兄はとても気に入っていました。なので平日の夜なんかもかなりの確率で乗って行く事が多くなったのでした。

それでも空いている時は、私もこの車でドライブをしていました。しかし、カリーナの時とは違い、何と無く使いづらくなって来たのです。とにかく兄の使う時間が数段多くなったのでした。さらに、大きくなった車は私はとても運転にプレッシャーを感じました。兄が大切にしているから、なおさら感じたのかも知れません。ボンネットが大きく膨らんで見えて、特に左の先が見えずらいのです。私は、がたいは大きい方なので、こんな事は今まで無かったのでした。また初めてのAT車というのも何か違和感がありました。

今まで乗った事のある車は、全てマニュアル車でした。そしてキビキビ走っていた感覚だったのですが、このローレルは、大きい車体をATでゆっくりした感覚で動かす感じでした。確かに当時のこの車のテレビのコマーシャルでも、歌手の上條恒彦が「ゆっくり走ろう〜🎵、」と歌っていましたから、この車のコンセプト自体がそうだったのかも知れません。ローレルからは、車とは余裕を持って贅沢に走るのだと言われているようで、兄は正にそう言った乗り方をしたかったようでした。しかし私はあのキビキビと走るカリーナの走りが好きでした。そしてはやり気になったのが、燃費でした。

カリーナはリッター10㎞程度は余裕で走っていました。しかしこのローレルは大体がリッター7㎞程度。エアコンはあり、静かな室内、ATなので余裕な運転が可能でしたが、学生の私には少しでも燃費がいい方が良かったのでした。またこのローレルは彼女の評判が悪かったのでした。まるでお父さんの車を借りて来たようだと言うのです。所謂、年相応に見えないと言うのです。学生には不釣り合いな車だと言うのでした。また乗り心地もあまり気に入らなかったようなのです。

サスペンションがゆったりしているからか、加速の時やブレーキの時など、または左右に曲がる時などは、まるで船のような具合で車が揺れるのです。これは感じ方の問題なので、何とも言えません。彼女はこういった、船のような揺れに弱く、車酔いしてしまうと言うのです。確かに高級車なのだろうけど、このサスペンションの具合が合わないようで、あまりドライブにも着いて来てくれなくなってしまいました。

その後も兄との共同保有の状態が続いたのですが、このローレルは、確かに買い替え代金は兄が全て出しています。私の割合はかなり少ない金額なので、何となく乗る時は兄に対して「車を貸して」という感覚になってしまったのでした。これは何か違和感がありました。そして段々と使う時が競合するようになって来たのです。しかしそうなると兄の方が強いのは、何となく昔からの流れです。この辺りがフラストレーションになり出したのでした。

何となく、このローレルとは疎遠になって来ました。そして私は、自分専用の車が欲しいという願望を持ち始めて行きました。持ち出した15万円という金額をどうしようかとかは思いませんでした。兄に返せというのも何か筋違いな気がして、それには目もくれず、何とか自分の車が欲しくなり、それに向かって前進するようになっていたのです。そして、その準備を始めます。父にはもう一台駐車場を何とかならないか直談判しましたし、保険の件もどういった物が分からなかったので、保険の人に会って金額を確認したりしました。父は、こう言った根性ある行動は結構好きな人間だったので、「自分で何とかするなら駐車場と保険は何とかしてやる」と、言ってくれたのでした。

そして、私はこの時から車の雑誌に載っていた中古車情報を小まめに見るようになったのでした。しかし、車の種類や性能をそれ程細かく知っている訳でも無かったのでこの車の選定には手こずり、また中々目を引く車も見つからず、暫くは兄との共有状態で、このローレルに乗っていたのでした。このローレルからは、自分の好きな物というのは共有では無く、絶対に自分1人で所有するべきだと言う信念を貰ったと思っています。そして、この辺りから貯金という物をし出したのでした。

ローレルと彼女のショットはこの写真しかありません。本当に嫌いだったんだと思います😅。f:id:x-japanese:20230826162302j:image