前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

486.私の愛車遍歴の思い出、1

突然ですが新しいシリーズ、車の話題を書きたくなったので、書いてみようと思いました。私の今のお気に入りのテレビ番組と言えば、BS日テレの土曜日の夜にやっている(令和6年2月現在)、「おぎやはぎの愛車遍歴」です。私は鉄道も大好きですが、車も大好き😊。この番組は、出て来る色々なゲストの人達が、人生を共にして来た愛車達を紹介する番組なのです。その話はもちろん面白いのですが、何と言ってもその時の話と共に、その時所有していた車と同じ形式の実車が登場して、運転までするのがこの番組の見所なのです。

私が若い頃に憧れていた車なんかが出て来ると、思わず絶叫モノ。この実車は今現在所有している別の人の車で、それを借りて来ているのですが、結構、年代物の車も多く、よくこんな車を動く状態で保有しているなあと、感心する所もあるのです。私もぜひこの番組に呼ばれて、歴代の車の思い出を語りながら当時の実車を見て、そして乗ってみたいモノですが、有名人でもない私に取って、それは叶わぬ夢だと諦めています😅。なので突然このブログで、番組に出演しているつもりで書いてみようと思ったのでした。

私の車の思い出と言うと、まずは中学生の時に流行ったスーパーカーブームでしょうか。当時の漫画と言うと「少年マガジン」や「少年サンデー」が中心でした。そこに突如「少年ジャンプ」と言う雑誌が創刊。我々の間に瞬く間に人気となり、その中で「サーキットの狼」と言う連載漫画が始まったのです。私の生活環境は、前述の通り会社を経営しており、小さい頃は数人の住み込みの社員もいた関係で、住み込みの人用のアパートがありました。そこに行くと若い男性が住んでる訳ですから、漫画を始め様々な大人の匂いのするモノがたくさんあり、もちろんお酒や麻雀、花札等もたくさんありました。そのアパートに行くのが我々兄弟もとても楽しみで、いつもそこにタムロしていたものでした。そしてそこでは漫画を読み耽り、そこで見た「サーキットの狼」に兄弟全員がハマってしまったのでした。

兄はそれから車にハマり、弟はこのスーパーカーにハマっていました。私もこのスーパーカーには随分と心踊らされた覚えがありました。兄弟間でも、そして中学校の友人間でもこの話題で持ちきりな時があり、既に鉄チャンだった私も随分とその話題に乗り遅れまいと、スーパーカーの情報や、時にはモーターショーを見に晴海の会場まで行った時もありました。そこには漫画のモデルのロータスヨーロッパを始め、カウンタックやポルシェ、フェラーリ等の様々な外車が並び、それはそれは夢のような世界だったのを覚えています。当時のリコーハーフカメラ(210回目のブログで登場しています😅)で、このスーパーカーも随分と撮影したものでした。

しかし当時のこの国の一般庶民は、このスーパーカーや外車はもちろん高嶺の花。電車と違い、買わなければ乗る事が出来ないし、また見たくても決まった道路を走っている訳ではなく、決まった時間に走って来る訳でも無いので、見たいけど見る事も出来ない。私の近所にも所有している人はもちろんおらず。中学生の私はそもそも所有するといった意識も無く、そのうちにこの熱は冷めて行きました。そして高校生にもなるとスーパーカーブームも終わり、私は純粋に鉄チャンへの道へと進んで行ったのでした。

我々の年代の連中はこんなスーパーカーブームもあったので、車好きな奴が多かったように思います。私が免許を取った当時(1979年頃)は、まだまだこの国自体もそれ程裕福では無く、外車などは問題外。車好きは多かったですが、そもそも車などは持てなかった連中が殆どでした。私はそんな中でも実家が商売をやっていた関係で、トラックやバンのような商用車は数台ありました。そして、資材の配送もしていた関係で、兄弟全員18歳になると親から免許を取るようにと言われていました。私も19歳に免許を取得、会社の配送をよく手伝わされました。時に緊急な配送などは、親父が暇してそうな子供を見つけては、「お前、〇〇まで材料を配達して来い」と言われていたので、幸い車を運転する機会は多く、友人達の中では運転は上手いと言われていました。

そして、週末や平日の夜になると、このトラックやバンで友人とかと遊びに行ったモノでした。そして段々と、車を運転する魅力に取り憑かれるようになりました。それは、私の兄の事も関係しているのです。私のすぐ上の兄は、スーパーカーブームの後、そのまま車にハマり続け、それが趣味となりレースにのめり込み、バイト代やその後の社会人になっても給料等は全て車につぎ込むという人間でした。友人達ともちょっとしたチームを作っていて、時折、私もそれに着いていってサーキット場にも遊びに行っていました。そんな事もあって、私は大学生にもなると、鉄チャンよりも車の方に興味が行くようになっていたのです。もちろん当時は鉄チャンでは女性にモテなかったですが、兄は結構モテていたので、自分もそのようになりたいと色気づいた根性も育っていたのでした😅。

今は車を欲しがる若者が減っていると聞きますが、私はそれを聞くと信じられない思いで一杯です。例えトラックだって、自分で運転して好きな場所へ行ける、思い通りに運転出来る。電車やバスと違い、時間にも縛られず、気に入った場所だったら好きなだけ居れる。そして走っている時の爽快感は最高な気分です。まさに自由な空間を感じる事が出来るのです。レンタカーとかが充実して来たといった環境の変化はわかりますが、それにしても、こんな自由を感じる空間を与えてくれる車に興味が無いなんて、本当に勿体無いと思ってしまいます。

免許を取って車を乗り始めた時に感じたあの自由な世界観。それが、何だか元気が出て来る感じで、暇さえ出来ればトラックやバンに乗って、ドライブに出掛けていたのを思い出します。まずはこの時によく乗っていた、家業のトラックの事を語りたいと思います。ただ、私はそれ程車のメカに強い訳ではないので、性能や走りの事はあまり語れず(温泉と一緒です😅)、単なる思い出中心に書こうと思っています。この「愛車遍歴」の番組に出演してると思いながら、書いて行きたいと思います😅。写真については、いかんせん古い話になるので画像が悪かったり、またはパンフレットからの引用のお世話になっていますが、御了承下さい🙇。

ドライブの醍醐味はこんな素晴らしい景色でしょうね〜😊f:id:x-japanese:20230614110157j:image