前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

490.私の愛車遍歴の思い出、5

続いて書くのは軽トラです。メーカーは忘れてしまいましたが、やはり会社にあったトラックで一台だけだったと思います。この形は今でも基本的な形は変わっておらず、当時から既に完成されていた形だったのだと思います。デリカトラックを小さくしたような形はとても可愛く、運転し易そうに思いましたが、逆に小さ過ぎて運転がちょっと怖かったのを覚えています。排気量も小さくパワーも無いので2人しか乗れない。トラックですから乗り心地は当然悪い。そしてボディがとにかくチャちいと言うか薄い。事故でもあったら一巻の終わりと言った感じでした。なので私は基本的には1人の用事以外は、あまりこの軽トラには乗りませんでした。

そして、この軽トラで私はまたやらかしてしまいます。例のデリカの一件もあり、会社へは配送以外は出入禁止になったのでした。しかしそんな事も直ぐに忘れほとぼりが収まると、またトラックを拝借するようになりました😵。それはある日の夜です。友人の所へ遊びに行くので、会社の車を拝借しに事務所に入ると、この日は軽トラのキーしか見当たりません。この軽トラには決まった運転手はおらず、いつも会社にあったのです。その他のトラックは、ダットサンを始め担当者が決まっていた為、その人の営業や配達の関係でそのまま直帰とかがあったので、無い事も多々あったのでした。

仕方なくこの軽トラで友人の家へ行き、その帰りです。この軽トラもボンネットが無く前輪の上に運転席があるタイプです。なのでデリカと同じように、ひとテンポ置いてハンドルを切る必要があったのです。しかし小さい車なのでその辺を甘く見ていました。するとある交差点で左折した時です。軽いショックと共に、ゴツンという音を聞いたのです。夜だったので良く見えず、何かに当たったのは分かったのですが通行人もいない道だったので、また車はそのまま動いていたので、気にせず家まで走って行きました。

しかし何か変な感じがします。曲がる為にウインカーを出すと、ライトが一瞬暗くなるような感じです。しかし曲がり終わりウインカーが戻るとまた明るくなるので、そのまま家まで走って行きました。そして車庫に入れて鍵を返して、そのまま家に帰りました。そして翌朝です。親父が血相変えて「昨日の晩、軽トラ乗った奴は誰だ!」と騒いでいます。私は何が起こったのか分からず、「おれだけど何か?」と言った感じで返事をしました。すると、「バッテリーが壊れていて軽トラが動かないんだ!」と言って会社に戻って行きました。私は急いで親父の後を付いて行きました。

すると軽トラの荷台のすぐ下にあるバッテリーにヒビが入っていて、バッテリー液が漏れていました。幸い換えのバッテリーが会社にあり事なきを得たのですが、親父はカンカンです。仕事以外では出入禁止であったにも関わらず、またやらかしてのです。社員の手前、許す訳には行きません。社員の前でこっぴどく叱られ、私は皆さんに謝りました。社員の人達は、「一言言ってもらえば良かったのに」程度の事を言って許してくれましたが、経営者の息子に怒れる訳がありません。何かその空気感がとても面白かったのを覚えています😅。その後も父に怒られてるのに、社員の、どうしていいか分からないその対応を見てると、内心は可笑しくてたまらないという珍しい経験を、この軽トラにはさせてもらいました(本当にバカ息子だったと思います🙇)。

原因としてはダットサンと同じ感覚でハンドルを切ったので少し曲がるのが早まり、交差点の角の縁石にぶつけたのだと思いました。そして私は会社へ完璧に出入禁止になり、暫くは会社の車には乗る事が出来なくなってしまいました😵。そして軽トラにはこれ以降、乗る事は無いのでした。

しかしこの軽トラはその後色々な場面で登場する事になります。特に地方の家にはよくこの軽トラがありました。よく覚えているのは雪国の軽トラです。秋田の友人の家に遊びに行った時に、友人がこの軽トラで遊びに行こうと言うのです。付いて行くと広い原っぱのような雪原に着きました。そこでスリップカートさながらの運転を楽しむのです。私は例の一件があったし、雪道は運転した事が無かったのでただ見ていましたが、友人達は面白がって軽トラをスリップさせ、レースさながらの運転をしていました。

また私の父方に、はとこに当たる同年代の男子がいるのですが、そいつが若い頃、富山からやってくる時に必ず家の軽トラでやって来るのです。それだけでも驚くのに、ある日の帰る日の富山の天候が雪だった時があったのでした。父は帰る日をずらせと言っているのに、大丈夫と言って帰って行ったのでした。そして翌日無事に帰ったと連絡がありました。あんな車で雪道を走って行くなんて信じられなかったのを覚えています(もちろん四駆でしたが😅)。

また大学の友人の引越しを手伝いに行った時、その時借りたレンタカーが何かの手違いで軽トラになってしまった時があったのです。案の定荷物が乗り切れず、途方に暮れている友人。それでも引越しはしないといけません。それからありとあらゆる隙間という隙間に荷物を入れ、上に積めるだけ積んで何とか全部を積める事が出来たのでた。運転席にまで積んだので私は電車で付いて行く事にし、彼を見送ったのでした。その後ろ姿が今にも荷物を落としそうな、フラフラ走って行く姿は漫画みたいでほんとに笑えました。

何だか軽トラと言うと、こんな可笑しい思い出ばかり。そう言えば「軽トラ」と言う言葉や響きも何だか可愛いし、可笑しいと思いませんか。この写真、私が壊したバッテリーが見えます😅。f:id:x-japanese:20230615204334j:image