今回は私が初めで買った車、カリーナです。車の運転にも慣れ、そして社員さん達の乗用車を借りて乗ったりなんかしていると、やはりトラックとかでドライブするのはもう卒業したくなって来ます。自分も自分だけの乗用車でドライブがしたいと思うようになりました。この頃になると、鉄道の雑誌より車の雑誌を読む事が多くなりました。「カートップ」とか「ベストカーガイド」、「月刊自家用車」等、当時から車の雑誌は結構多かったです。そこにはたくさんのカッコいい車の情報が、写真と共にありました。しかし値段を見るととても学生の私が買える訳がありません。父はそもそも乗用車に興味が無いので買う気はさらさら無し。それでもその雑誌を見ながら、いつか自分の車を持ってみたいと思ったモノでした。
それは兄も同じ気持ちだったようです。兄は車の趣味があり、仲間内でレースをやっていた関係で車関係の知人が多く、この頃から色んな中古車の情報を持って来ていました。この時、私は初めて中古車という概念を知ったのです。新車では手が届かなかった車も、中古の車なら手に入れる事が可能な値段です。しかも年代さえ許容出来れば、かなり安価な値段で買う事も可能なのが理解出来ました。そしてある日、兄が一台の車を乗って来たのです。それがこのカリーナでした。
その形は中々カッコいい。2ドアのハードトップスタイル。サイズ感もちょうど良く、白色のそのボディは思わずいいなあと思ったのです。確かコマーシャルで、「足のいいヤツ」と宣伝されていたのは知っていました。しかし兄も私も同じように金欠状態でした。社会人になっていたとは言え、やはり車の趣味と言うのはカネが掛かるのでしょう。すると兄は、私と共同で買う事を提案して来ました。一瞬躊躇しましたが、兄は社会人、私は学生。乗る時間帯はそれ程は被らないだろうと思ったのです。私もこのカリーナは結構気に入りました。女の子とデートをする車としては十分です。私は了解と言いました。
車の性能とかは兄が詳しいので、その辺は任せました。値段は仲間内という事で、かなりの好条件でした。諸経費込みで35万円。兄が20万円、私が15万円出す事で決まりました。しかし肝心の駐車場です。さらに自動車保険。これには参りました。車と言うのは買うだけでは足りず、所謂ランニングコストが掛かるのを初めて知ったのでした。しかしこれは兄が父と相談していたのです。幸い駐車場は、我が家の会社の資材置き場に余裕があった為、そこに置かせて貰える事になっていました。あとは保険。これも会社に保険会社が出入りしていた関係で、父がその分は負担してくれる事で、無事にカリーナはやって来る事になったのです。
このカリーナ、確か1976年位の年式、4年落ち位だったと思います。排気量は1,600cc、5速マニュアル、グレードはST、2ドアのハードトップ、カセットプレーヤーが付いていましたがエアコンは無し。当然ナビなんてありません。兄はGTグレードが欲しかったようですが、私はそんな事はお構いなし。これで、もうトラックでのドライブからは卒業だと、まさに天にも昇る気分だったのでした。このカリーナでも学生の分際では十分な車でした。私はドライブに行く時は平日に学校をサボり、出掛けて行くようになりました。
カリーナがやって来たのが初夏の頃だったので、そろそろ暑い季節です。エアコンが無かったので、もちろん窓全開で走っていました。それでも当時は爽快な気分でした。確かに渋滞時は暑いと感じる事はありましたが、今のような殺人的な暑さでは無かったので、夏になってもエアコン無しで十分走れたのを覚えています。
そしてこのカリーナでは、本命の女性を積極的にデートに誘いました。この女性はオースターの一件の子で、現在の妻です。高校の時の鉄チャンデートをして、フェードアウトしたのに、ひょんな事からまた合うようになっていたのでした。しかし、一般的に女性は車にはそれ程興味無いようです。しかし、そんな事はお構いなし。当時の若者は、こぞって彼女が出来たら車でデートがステイタスでした。箱根方面や、三浦半島や伊豆半島へ海水浴にも行きました。しかしやはり車はカネが掛かる。そして、出かけるにもガソリン代はもちろん、食事や駐車場代なんかも掛かります。お洒落な場所ほどそれは高額になり、私はさらにお金を稼ぐ為、色々なアルバイトをやったのでした。
そして友人ともよくドライブに行きました。土日は兄が使う事が多かったので、私は大体が平日か夜が多く、夜は友人と横浜や江ノ島の方へ行ったり、または学校まで乗って行って、帰りにドライブして帰って来る事をよくしていました。本当にこのカリーナ、私に翼を付けてくれたようで、行きたい時に行きたい所へ、自分の運転で行く事が出来たのです。この世界観は初めての感覚。自分の車が持てた事で、自分にも自信が付いて来たような気もして、あの自信の無い喘息人間はどこへやら。高校の時に再発していた喘息も影を潜める感じで、積極的な人間へと変貌して行ったのです。これはかなり、このカリーナのお陰だと思っています。
しかしこのカリーナ、思わぬ事でお別れをする事になるのでした。