前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

491.私の愛車遍歴の思い出、6

次はエルフトラックです。私が運転し出した当時は、トラックと言えば「エルフ」といった感じで、街中には至る所に走っていました。これはバンや小型トラックでは無く、本格的なトラックです。私の家にあったのは2トントラックで、大量の荷物だったり、大きい物、重い物を運ぶ時に駆り出されていました。形はデリカトラックをもっと大きくしたサイズで、初めて運転した時はとても緊張した思い出があります。大きいトラックだった為、それ程は運転した訳では無いのですが、それでも緊急の時はお構いなく父からお呼びが掛かり、免許を持ってるんだから運転出来るだろと、エルフで荷物の配送に行かされておりました。f:id:x-japanese:20230616084442j:image

当時は大型トラックと言えばディーゼルエンジンが主流。パワーがあるし、燃費はイマイチでも燃料代はガソリンよりも断然安いし、運送には持ってこいだったようです。しかし音がうるさく振動は大きいしスピードは出ない。おまけに今では考えられませんが、エンジンがすぐにかからないのです。何故だかエンジン始動時に、余熱という一手間が必要でした。そしてその一手間が完了した後も、チョークという物を使って暖気運転のような事をしてエンジンを落ち着かせて、始めて発信すると言ったモノだったのです。なので当時は乗用車には向かなかったのだと思います。今ではそんな事は無いようですが、私は、その大きさと手間の掛かり具合がまるでSLのように思えて、結構このトラックは好きだってのです。

しかし、このエルフの思い出と言えば、配達で行った先の広大な工事現場でぬかるみにハマり抜け出せなくなり、半日位なす術もなく呆然と立ち尽くしていた事を思い出します。そこは多分、神奈川県の金沢シーサイドタウンだと思います。今から40年位前の開発地であり、横浜の先で海沿いの長細い埋立地でしたから、場所的にここだと思います。今でもその広大な工事現場は明瞭に覚えています。

その場所に着いた時にはあまりの広大さに、荷物をどこの現場に届けるのかが分からず、色々な現場に寄って聞くのですが、全て違うとの返事。当時はケータイが無く、またコンビニもそれ程無かった時代、一旦電話ボックスがありそうな国道に戻り、現場に電話して確認してまた向かうのですが、同じような景色で同じような現場ばかり。電話で聞き取った事をメモに地図書きし、工事現場の道をそのメモを見ながらそれっぽい現場を探す為にゆっくり進みます。しかしお目当ての現場は見当が付かず。その時です。ガクンと前輪を工事現場の道から外してしまったのです。

そこはぬかるんだ泥でした。やばいと思っても後の祭り。バックで出ようとしても荷物が重い為、トラックが泥から這い上がれないのです。暫くはすったもんだの繰り返し。しかし前輪は全く這い上がって来ず、逆に泥に埋まって行く感じでした。時折り通り掛かる工事車両を止めては手伝ってもらいますが、結局は無理。それ以外助けを呼ぼうとしても、この工事現場が広大過ぎて人影もまばらで、どこに行けばいいのか分かりません。来た道を戻るとしても泥だらけの道でかなりの距離です。まさに途方に暮れるとはこの事。既に時間は夕方です。このまま自分はどうなってしまうのだろうと、本当に情けなく思っていました。

すると天の助けとはこの事か。何とブルドーザーがこちらへ走って来たのです。私は大手を振って「助けて〜」と叫びました。そこには数人が乗っていて何事かと近寄って来てくれました。理由を話すとトラックを無事に引っ張り上げてくれたのでした。そして更に配達先の現場を知っていたので、無事に辿り着く事が出来たのでした。時は既に日没寸前。荷物を下ろした時は、腰が抜ける位にホッとしたのを覚えています。

とにかく重い荷物だとスタッグしたら大変。この時からぬかるんだ道がトラウマになり、山道とかダートコースには近づかなくなりました。未だに乗用車でも舗装されて無い道を走るとこの時の事が思い出され、雨が降りぬかるんだりなんかするともう大変。もう運転してるといつぬかるみに捕まりスタッグするか気が気でなくなります。

しかし悪い事ばかりでも無く、その後私は飲料水会社のアルバイトをするのですが、この時にエルフを運転していた経験が役立ったのです。当時のアルバイト事情はかなりおおらか。アルバイトでも運転をお願いされる事があったのです。夏になると季節がら、こういった会社はとても忙しくなります。まさしく猫の手も借りたい程の忙しさ。そんな時に配送のトラックがエルフだったので、すんなりと私は運転手を務められました。当時の若者は車好きが多かったとは言え、2トントラックを運転出来る人はそれ程はいませんでした。これにはかなり重宝がられ、それからこの会社には約2年お世話になる事になったのです。ここではかなり小遣いを稼がせてもらいました。

何事も経験をしておくモノだと言う事を、このエルフからは教わったと思っています。そして父の会社の手伝いとは言え、この会社の色んなトラックで色んな所に行く度に、何だか自分が自由でどこにでも行けるような、自分が大人になったような気分になったのでした。何と言っても、自分思った時に思った所に自分が運転して行けるのが最高でした。気がつくと、私は鉄チャンの世界から車の世界に完全に移っていたのでした。